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「答え」ではない、その人の「声」が出せる場所をつくりたい──哲学者・五十嵐沙千子さんインタビュー(2/3)

申込み不要。参加費も無料。テーマも決めない──そんな独自のスタイルを貫く哲学カフェが、毎月2回、茗荷谷と筑波で開催されている。主催するのは、筑波大学で教鞭をとる五十嵐沙千子さん。聞けば、ほとんどボランティアとしてこの活動を続けているという。ハイデガーやハーバーマスを専門とする哲学の研究者でもある五十嵐さんは、なぜプライベートの時間を使ってまで「哲学対話の現場」をつくり続けるのか。そこには、どんな思いが込められているのか。五十嵐さんのファンを公言してやまない運営メンバーの3人が、都内某所にあるカフェでインタビューを行った。全3回に分けてお届けする。
講義形式の授業が嫌で哲学対話形式の授業をはじめ、好評のあまり学外に飛び出したことで生まれたという「ソクラテス・サンバ・カフェ」。第2回では、五十嵐さんが哲学カフェの運営で大切にしていることについてお話を伺った。(interview by matsuishi, kinoshi, tagai)

■ コントロールはしない。対話が自然発生する場づくりに徹する。

──ソクラテス・サンバ・カフェでは、何かルールは設けられているんですか?

五十嵐:設けていないです。哲学対話って普通、「相手の言うことを最後まで聞く」とか「否定しない」とかっていうルールを作ると思うんですが、そういうルールは一切ない。ソクラテス・サンバ・カフェでは、相手の言うことを否定してもいいんですよ。

──言われてみると、はっきりルールを聞いた記憶はないですね。

五十嵐:というのも、哲学対話は「カフェ」の形じゃないとできないと思っていて。カフェには仕切る人はいないでしょう? だから私も、あくまで対話が自然発生的に生まれるのに任せている。もちろん殴り合いは良くないですが(笑)、例えば感情が激するときがあってもいいと思っていて。それも対話だと思うんです。
 コントロールされた理性的な対話というのは、確かに安全な感じがします。けれど、本当にそれで安全と言えるかは疑わしい。本音を殺してしまっている場合もあると思うんです。だから、うちのカフェでは自分の感情を出してもいいし、それで「ぐっ……」となってしまう人がいてもいい。そういう経験ができるということ自体が必要なんじゃないかなと私は思っています。

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──100パーセントぶつかり合うような経験すらも必要なんだと。

五十嵐:それは、信頼のひとつの形でもあると思うんです。最初から私がルールを決めるのは、「ルールを言わないとわからないでしょう」と確認するようなもの。私が参加者のみなさんを全面的に信頼していないとお伝えすることになってしまう。でも、ソクラテス・サンバ・カフェにいらっしゃる方はみんな大人なので、ある程度お互い信頼しあうことができるはずです。「私も信頼するから、みなさんも信頼してください。そして、ご自分のことも信頼なさってください」というスタンスでやっています。
 実はこれ、「オープンダイアローグ」の考え方にも近いものがあるんです。オープンダイアローグというのは、統合失調症などの症状を抱える患者さんを、通常の投薬ではなく対話によって治癒に導くという治療法です。医者が患者さんをコントロールするのではなく、あくまでも「私はただあなたの話を聞きたい」という姿勢で、医師や看護師さんたちが患者さんとコミュニケーションし、対話していくことで、治療困難だった患者さんが癒えていく。そこに、「医者はこうあるべき」という決まりは必要ないんです。

──ただ、ルールを決めないながら、プログラムとしてはかなり練り込まれているように感じます。チェックインからはじまり、テーマを出し、グループに分かれ、対話をし、途中でグループ間の交流をし……という。その背景には、どんなお考えがあるのでしょうか。

五十嵐:ひとつ言えるのは、話しやすい「空間」をつくるということですね。「アフォーダンス」という考え方があると思うんですが、どういう空間が話しやすくて、どういう空間が話しにくいかということは、最初の大学で哲学カフェのスタイルの授業をやったときに学生たちとよく話しました。
 たとえば教室には、「教室」という記号がいっぱい張り巡らされている。前方に大きな黒板があり、教壇があって、机が整列して並べられている。人間のあり方というのは、そういう「記号」によって大きく左右されるんです。それを変えないまま、教室に入ってきた学生にいくら「自由に話してください」と言っても、学生がしゃべらないのは当たり前。学生に話してもらうためには、学生の目に入ってくるアフォーダンスを変えることが必要なんです。

──なるほど。

五十嵐:でも本当は正直に言うと、ソクラテス・サンバ・カフェは全部その場その場でやっていて、適当なんですよ。

──そうなんですか!?

五十嵐:「そろそろ、ちょっとバラけたほうがいいな」とか「今度は3人のペアで話してもらおうかな」とか、「空気が冷えてきたから、みんなに立ってもらおうかな」とか。毎回、参加されたみなさんの様子を見ながら、その場でやることを決めていたりします。

──てっきり「40分経ったらグループを入れ替える」みたいに決めてやっているのかと思っていました。

五十嵐:全然そんなことはなくて。決まっているのは、最初にチェックインをして最後にチェックアウトをする、ということだけ。テーマも、何人かの参加者の方に出していただくこともあれば、ポストイットをお配りして全員にテーマを書いてもらうこともあります。でもその場合も、書かれたポストイットはみなさんにグループ化してもらうんです。私はしない。そうすると、みなさん一生懸命ポストイットをご覧になって「これとこれは近いんじゃないか」と議論なさるので、もうその時点で他の人たちが抱えている問題を全員が共有できるんですよね。

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──でも、そのスタイルを取るかどうかも、その日決めている?

五十嵐:そうです。ポストイット方式にするかどうかは、おもに院生がポストイットを忘れないで持ってきたかどうかで決まります(笑)。

──外部要因に大きく左右されるんですね(笑)。しかし、それはむしろ高度というか、その場その場で観察して適切なやり方を判断するのは、相当な経験を積まないとできなさそうです。

五十嵐:まあ、適切かどうかもわからないんですけどね(笑)。やってみてうまくいかないとわかったら、その都度変えればいいんです。
 基本的には「私のファシリテーション!」ではなくて、「場の力」があると思っていて。いらっしゃる方は毎回違うので、その都度何が生まれるか、どんな関係性が生まれるかはわからないんですよね。それなのに私が無理に場を作ろうとすると、自然な「横」の関係性ができないまま終わってしまう。だからある程度みなさんにお任せして、なんとなくの雰囲気で場が形成されるようにします。「今日はこの辺に集まっているな」とか「今日はわりと離れているな」とか。それを見てちょっと助けてあげて、そうして、だんだんと場が温まってくればいいかなと。

■ どんな声でもいいから、その人の声を出してほしい

──むしろ、それだけルールも形式も決めないでやっているのに、チェックイン・チェックアウトは毎回必ずすると決めているのは、何か理由があるのでしょうか。

五十嵐:それは、ソクラテス・サンバ・カフェが「フルメンバー・フルタイム」を大切にしているからです。要するに、最初から最後まで、「全員」が話したいときに話せる状況をつくるということですね。
 たとえば、一般的な哲学対話などでは「順番に話す」というやり方がありますよね。ファシリテーターが、誰が最初で、そこから時計回りで、などと決めて参加者に話をしてもらうという。一見、順番が決まっているので参加者も話しやすいかと思われるんですが、このやり方にした場合、全員が話したいときに話せるとは限らなくなってしまいます。だから、指名ではなくて、対話が勝手に起こってくる方がいい。
 それでもしずっと話せなくて黙って聞いている人がいたら、そのときは「ワールドカフェ」をしたりもします。これは、それぞれのグループでゲストとホストに分かれてもらって、ゲストがほかのグループのところに話を聞きに行き、もとのグループに戻ってきて共有する、というやり方。これをすると、それまで黙っていた人もゲストに説明しないといけなくなるので、なんとなく笑顔になって自然に話せたりもするんですね。

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──ああ、たしかに。

五十嵐:ワールドカフェが優れているのは、立って歩くというところ。人って、ずっと同じところに座っているとだんだん関係性が固定してくるんです。話す人は話す、話さない人は話さない、になる。だから、立って動いてもらうというのはすごく大事だなと私は思っていて。
 それに、自分の考えを話すのは苦手でも、整理して話すのは得意、という人も結構いたりします。そういう人が、ワールドカフェで初めてきちんと声を出すことができて、それを相手にちゃんと聴いてもらえる、という経験をする。「フルメンバー・フルタイム」で全員に声を出してもらうということは、私には本当に大切なんです。

──それこそ、よくある哲学対話のルールに「黙って聞いているだけでもいい」というのがありますよね。でも、ソクラテス・サンバ・カフェではあえて全員が少なくとも一度は声を出す機会をつくろうとしている。

五十嵐:ドイツに留学したときの個人的な経験はあると思いますね。日本の大学では、私の「声」を出すことは求められていないということに、そのとき気がついたんです。声というのは、正しい人が正しい答えを言うためのものだ、とされていた。でも、私はそういうのは好きではないし、自然ではないとやっぱり思うんです。だから、ソクラテス・サンバ・カフェに参加してくださる方には、どんな声でもいいからその人の声を出してもらいたいんです。「ふうん」でもいいし「よくわからないな」でもいい。「納得できない」でもよくて、どんな声でもいいから、「正解」ではない、「その人の声」を出せる場をつくりたいということは、強く思っています。

──五十嵐さんは、チェックインとチェックアウトのときにずっと沈黙が続いても気長に待っていらっしゃいますよね。ファシリテーターとしては気まずいからついしゃべって沈黙を埋めたくなってしまうと思うんですが、それをしないのは、「声」を待っていたんですね。

五十嵐:沈黙が続くと緊迫してみなさん辛いんじゃないかなとは思うんですが(笑)、それでも「順番にお話しください」とは言いません。ずっと沈黙が続いて、「どうしようか、どうしようか」と悩んだ末に、ちょっと声をかすれさせながら恐る恐る発言する、というプロセスがすごく大事なんです。
 それに、最初のチェックインのときに「頑張ります」と言うのではなくて、今の「気持ち」を出してもらうこと。気持ちが「声」なんです。そのうえで、その人の「存在」に対して──「意見」に対してではなく、勇気を奮って声を出してくれたその人の「存在」に対して──みんなで拍手をするということを、私はとても大事にしています。

──確かに、いまの社会ではそういうことができる場所が不足していますね。

五十嵐:不足というよりは、まるで無いですよね。普通の小中高大の授業のなかで「あなたの気持ちを言ってください」と言われることなんてまずないですから。国語の自由作文ならまだしも、数学の授業で「私はすごい辛いです」なんて言えない。

──でも、そういう教育を受けて育ってきてしまうと、自分から遠い他者に興味を持てなくなりそうだなと感じます。自分の気持ちを言うことが教育のなかで認められているドイツのような国だったら、決してそうはならないのかなと。

五十嵐:ドイツでは、生徒に正解だけを求めるということは一切ないですね。誰でも自分の意見を持っていいとされている。それが小学校から徹底しているし、お互いが「私はそうは思わない」「あなたの意見に私は反対だ」と言うのは全然ノーマルなことだから。

──先生としては、ソクラテス・サンバ・カフェを体験した人が社会に戻ってからも、そうやって自分の声を上げられるようになってほしい、という思いがあるんでしょうか。

五十嵐:そうですね……ただ、そんなに急にはできないとも思うんです。大学の授業でも、1年生で入ってから4年生で卒業するまで毎週参加してくれる学生が結構いるんですが、彼らが実際に社会に出て会社に入ったりすると、いろんな人間関係のなかで抑圧されて辛い思いをしていると聞きます。大学で自由に発言できるようになっているだけに余計に辛いと思う。
 でも、だからこそ、そういう場所が少なくとも私の時間のなかでは確保できるようにしたいという思いがあります。少なくとも彼らが心の中で、「この世界では自分の意見を言うことは許されていないんだ」と思うのではなくて、「言ってもいいときがあるし、言うこともできるんだ」と思えるようにすること。それが私の仕事なのかなと思っています。(第3回に続く)

─ INTERVIEWEE PROFILE ─

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五十嵐沙千子(いがらし・さちこ)
筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻単位取得退学。博士(文学)。東海大学文学部講師を経て筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授(現職)。2009年から市民のための哲学カフェ(筑波大学哲学カフェ「ソクラテス・サンバ・カフェ」)を主催。主な著書に『この明るい場所—ポストモダンにおける公共性の問題』(ひつじ書房、2018)などがある。

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