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台湾蔡英文総統の米国立ち寄り~その変貌ぶりに注目

台湾の蔡英文総統は、先月から今月にかけての中米歴訪の前後に、米国に立ち寄りました。中南米は、台湾が外交関係を有する国との関係強化の観点から、台湾にとって重要な訪問先ですが、その前後での米国立ち寄りは、それに勝るとも劣らないくらい重要な「事実上の訪問」になっています。

蔡英文氏自身も、総統就任以前、野党時代から米国訪問を繰り返しています。野党時代には、「立ち寄り」ではなく「訪問」でしたが、言うまでもなく、現在は総統としての立場を考慮し、立ち寄り形式にしたということであって、何ら重要性が変わったわけではないでしょう。

タイトルに入れた「変貌ぶり」というのは、そういうことではなく、むしろアメリカ側の受け止めです。

以前、米国では、台湾の総統や総統候補者が訪米する際、その人物が中国との関係を安定的に運営していけるか、両岸関係が悪化しすぎることはないか、慎重に見極めている印象でした。

例えば、11年、蔡英文氏がまだ野党党首の時代、訪米時の講演において、「(中国が重視している)『92年コンセンサス』はある程度捏造された虚構のもの」と述べ、これとは別に真に民主的な「台湾コンセンサス」をつくることを提唱しました。

「92年コンセンサス」については、文書で存在せず、その存否、内容につき時折議論が紛糾します。基本的には、「『一つの中国』という共通理解と、各々がその意味内容を表現する」(「一中各表」)がその内容と言われています(詳しくは下記記事を参照ください)。

11年の訪米で、「92年コンセンサス」を事実上否定した蔡英文氏に対し、米国政府関係者は「蔡英文氏には安定した中台関係を維持する能力があるかどうか疑問」と発言したと報じられるなど、米国内は蔡英文不支持の雰囲気になりました。

このことは、台湾内で対中関係を重視する人たちに加えて、対米関係を重視する人たちをも反蔡英文に向かわせ、12年1月の総統選挙における蔡英文氏落選につながったと見られています。

ここで教訓を得た蔡英文氏は、次の総統選挙前年の15年、改めて訪米し、より穏健な対中政策を打ち出します。この訪問で、蔡英文氏は、「この20数年来の協議や交流の成果を基礎とする関係発展」を表明しました。蔡氏は「92年コンセンサス」と明言はしなかったものの、「この20数年来の・・・」との言及は、講演を行った15年からさかのぼって23年前の「92年コンセンサス」を指すことはほぼ明らかでした。

この発言の翌日、米国政府は、蔡英文氏を総統候補者として初めて国務省内に迎え入れ、当時のブリンケン国務副長官(現国務長官)が会談しました。その後の国務省のコメントで、米国政府は蔡英文氏の訪米に感謝するとともに、「建設的な意見交換ができた」と肯定的に評価しました。

このような米国による高評価は、台湾内での評価にもつながり(世論調査で、蔡英文氏の訪米を評価するとの声が65%)、翌年1月の総統選における蔡英文氏勝利につながっていきました。

このように、米国は台湾要人、特に総統や総統候補者の訪米において、中国との関係を安定的に維持できる人物かどうかという視点から評価する傾向がありました。そのことは、特に民進党との関係では、対中強硬化にブレーキをかける方向で作用していたわけです。

それに対して、今回の蔡英文総統の米国立ち寄りでは、むしろ米国側の対中強硬姿勢を台湾側が抑制するような雰囲気が見られました。

米国内では、党派を超えて中国に対する警戒感が高まっています。それは、人権や民主主義といった基本的価値の問題に加えて、半導体確保やその他基幹インフラ・システムの安全性・持続性確保や情報の保全など、より直接的な脅威によって裏付けられています。特に議会が政府にも増して対中警戒感を強めています。

昨年8月には、民主党のナンシー・ペロシ下院議長(当時)が台湾を訪問し、中国がこれに激しく反発しました。民主党にも増して対中強硬の姿勢をとる共和党として、現在のケビン・マッカーシー下院議長の台湾訪問は何としても実現したい課題でした。

むしろそれにブレーキをかけたのが台湾側だったわけです。今回の蔡英文総統の米国における講演は非公開で行われ、そこでどのような姿勢がとられたのか、その全容は明らかになっていません。台湾総統府が発表した抜粋によれば、「中国は意図をもって緊張を高めているが、台湾は冷静な対応を続けている。」などと発言した模様です。そのこと以上に、今回の米国立ち寄りにおいて、蔡英文総統はマッカーシー下院議長と会談することで、同議長に台湾訪問を諦めてもらった(と見られる)ことが注目されます。

台湾としては、ペロシ議長の訪台については歓迎しており、マッカーシー議長が訪台することも本心では歓迎だったでしょう。そこに、差別する意図は全くなかったと思います。しかし、ペロシ議長の際の中国側の激烈な反応を見て、これはさすがにやばいと思ったわけです。

中国は、来年1月の台湾総統選挙を見据え、台湾の国民党(親中)を厚遇するとともに、民進党への圧力を強め、国民党政権誕生に向けた工作を進めています。蔡英文総統としても、中国に民進党への圧力を一層強化する口実を与えたくなかったものと思います。今回も、中国側は強く反発し、「対抗措置」として3日間にわたって台湾海峡付近で軍事演習を展開しましたが、昨年8月の反発に比べればそのレベルは抑えられていました。

このように、米台関係の安定的な維持に向けて抑制的な対応をとったのは、むしろ台湾側(それも民進党政権)だったということに、中国をめぐる国際関係の変化を感じました。


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