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次は台湾が危ない~中国の強硬姿勢が止まらない(1/3)

このところ、日米をはじめ、G7主要国の間で台湾問題についての警戒感が急速に高まっています。日米首脳会談において懸念が共有されたのに続き、G7外相会合でも台湾問題についての平和的解決が謳われました。香港に対する締め付けの強化に続き、中国が次に標的とするのは台湾であると見られます。

これまでも、中国は台湾を国際社会から排除しようとあらゆる手をつくしてきましたが、最近は軍事的圧力を強化しており、状況はますます緊迫してきています。世界におけるリベラル民主主義の推進のためにも、台湾が中国の圧力に屈することがあってはなりませんが、一方で軍事衝突も避けなければなりません。

どこで何がおかしくなってきたのか。どうしたら沈静化できるのか。3週にわたって連載したいと思います。

1週目は、中国による台湾政策が、現実的な政策から強硬策に転じ、台湾を国際場裏から締め出すようになった流れをたどります。

国際社会における懸念の高まり


21年4月の日米首脳会談における共同声明では、「インド太平洋地域及び世界の平和と繁栄に対する中国の行動の影響について意見交換するとともに、経済的なもの及び他の方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」とされ、特に「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。」とされました。

日米の首脳文書に台湾問題が明記されるのは1969年以来のことです。つまり、日本やアメリカが中国と国交を正常化してから初めてということです。

また、5月、G7外相会合では、「中国に対し、高度な技術力を有した主要国及び主要経済国として、ルールに基づく国際システムへの建設的な参画を促す。」とされ、台湾問題について、南シナ海や東シナ海の問題と並んで、以下のように懸念が表明されました。

「我々は、台湾海峡の平和及び安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す。我々は、緊張を高め、地域の安定とルールに基づく国際秩序を損なう可能性のあるいかなる一方的行動にも強く反対することを改めて表明し、地域における軍事化、威圧及び威嚇の報告についての深刻な懸念を表明する。」

G7の枠組みにおいて台湾問題に言及するのは極めて異例のことですが、この流れにおいて、来るべきG7首脳会合(サミット)においても、必ずや同様の懸念が共有され、共同文書に盛り込まれることが予想されます。(5月末の日EU首脳会談で発出された共同声明にも、台湾問題につき同様の認識が盛り込まれました。)

中国の喉に刺さったトゲ


もともと、習近平政権による台湾政策ははじめから強硬だったわけではありません。さまざまな紆余曲折がありました。

中国と香港の関係も非常に特殊ですが、中国と台湾の関係もまた別の意味で特殊です。それは、中台それぞれが国際社会において活動しており、外交関係を奪い合っていることに一つの要因があります。

国際社会における行動のすべての基礎は外交関係にあります。国際秩序を自らの思うように築くことを目指す中国は、あらゆる手段を用いて各国との関係を強化するとともに、外交関係を結ぶことができていない国を減らしていくことを喫緊の課題と捉えているようです。

49年に成立した中華人民共和国は、長らく国連における代表権を認められず、なかなか外交関係を広げていくことができませんでした。それが、アメリカの政策転換もあり、71年に国連における代表権が認められると、アメリカをはじめ、欧米諸国や日本との外交関係の開設が飛躍的に進みました。

中国による外交関係の開設は、すなわち台湾と相手国との外交関係を断絶させることを意味し、それは中台間の外交戦になります。中国は、近年の経済力の増大を背景に、巨大経済圏構想「一帯一路」に各国を取り込むなどして、各国の外交関係を台湾から中国に切り替えさせることに成功してきています。

ただし、歴史的に見ると、中台それぞれの政権の考え方と中台関係の状況により、中国の台湾に関する動きには硬軟や緩急があります。習近平政権において、当初は台湾との関係が穏健に進むのではないかと見られました。しかし、特に台湾において民進党蔡英文政権が成立してからは、台湾に対する姿勢が急激に硬化し、台湾を国際社会から締め出す動きが加速しました。

蔡英文が総統に就任した16年5月の時点で、台湾と外交関係を有する国は世界で22か国存在していましたが、19年9月までにそれが15か国まで急速に減っていったのです。

「92年コンセンサス」の位置づけ


中国の台湾に対する姿勢(ひいては外交関係拡大の動き)は、台湾側の政権が「一つの中国」原則に対してどのような立場をとっているかによって大きく左右されています。

中国は、92年に中台間で合意したとされる「92年コンセンサス」を台湾側が受け入れることを重視してきました。この「92年コンセンサス」は、明示的な文書の形で存在していないため、その合意の内容、合意の有無につき、常に物議をかもしています。

基本的には「一中各表」がその内容とされています。これは「『一つの中国』という共通理解と、各々がその意味内容を表現する」ということです。これにより、中国側としては、「一つの中国」の原則を台湾側に受け入れさせることを意味し、一方で台湾側としては、「一つの中国」の説明として「中華民国としての一つの中国」という説明もできることとなります。いわば、同床異夢を認める内容なのです。

13年に習近平政権が成立した当初、台湾は国民党の馬英九政権でした。馬英九総統は、この「92年コンセンサス」の受け入れと「台湾独立への反対」を表明しており、このため中国は台湾に穏健な政策をとりました。これに対して、民進党は基本綱領として台湾独立を掲げているため、基本的に中国としては警戒感を抱いています。

ただ、民進党としても、大陸と対決姿勢をとっていては現実的な政権運営ができず、台湾の中でも支持が得られません。実際、その前の12年の総統選挙において蔡英文が勝利できなかったのは、現実的な大陸政策を打ち出せなかったためとも言われています。そのこともあり、蔡英文は相当に柔軟な大陸政策を掲げて総統選挙に臨みました。それにより、習近平主席も一時は相当な歩み寄りを見せていました。

16年1月の総統選挙の半年以上前の15年6月、蔡英文は訪米し、戦略国際問題研究所(CSIS)にて講演を行いました。その中で、蔡英文は、「中華民国の現行の憲政体制の下での、両岸関係の平和と安定した発展の推進」と「この20数年来の協議や交流の成果を基礎とする関係発展」を表明しました。蔡氏は「92年コンセンサス」と明言はしなかったものの、「この20数年来の・・・」との言及は、講演を行った15年からさかのぼって23年前の「92年コンセンサス」を指すことはほぼ明らかでした。

このような柔軟な大陸政策もあり、各種世論調査における蔡英文支持率は高まり、それに対する習近平主席の姿勢が注目されました。

15年11月、習近平主席は馬英九総統との間で、歴史上初の中台首脳会談を行いました。これは、その時点で当選がほぼ確実視されていた蔡英文に対する牽制という意味合いもあったと思います。しかし、習近平はその会談にて「92年コンセンサス」の直接の受け入れは求めず、「『92年コンセンサス』の歴史的事実を承認し、その中核的意味に賛同すれば、我々は喜んで交流する」と述べ、柔軟な姿勢を示したのです。これは、たとえ民進党政権が誕生しても、中国が現実的で穏健な政策をとることを習近平主席が表明したものと受け取ることができました。

これを受けるかのように、蔡英文は12月25日、「92年の会談の歴史的事実を否認していない。そこで得られた相互理解の精神と、小異を残して大同につく方針に賛同する」と述べました。ここでも、蔡氏は「92年コンセンサス」とは言いませんでしたが、「92年の会談」とのその精神に賛意を示し、これにより習近平の立場とかなり接近したのです。

習近平の方針転換~台湾に対する「いやがらせ」へ


16年1月、蔡英文は総統選挙に勝利し、5月に総統に就任しました。就任演説にて、蔡氏は、改めて「92年に両岸間で話し合いが行われ、若干の共通の認知と理解が得られたという歴史的事実を尊重する」ことを表明し、中台間の現状を維持することを表明しました。これにより、中台関係は引き続き安定して推移するものと思われましたが、どういうわけかその直後に中国側が急に態度を硬化させたのです。

中国側は、蔡英文の就任演説に対し、蔡英文が「92年コンセンサス」を明確に承認していないとして批判し、就任演説は「未完成の答案である」と断じました。「92年コンセンサス」そのものを受け入れていなくとも、その「中核的意味」に賛同すればよいとしていた姿勢を明らかに転換したのです。蔡英文の当選から就任までの半年程度の間に、習近平主席が戦術を練り直したものと見られます。そこから、台湾を国際社会から疎外し、各国に外交関係を転換させる強力な外交が展開されていきました。

確かに、5月の蔡英文総統就任の少し前から、その片鱗が見られていました。まず、3月に中国はアフリカのガンビアと国交を開設しました。ガンビアと台湾はすでに13年に国交を断絶していましたが、台湾が国民党馬英九政権の間は中国も国交開設を見送っていました。それが、蔡英文の当選後、ついに開設に踏み切ったのです。

4月には、ケニアが強制退去処分にした台湾詐欺グループを、中国が圧力をかけ、台湾ではなく中国本土に強制送還させました。ケニアは習近平の「一帯一路」構想のアフリカにおける重要拠点となっており、北京との関係が強化されていました。

また同月、中国からの圧力により、OECDの議場から台湾代表団が一時締め出される一幕もありました。5月のWHO(世界保健機関)総会への台湾宛招待状には、「一つの中国」原則の但し書きが添えられていたことが判明しました(当時のWHO事務局長は中国人のマーガレット・チャン氏)。

蔡総統が就任した5月以降、中国から台湾への旅行者は減少します。中国政府が旅行会社に何等かの圧力をかけ始めたものと見られます。

5月末には、「台湾からの柑橘類に有害な菌が検出された」として、検疫が強化されました。

6月、中国国務院は、馬英九政権から続いていた中台間の連絡メカニズムを停止したことを発表しました。

7月、FAO(国連食糧農業機関)の会議に台湾から派遣された職員が、中国の圧力で出席を拒否されました。

さらに9月には、それまで特別ゲストとして出席していたICAO(国際民間航空機関)の総会の招待状が台湾に送付されず、台湾は出席できないこととなりました(この時のICAO事務局長は中国人の柳芳氏)。中国政府の報道官は「台湾は中国の一部なので、参加する権利はない」「なぜ3年前は参加できて今年は参加できないのか、深く反省すべき」「『92年コンセンサス』を認めない限り、台湾に国際的活動空間は存在しない」などと強調しました。

このように、中国によるいやがらせともとれる対応は、執拗に続けられました。翌17年以降も、国連本部や専門機関の会合、キンバリープロセス(違法ダイヤ対策会議)、世界医師会などにて台湾からの出席が拒否されたり、台湾出席者のステータスをめぐっていざこざが起きました。台湾人被疑者を台湾ではなく中国本土に強制送還させる事例も後を絶ちませんでした。

WHO総会については、16年には、「一つの中国」原則の但し書きつきで、台湾はオブザーバー参加できましたが、17年以降は出席を拒否されています。

19年に入ってからは、中国から台湾への個人旅行が8月以降正式に停止されたほか、同月に台湾で開催予定だった国際スポーツ大会「東アジアユースゲームズ」も、中国の反対により中止となりました。

10~11月に台北で開催予定だったフィギュアスケートの国際大会も、国際スケート連盟が中国本土に開催地を変更し、各方面への中国からの圧力が継続していることが伺われました。

さらに、中国政府は、11月の台北金馬映画祭に中国作品や関係者が参加しないことを決定しました。

20年9月には、国際的な鳥類保護団体「バードライフ・インターナショナル」が台湾の「中華民国野鳥学界」を除名しました。

中国によるこのような政治的「いやがらせ」は、台湾のみならず、それぞれの専門分野における国際的取り組み全体にも悪影響を及ぼしています。新型コロナ・ウィルスにかかる対応では、台湾がWHOへのオブザーバー参加を拒否されているために、台湾における新型肺炎の状況についてWHO加盟国は正確な情報を得ることができず、また台湾もWHOで共有されている情報を十分に共有することができていません。これにより、国際的取り組みに地理的な空白地帯を生じることとなっているのです。

(20年2月に開かれたWHOの「研究会合」に台湾の専門家が参加することは認められました。技術的な専門家レベルの会合については、ある程度妥協せざるをえないと中国政府が考えたものと思われますが、総会へのオブザーバー参加は未だ認められていません。本稿執筆時点で、21年のWHO年次総会が開催されていますが、台湾の参加は認められていません。)

(次週(2/3)に続きます。次週は、中国が各国に台湾との断交をせまるとともに、「一つの中国」に関する台湾への要求水準をさらに引き上げ、それがかえって台湾の人々の反中感情を高めた流れを振り返ります。)

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