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モリコーネ、モリコーネ

映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を観ました。20年に他界した映画音楽作曲家エンニオ・モリコーネの生涯を描いたドキュメンタリー映画で、『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品です。(見出し画像は同映画HPより)

この映画をうまく評価できない。

この映画を、映画としてどう評価すべきなのか、正直なところ私はうまく述べることができません。私のように、エンニオ・モリコーネの音楽が好きな人は、みなこの映画に感激するのだと思います。なので、映画のクオリティとして客観的にどう評価すべきなのか、よくわからないのです。

映画は全編モリコーネの音楽にあふれ、トルナトーレのほか、セルジオ・レオーネ(監督)やクリント・イーストウッド(俳優、監督)といった当然登場すべき人物が登場し、モリコーネを評価します。そのほか、クエンティン・タランティーノ(監督)の登場などは、「まあそうなんだろうな」と思いましたが、ジョン・ウィリアムズ(作曲家)やスタンリー・キューブリック(監督)のように意外な人達も登場します。ドキュメンタリー映画としては、期待どおりの出来と言えると思います。

『荒野の用心棒』の衝撃

私がモリコーネの音楽に最初に触れたのは、記憶にある限り、『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演)だったと思います。日本でマカロニ・ウェスタンと呼ばれ、アメリカでスパゲティ・ウェスタンと呼ばれたイタリア製西部劇のブームの火付け役となった作品です。64年製作で日本では65年のクリスマスに公開されていますので、私がまだ生まれる前です。ですので、私が観たのはテレビ放映です。80年代の前半、高校1年か2年の時だったと思います。

『荒野の用心棒』が日本で公開された時のB2版ポスター(筆者蔵。以下同)。日本語タイトルの上にあるイタリア語タイトルは「一握りのドルのために」の意味。監督名「ボブ・ロバートソン」はセルジオ・レオーネの別名。エンニオ・モリコーネも国によっては別名を使ったという話もありますが、日本では当初からエンニオ・モリコーネでした。

映画が始まると、撃ち合うガンマンのシルエットのイラストが踊り、ギターの伴奏と口笛の主旋律。それまでの西部劇音楽と全く違うスピーディなテーマに、いきなり引き込まれました。

「それまでの西部劇音楽」というのは、それまで私が観ていた西部劇ということですが、たまたま、それ以前には『大いなる西部』('58)、『荒野の七人』('60)など、アメリカ製西部劇をテレビで観ており、そういう意味で順序よく概ね製作順に観ていました。なので、世の中の人が劇場で『荒野の用心棒』を観た時の感激と同様の感激を私は味わうことができたのだと思います。

「それまでの西部劇音楽」は、どちらかと言えば、雄大な西部の情景を思い浮かべさせるものであったり、ヒロイックな印象のもの(結構それも自己陶酔的な)が主流であったと思います。『荒野の用心棒』の音楽は、そのような西部劇のイメージを完全に断ち切り、アクティブでスピーディ、疾走感あふれるメイン・テーマを叩きつけてきました。

映画のオープニングでは、テーマ曲とともに銃声を連続して響かせ、これが無情な殺し合いを想起させました。この銃声が、あたかも「合いの手」というか、タップダンスのタップ音というか、まるで音楽の一部のように共鳴していました。これにはただただ驚き、しびれました。

ですが、サントラ盤には銃声は入っていませんので、銃声は音楽の一部とは位置付けられていなかったのだと思います。日本のラジオ局が、この曲を流す時に銃声をミックスしたことがあり、それが好評で、レコード会社に銃声の入ったバージョンを売ってくれという要望が殺到したという話を聞いたことがあります。

私はテレビの前にウォークマンを置いて、全編録音しました(何という慧眼!)。このテープはその後繰り返し聞いて楽しみました。そのため、モリコーネの音楽の入り方から、山田康雄の吹き替えの言い回しまですっかり覚えてしまいました。

『荒野の用心棒』アメリカ版先行ワンシート・ポスター。このポスターのように、先行宣伝ポスターでは、キャスト、スタッフ名どころか、映画のタイトルさえ示されないことがあります。

ダラー・シリーズ

続編の『夕陽のガンマン』('65)では、テーマ曲がやや哀愁を帯びました。それでもひょうひょうとしたアンチ・ヒーローな雰囲気とスピード感は健在でした。『荒野の用心棒』のオープニングの銃声はピストルのようでしたが、『夕陽のガンマン』ではライフル銃の銃声になりました。ちなみに、『荒野の用心棒』の原題は『一握りのドルのために』で、『夕陽のガンマン』の原題は『もう少しのドルのために』。つまり、正統な続編です(この原題のため、レオーネ/イーストウッド/モリコーネのマカロニ三部作は「ダラー・シリーズ」とも呼ばれているそうです)。

『夕陽のガンマン』アメリカ公開版ワンシート・ポスター。タイトルはイタリア語タイトルから直訳した「もう少しのドルのために」。セルジオ・レオーネは実名を使っています。レオーネの右隣にモリコーネの名前があるのですが、まだまだ小さい扱いです。

さらにその続編『続夕陽のガンマン地獄の決斗』('66)では、疾走感はそのままに、オーケストラを動員。進軍ラッパを響かせ、かなり豪華な音楽になりました。南北戦争時代が舞台ということもあり、オープニングの銃声は大砲の音になりました。『荒野の用心棒』と『夕陽のガンマン』のサントラ盤は、2作品でようやく1枚のLPになりましたが、『続夕陽のガンマン』は立派に1作品で1枚のLPになりました。

この映画の原題は『良い者、悪い者、醜い者』。年号は出ませんが、『荒野の用心棒』より、明らかに前の時代が舞台です。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』でイーストウッド演じる主人公の着る緑色のポンチョ。どういういきさつでこれを着るようになったのか、それが『続夕陽のガンマン』で描かれます。乱世を生きる中でも優しさを失わない主人公を象徴する場面となっています。今でいう『~ビギンズ』とか『エピソード・ゼロ』のはしりだと思います。

『続夕陽のガンマン地獄の決斗』の日本版B3ポスター兼プレスシート。クリント・イーストウッドの名前の上に英語タイトルが刷られていますが、"bad"と”ugly”の順序が逆になってしまっています。正しくは、"THE GOOD, THE BAD AND THE UGLY"です。

「過去」と「現在」のモリコーネを追いかける

この頃、旧作の映画を観ることができたのは、テレビか名画座でした。ビデオはまだ普及しておらず、手軽に観たいものを観れる時代ではありませんでした。テレビの放映予定と名画座の上映予定をこまめに雑誌でチェックして見逃さないように必死でした。

インターネットもありませんので、モリコーネが音楽をやったということは、映画を観て初めて知るということもしょっちゅうでした。

アンリ・ヴェルヌイユ監督のフィルム・ノワール『シシリアン』('69)をテレビで観たのもこの頃だったと思います。レオーネ監督の『ウェスタン』('68)、トニーノ・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』('74)もこの頃です(あとで気づきましたが、『ウェスタン』と『ミスター・ノーボディ』の音楽はかなりかぶっています)。

『シシリアン』日本公開時のB2版ポスター。フランス三大スター共演が売りになったこの映画、ポスターにモリコーネの名前は確認できますが、小さい扱いですね。
『ウェスタン』イタリア版2シートポスター。モリコーネの名前は見当たりません。十字架を模してデザインされたタイトルは、英訳すれば"ONCE UPON A TIME IN THE WEST"。84年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』はこの映画の姉妹作としてつくられたことがわかります。『ウェスタン』は19年に日本でリバイバル公開された際、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』と改題されました。

映画館では、ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』('82)が衝撃的でした。レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』('84)の情感あふれる曲に感動したのも、この頃でした。

『遊星からの物体X』の音楽をモリコーネがやっていたことを認識している人は多くないのではないでしょうか? それにどんな音楽か覚えている人も少ないでしょう。静かに迫る恐怖、そしてそれが露わになる時の激しさ。メロディを抑え、トーンを抑えた曲は、あまりモリコーネらしくなく、どちらかと言えばジョン・カーペンターっぽい曲でした(今回の映画『モリコーネ』でも、完全スルーでした)。

「すみや」でサントラ盤を

これらの音楽に感激した私は、当時渋谷にあったサントラ盤専門店「すみや」でモリコーネのベスト盤CDを見つけ、買いました。すでに大学生になっていたとはいえ、学生の財布には厳しい2枚組6000円位でした。

日本版CDだったのですが、ジャケットやライナーノーツでは映画タイトルや曲名が英語やイタリア語で書かれていました。そのため、何の曲だかよくわからないものも多かったのですが、聞いてみると全くタイプの違う曲が揃っており、その多才ぶりに驚きました。(実は、未だに何の映画の曲かわからないものが何曲かあります。映画のタイトルであれば、たとえイタリア語でもある程度わかりますが、その中の曲名しか書いていないと厳しいですね。)

実は、この頃、私は映画のサントラ好きということに、ややひけ目を感じていました。普通のレコード屋に行っても、サントラ盤は端の方に置いてあって、何か「特殊な趣味」であるかのような扱いでした。なので、珍しいサントラ専門店である「すみや」は居心地が良かったです。

モリコーネも、映画音楽を始めた当初、音楽業界から何か下に見られるような空気を感じ、居心地の悪さを感じていたとのことでした。そして「もうやめる」「もうやめる」と何度も言っていたそうです。

大学生だった私は、この頃、映画館では、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』('87)、トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』('89)といった名作の公開に立ち合うことができました。これらは、モリコーネの音楽としても非常に有名で、多くの人がメロディーを思い出せるのではないでしょうか。

『アンタッチャブル』の6曲目

『アンタッチャブル』で、主人公たちを讃える曲があるのですが、今回の映画『モリコーネ』によれば、モリコーネは6曲の案を出したそうです。その際、「6曲目は気に入らないからやめてくれ」と言ったのですが、その6曲目が採用されたそうです。劇中で流れるこの曲は、すばらしく感動的で、私はとても好きです。でも、是非、他の5曲も聞いてみたいものです。

社会人になってから研修でフランスに住むことになった私は、そこでまたモリコーネのフランス版のベスト盤CDを買い足し、聞きまくりました。恐らく、すべての音楽ジャンルを通して、私がこれまでに最も多く聞いた作曲家はモリコーネだと思います。

映画『モリコーネ』で流れる曲のほとんどを知っており、あらためて感動しました。自分の青春時代と重なるところもあり、感動もひとしおでした。モリコーネの音楽のすばらしさを誰もが認めるようになり、かつて映画音楽や映画音楽作曲家を下に見ていた人は深く反省したそうです。多くの人がモリコーネの音楽を讃える姿を観て、私は自分のことのようにうれしく思い、ちょっと涙を流してしまいました。

その一方で、曲はよく知っているのに、まだ観てない映画がいくつもあることに気づきました。いつでも観れると思っていると、いつもまでも観ないものですね。ぜひ時間をつくって、観なければと思いました。

『モリコーネじかけのオレンジ』を!


最後に一つ。

スタンリー・キューブリック監督が映画『時計じかけのオレンジ』の音楽をモリコーネに依頼したがっていたというエピソードには驚きました。

『時計じかけのオレンジ』が日本で公開された時のB2版ポスター

キューブリックがセルジオ・レオーネに相談したところ、レオーネは「彼は今『夕陽のギャングたち』の曲をやっているから忙しい」と言って依頼させなかったそうです。実際には、『夕陽のギャングたち』の作曲はすでに終わって映画の編集段階にあったらしく、なぜレオーネがそんなことを言ったのかわからないそうです(ちなみに、今回の映画では流れませんでしたが、『夕陽のギャングたち』の曲も素晴らしいです)。

あとでそれを知ったモリコーネはとても残念がったそうです。完成した『時計じかけのオレンジ』は、暴力的な主人公が傾倒するベートーベンの音楽を電子音でアレンジした曲の数々をサントラに使い、それはそれで素晴らしい仕上がりになったと思います。

でも、モリコーネがやっていたらどうなったのでしょう。よく、映画でディレクターズカット版というのが後に公開されることがありますが、モリコーネ版『時計じかけのオレンジ』を見てみたいですね。

モリコーネが逝去してしまった今、かなわぬ夢ですが・・・。



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