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母として妻として社会人としての自分

女性は20代後半から30代にかけてずーっと人生がぐるんぐるんと
変化していって、それに対応していくだけでも必死。

結婚
妊娠
出産
社会復帰
育児

結婚していなくても
子どもがいなくても
きっと会社での立場などが
どんどん変わっていくのも
この時期。

この時期に自分が何を考えて働いていたのかを
整理してみることにする。

妊娠・出産・社会復帰の時期は
会社に迷惑かけないようにするだけで必死


この時期には、とにかく会社をできるだけ休まないように
当たり前のことを当たり前にこなすだけで精一杯でした。

1年先の自分の状態も想像できない。

今日1日をこなすだけでクタクタ。

まさか自分で開業するなんて思いもしなかったし、
むしろ組織に属する方が自分には向いていると思っていた。

でも、自分の仕事以外のことでも、
将来の自分に役に立つかもしれないと思ったことには
何でも挑戦してみたかった。

百貨店の販売だけではなく
チャンスがあれば製造の現場にも挑戦したいし、
DMやWeb業も、将来役立つと思ったことは
全部やってみようと思っていた。


開業のきっかけは実家の危機


実家は経済的に余裕がないことは知っていたけど、
本格的に危機を感じたのは

父が70歳を過ぎて仕事がなくなり、
中国から日本に帰ってきた辺りから。

年金では生活できない。
でも母は専業主婦。
父と母の夫婦仲は良くない。

なのに一緒に生活するようになった二人は
喧嘩が絶えない。

仕事もない。
お金もない。

いつも両方から愚痴のメールや電話。

母の精神的苦痛が限界に達しているなと感じた時に
仕事を辞めることに決めた。

できるだけ孫を使って
二人の仲を和ませようとしていたけど、

それも限界。

自分で開業をすることを決意して、
私の仕事を父に振ろうかとも考えていたが、

どうにもこうにも話がうまく進まない。。。。

70歳過ぎても大きな仕事にこだわる父と、
開業したばかりのハンドメイド業の私。

量産して工場を動かしたい父と(資金もかかる・・・)
ハンドメイドで少量生産で勝負したい私とでは
うまくいくわけがなかった。


親は親、私は私。


父は結局地元のシルバーの仕事をして

私は自分の思うような商品を作ることになった。

いつか、洋裁が得意な母には
縫製を手伝ってもらうことができればとは思っているけれど、

趣味程度の縫製しかできないので、
今はやれることがあまりなく、
厳しい納期や縫製の質にこだわる仕事はできないので、
それもまだ達成できていないけれど、

いつか手伝ってもらえたらな。
とは思っている。

やはり自分は自分で頑張って、
親は親で、元気なうちは自分でなんとかしてもらいたいものです。


開業のきっかけはママ友


実家の危機と共に開業のきっかけになったのは
保育園のママ友。

一人で小さなセレクトショップをしているママさんですが、

「うちの店に帽子置いてみない?」
と言ってもらえたのが大きなきっかけになった。

最初はオーダー会から。

今となっては安すぎる値段を付けていたけど、
オーダーでこの値段!ということで一気に50個くらいの
オーダーが来た時は寝る間もなく作った。

とにかく必死でしたが、無名のブランドの帽子を
買ってくれるだけで有難かったし、
経験をさせてもらえることがチャンスだと思ったので、
頑張ると決めていた。


開業1年目は何でもやると決めていた


最初の1年は何でもしようと思っていた。

こんな商品が欲しいと言われたら、できる限りは応えたい。

仕事は選ばない。

と決めていた。

これが良かったのかは今でも分からないけど、

実績と経験は積めたことは後に宝になると信じていた。


それと同時に、ちゃんと経営についても考えなくてはと思っていたので、

会計に関しても納税協会の会員になって、
確定申告、青色申請、などの勉強も市の講習を受けにいき、

自分で会計することにした。

確定申告しなくてもいいくらいの赤字・・・。笑
正直、現実を見たくなかったので、しんどい作業でしたが、
後に絶対為になると信じて頑張りました。


値段設定がおかしいと気付く


ハンドメイドな上にオリジナルプリントを手刷りで入れていたので、

かなり手間がかかる作業をしていた。

のに、大量生産の帽子と同じような値段設定で始めた私。

当たり前ですが、
すぐに「割に合わない」としんどくなりました。w

そのうち、オーダーが入ることさえ、しんどくなり、
作ることさえ嫌になりそうになって、

これはどうにかしないと辞めたくなる。

と思ったので、価格の見直しをしました。


その頃、百貨店のイベントにも出店させてもらえるようになっていたので、
それに乗っかって値段も上げる。

それでもやはり、自分の感覚のこの値段は高いだろうな
という思いが邪魔をして、

本当の希望の価格まで上げる勇気が出ない。

これは自分の自信の無さを象徴していた。

百貨店のイベントでも売れないことも多々あり、
余計に自信喪失。


コロナウィルス発生でどん底


ずっと制作しているので、腕はどんどん上がる。
設備もどんどん整う。

百貨店の規定に合うように完成度も上がる。

少しずつ自信も付いてきた頃、

コロナウィルス発生。。。

百貨店のイベントはほとんど中止。

新しく服や帽子を買いたい欲求も人々から薄れ、

このまま続けていけるのだろうか?
やめようかな。とかなり弱気になっていました。


この頃、とにかくマスクを作って欲しい

と言われるようになりました。

帽子ではなく、毎日マスクを縫う日々。

帽子は売れないのにマスクばかり売れる。

今思うと、マスクに救われていた部分もあるのですが、

この頃の私には、
「あなたの帽子は必要ない。」
と言われているような気がして、マスクは私ではなくてもいい気もして、

作りながらモヤモヤしっぱなしでした。


とにかく今の状態から脱却したい!


ただその思いだけは日々強くあったけど、

何を頑張ればよいのかも分からず、

ただ、あまり悲観的にならないように、

いつかコロナが落ち着いた時の為に、作りたいと思っていた
デザインの帽子を今作っておこう!

いつかそれをお披露目できる日が来る!

そう信じて作ることだけ考えるようにしていました。


そして、赤字でも確定申告していたことが役に立ち、
コロナの給付金に助けられ、過去の自分を褒めたのでした。w


この給付金は、絶対有意義な使い方をしたいと思ったので、
高くて手が出なかった木型を増やしたり、
欲しかった設備を購入したり、
未来の自分に投資しよう!と奮発しました。


コンサルが目に留まる


SNSなどでよくあるコンサルの広告。

怪しいから全く興味がなかったのですが、

Club Houseが急激に民間人に浸透し出した頃、
なんとなくハンドメイドについて話している
集まりに聞き専でたま~に入っていた。

その時に、

この人の意見を聞いてみたい!

という人がいた。

帽子作家だった人で
ハンドメイドに特化したコンサルをしていた人が
話すその言葉がやけに刺さり、

この人のコンサルを受けてみたい!

と思ったらすぐ行動。(ここは自分の良いところだと思っている)

インスタフォローからのDM送信。

「コンサル受けてみたい」

迷いは全くなく、コンサル料を取り戻せるだろうという
根拠のない自信もなぜか湧きあがり、

瞬殺で入金まで済ませた。w

ここから流れがまた一気に変わることになる。



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