元特殊部隊指揮官とのBBQ”生きる力”

皆さんはBBQはお好きでしょうか?
実は私は特にBBQが好きではなく日本では1度しか経験していない。
たいてい日本のBBQは設備が整っていたり自然の中といっても安全区域でなされていると思う。間違っていたらすみません。

私はトルコで元コマンドと数名でBBQをしたことがある。
異国の地ではたいして興味がないBBQにも興味がでてくるものだと思った。
トルコでは兵役義務があり ( 今は確か大学に入っていればお金次第でその義務が免除されるようになったはず ) 、彼は勉強が苦手で進学する事を選ばなかったためシリアとイラクの国境地帯に2年間送りこまれたそうだ。( 学がない人は最前線に送り込まれる。)
戦闘が激しく毎日が生きるか死ぬかの緊迫した危険と隣り合わせの日々だったらしい。それとは反対に大学へ進学した人は緩いところに送りこまれ生死に関わる事とは程遠い場所に配属され任務をこなす。
そして温室育ちの緩い任務についた彼等は半年の任務終了後いかに兵役がつらかったのかを語るのだ。例えばお風呂になかなか入れなかったとか。

トルコはかなり前から国内外のテロに苦しめられてきたことをトルコへ行って初めて知った。世界ではニュースにならない戦闘はいくらでもあるのだろうとその当時に思った。

BBQ当日車を走らせ、まずは食料品と炭を購入した。
そして近くにBBQ施設があるのかなと思ったがそうではなく何もない景色が広がっていった。しばらくすると小さな村が見えてきた。
そして更に車を走らせ山道を登っていくと彼だけの場所といっても過言ではない野生の世界がそこにあった。
緑に囲まれ電波が届かない車と私達だけが存在する世界になった。

数時間車を走らせ軽食を挟みながらの道のりは異世界のような目新しさがあり楽しかった。目的地到着後、私には何もしなくていいよと言ってくれたので彼等を観察する事にした。

まず彼等は大小の牧や小枝を拾いに出かけた。次にどこからともなく石を拾ってきた。彼はライターを持っていたがあえて原始的なやり方で火をおこしはじめた。火が着いたら炭を入れて火力を安定させた。そして彼はお肉や野菜を串刺しにして持ってきた網の上でお酒を飲みながら焼き始めた。
アウトドア経験に乏しい私にトイレはないから水分はあまり摂らないようにと前もって注意勧告をしてくれた。1,2時間でBBQが終わるという私の見通しは甘く日が暮れて真っ暗な中で車のライトとBBQの火だけが頼りになる世界になった。澄み切った空は美しく星が沢山見えていた。そして何とも言えない恐怖を感じるようになった。野生の獣の鳴き声が聞こえてきたからである。1匹ではない無数の群れの鳴き声に私は恐ろしさを感じてしまった。
彼等はまだBBQを楽しんでいたが、私はもう帰ろうと言った。理由を伝えると彼は優しい笑みを浮かべ大丈夫と言ってトランクを開けて大きな銃を見せてくれた。彼は戦闘経験もあるし狩猟免許があるからいざとなったら安心してといって怖がる私を宥めた。獣はきっと狼で食べ物の匂いにつられてきたのだろう。火もあるしここに来ることはないから大丈夫だよとも言ってくれた。恐怖を感じトイレに行きたくなった私はもうBBQどころではなくなった。獣達の鳴き声がしているのに平気で明かりから外れた場所に行って大自然の中トイレを出来る彼等の余裕に自分との違いを思い知らされた。彼はもっと過酷な状況を経験してきたのだから、こんなこと何ともないのだろうなとその時に思った。そして自分がいかに温室育ちなのかということも考えた。そして女で守ってもらえる立場でよかったとも思った。( 私は男女平等は望んでおらず男性にはない視点で女性が活躍できる社会であればいいと思っている立場です。男女には違いがあると思っているしそれぞれの特徴を活かしながら共生し性別関係なく個人が評価されることが一番望ましいとも思っている。) その時私には野生の勘や何もない中で生きる力がないと思い知らされた。

生きるとは本来自然と共存する事でお金によって解決できるものではないのなのかもしれない。物で溢れる先進国での日常に疑問を持つきっかけになった。街中で危険を感じ取ればそこから離れればいい。しかし土地勘のない場所や大自然の中で恐怖を感じたら逃げ場はない。私はすぐに帰りたい気持ちでいっぱいだったが群れとして行動を共にするしかなかった。1人だとしても彼は生きるすべを知っているが私は知らない。。そう思った。

自然はただそこにいて何も言わず私を見ていた。

本当の意味での生きる力とは何もなくてもその場所に順応して生きるすべを知っている事だと思った。親が子供を無菌室で育てるということは子供を弱く育てる事だと自覚したほうがいい。ちなみに彼は家族で野菜や果物を育てたり狩った動物を捌くことことが出来る人です。狩猟は趣味でお金に困っているというわけではない。サステイナブル ( 環境に配慮した地球に優しい仕組み ) はこういうことではないだろうか?人や物が行き交うグローバル社会である時点でサステイナブルは無理があるのではないだろうか?本当に地球にやさしい社会になるにはグローバリズムからの脱却が必須な気がする。物の生産にしても安い労働力を求め発展途上国を先進国は使い倒す。先進国が国内生産をすればコストが上がり値段に跳ね返る。それを皆が受け入れられるときは来るのだろうか?そしてそもそも企業や資本家がほどほどの利益で満足出来たのなら世界の格差はこれほどにならなかっただろう。

私が表面的な物事に捉われることが嫌いになった理由はトルコでの様々な体験が関係している。私に考える事の重要さと社会を見つめ直すきっかけを与えてくれた。きっと有り余るお金があっても勉強の知識があっても自分をよく見せそうと取り繕っても自然やテロの恐怖を目の前にしたときにそれらは何の役にも立たないと思う。綺麗事を言ったり現実逃避をしても逃げているだけでその問題に向き合わない限り何の解決もしない。向き合っても全てが上手く解決するわけではないが現実逃避をしても問題は私達を追いかけてくる。話しても分かり合えない事はあるし島国精神で大陸と付き合うことはとても危うい。美味しい物や快適な旅からでは学べない現地の肌感覚を理解してこそ外国と話し合いをする土台が出来上がると思う。一番危険なのはもう知っていると自分で判断することだと思う。なぜなら私達が思っている以上に深堀すれば知らない事はあるから。

もし途上国を旅し自分より下だけを見て自分の立ち位置を確認し日本はマシ、私はまだマシなほうだと安心して思考停止するのなら残念だなと個人的に思ってしまう。同情、哀れみ、優越感以外に何かを見つけたり感じ取れたのなら、あなたは素敵な旅をしたのだと思う。

知らない事を知っていく事は人生を豊かにし生きる力となる。
今までとは違った物の見方が出来たり自分の成長を感じられるだろう。


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