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心の水面を眺める日々。

会う度に最近あった事件を話してくれる人がいる。

「どんな生き方をしていればそんなことが起こるんだろうか」
と思うのと同時に、
「なんでそんなに色々なことが起こるんだろう」と思うばかり。

僕には話して盛り上がる様なエピソードトークを持ち合わせていない。

なんでかなー。と考えると、すぐに答えが出てきた。

単純に、交友関係の数とか頻度なんだろうなと気づく。

可笑しなこと、不快なこと、唖然とすること...
全て人間関係の中で生まれるのだろう。

人生の悩みは全て人間関係だ。
と、アドラー心理学は言い切っていた。

なるほど。それじゃ、僕の人生には事件が起きないわけだ。
お笑い芸人のエッセイのタイトルを思い出しながら心の中で呟く。

思い返せば、ほとんどの時間を自分一人で過ごしている僕はここ数年人間関係のトラブルに遭遇したことがない。

良くも悪くも多くの時間を一人で過ごしていれば誰かに悩まされない。

もちろん誰かと関わることが嫌いなわけじゃない。
会いたい友人がいれば食事に誘ったり遊びに誘ったりする。
自分以外の人と関わることで、思い出が生まれたり、新しい閃きや考え方をもたらしてくれる。
そういった一人では味わえない経験も好きだ。

けれど、僕の性格上、長時間人と過ごすごとがあまり得では無い。
どんなに仲の良い友人でも、どんなに楽しい時間を過ごしても、
他の人に比べてすぐに心が疲れて独りになりたくなる。

だから一人の時間が多くなってしまう。

他人から見れば寂し人生だ。と言われることもある。
けれど、僕は決してそう思わないし、思ったこともない。

賑やかな日々は楽しいかもしれないが、
僕の心に大きな波を立ててしまう。
その大きな波に僕は疲れ果ててしまう。

そんな日々よりも、多くの時間を独りで過ごす方が性に合っている。

僕の毎日は、他人と関わることで心の水面を大きく揺らすのではく、
静かに生きる日々の中で、時折見せる水面の波紋を眺める様な日々だ。

些細な気づきや閃き、感動が僕の中に小さな波紋を立てる。
その波紋を眺め、時間をかけ丁寧に言葉にして自分自身に落とし込む。
その小さな波紋が自分自身を知るきっかけになったりする。

誰かから見れば、起伏のない平坦で寂しい人生の様に見えるかもしれない。
けれど、僕にとってはそのくらいの人生の方がちょうど良い。

波風立たない人生の中で、静かに広がる波紋の様な心の機微を茫然と眺め、物思いに一人耽る。
それだけで僕は十分人生を楽しんでいる。


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