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ドラマ『季節のない街』~クドカン版『どですかでん』

宮藤官九郎監督・脚本のドラマ『季節のない街』が最終回を迎えました。昨年Disney+で配信され、それが地上波で今回放送されました。これは、山本周五郎の同名小説をドラマ化したもので、同じ小説を黒澤明が映画化した『どですかでん』('70)が知られています。たまたま半年ほど前にこの映画を観たばかりでしたので、不可避的に両者を比較しながら観てしまいました。(見出し画像は、ドラマ公式HPより引用。)

1.人生スケッチを一つのストーリーに構成

もともとの内容は、バラックが集まったような場所で厳しい生活を強いられている人たちを描いたもので、いくつものエピソードが連ねられているものです。ですので、全体として明確なストーリーはありませんでしたが、今回宮藤官九郎はその設定を災害後12年を経た仮設住宅とし、そこを撤去すべく動く行政やブローカー的な人から、調査のために送り込まれた若者(池松壮亮)を主人公にすえました。

黒澤版で語られた個々のエピソードは、主人公の若者が作成する一つ一つの報告書の内容となり、全体として有機的に整理されました。小説は読んでいませんので、はっきりしたことは言えませんが、個々のエピソードの内容は、黒澤版とクドカン版でほぼ共通していますので、原作どおりなのだと思います。

宮藤官九郎は、以前より落語と任侠の世界をかけ合わせたり、プロレスと介護問題をかけ合わせたり、そのユニークな視点と全体構成力が素晴らしい脚本・演出家だと思っています。今回は、災害からの復興という課題、そこには街づくりのみならず、人心の問題もあるのだと思います。そういったことと、知的障害、日雇い、家内労働、貧困、格差といった問題を掛け合わせたのが今回の視点ということだと思います。

豪華なキャストは驚くばかりで、主役級の人がちょい役でぞろぞろ出ています。それもあって十分に楽しめる内容でしたし、考えさせられる内容でした。

2.災害復興と貧困

災害のような緊急の状況における人道的支援の段階から、いかにしてより長期的な復興・開発の段階に移行していくかは、世界の色々な場所で語られている課題だと思います。不可避の事態によって生命の危機に見舞われた人々に対する支援はふんだんに得られる場合が多いですが、そのような支援に慣れてしまうと、かえってそこから抜け出ることができなくなってしまうという問題です。

今回の『季節のない街』でも、月収12万円を超えると無料の仮設住宅から出ていなかければならないため、それを超えないようにしているという、(厳しい言葉で言えば)本末転倒な話があります。仮設住宅を取り壊すので復興住宅(家賃5万円)に移ってほしいという話に、強烈に反発します。

このタイミングのことだけ考えると、仮設住宅を出て行かなければならない人たちの厳しい状況に同情したくなります。ですが、災害後12年を経た今、仮設住宅を取り壊して次の段階に行かなければと考える行政側の考えもわかります。

もともとあった『季節のない街』のエピソードに、このような問題意識を掛け合わせたのが今回のドラマだったのです。

3.うまくかみ合わない部分も

このような試みは、さすがクドカンで、深刻な課題であり続ける格差の問題に、災害復興というまさに現在の課題を組み込む挑戦はよく考えた思いました。ただ、これまでのクドカンの秀逸かつユニークな異種混合に比較すると、個人的には、今回のかけ合わせはうまくかみ合わない部分もあったのでないかと思っています。

黒澤版(そしておそらく原作も)では、この場所が、世の中の動きから隔絶され、半ば忘れられた「どん底」として描かれていました。そして、知的障害があって、いつも架空の電車を「どですかでん」と言って走らせている少年。赤に塗りたくったバラックと、その向いの黄色に塗りたくったバラックに住む日雇い労働の2組の夫婦(夫婦の服装もそれぞれ赤と黄色)。昼夜問わず常に広場で洗濯をしている女たち。強盗を親切に迎え、追い銭を渡す善人。そういったエピソードが何かファンタジーを思わせました。

それは現実の問題を覆い隠すということではなく、むしろ逆に、現実世界のどこにでもあり得る問題であり、その存在に人々が目をつぶってやり過ごしているという問題。その問題の象徴として描かれている「物語」のように思いました。

今回のクドカン版では、災害復興という非常にリアルな問題とリンクさせたため、否が応でも、このファンタジー感は薄れました。いやむしろ薄れてしかるべきなのですが、やや中途半端に出てくる空想モードや現実とのズレに戸惑わずにはいられませんでした。

赤と黄色のバラックの夫婦はここでも出てきます。実際に仮設住宅にこんなに色を塗りたくっている人がいるだろうか、などと考えていしまいます。日雇い労働の夫たちは、毎晩酔っぱらっていますが、昼間は毎日働きに行っています。だとすると、法定の最低賃金を考えると、月収12万円は超えているのでは? などと、余計なことを考えてしまいます。

また、主人公の若者の飼い猫が擬人化されて登場するのですが、全体の問題意識との関係で、「これ必要かなあ」と思ってしまいます。ファンタジーっぽさと言うのか、非現実的な空想レベルというものには、統一感が必要だと思うのですが、この擬人猫のところだけ、ちょっと唐突感があると感じました。(でも、MEGUMIが向いの旦那の胸板に目が釘付けになるところで、文字通り目が光るのは良かったです。いやらしさを減らし、コミカル感を増しました。)

それに仮設住宅の問題と貧困・格差の問題をかけあわせたため、二つの別の問題がミックスされてしまい、メッセージが伝わりにくくなっているような気がします。

ただ、長期にわたって仮設住宅に残っている人は、災害以前に、そもそも貧困や障害のために生活が苦しかった人たちなのかもしれません。そういう人たちが、皮肉にも災害後の仮設住宅によって救われてきたという問題があるのかもしれないと考えさせられました(もし、それが伝えたいメッセージなのでしたら、主人公の報告の中にそういう問題意識を盛り込むなど、より明確に打ち出せたら良かったのではないかと思いました)。

いろいろ勝手なことを言ってすみません。
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