ミニマリズム:僕が本気で「モノが少ない生活」を目指すまでの道のり(第2章)

こんにちは、Fredです。
私事ですが、先日打ったワクチンの副反応で左膝と腰が痛く、仕事を今までのようにできずとても苦労しています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

さて、前回の投稿:ミニマリズム:僕が本気で「モノが少ない生活」を目指すまでの道のり(第1章)では、ミニマリズムとの出会いと過去2度行った断捨離とその失敗理由について書きました。今回はその続きの2章として、3度目の挑戦(現在)について書いていきます。

3回目(現在)

今回、僕が「モノが少ない生活」を目指した理由(きっかけ)は大きく3つあります。
しかし、今回の挑戦は過去2回のような突発的に「そうだ、断捨離しよう!」という理由でモノを減らしたのではありません。
また、3つの理由は同じタイミングで考えたのではなく、1つの理由が2つに増えた時、そして2つの理由が3つに増えた時にさらにモノを減らしました。そして、この理由が複雑に絡み合った結果、僕の気持ちを現在でも維持できています。

本来なら3つの理由をまとめて書きたいところですが、全理由を書いてしまうととんでもなく長文になってしまうので、今回の投稿では2つ書いていきます。

理由(きっかけ)1:「仕事でトラブルに巻き込まれ、精神的に不安定だった時にセルフ・ネグレクトのようになったから。」

「セルフ・ネグレクトってなに?」と思われた方のために簡単に説明すると、
セルフ・ネグレクト(Self-Neglect)とは英語で自己(Self)を放棄 (Neglect)をするという名詞です。日本におけるセルフ・ネグレクトの意味は「自分自身の世話をしない人」という意味で使われることが多い言葉です。

僕がセルフ・ネグレクトのような生活をすることになるまでの話

2022年2月初旬、僕は前の会社でトラブルに巻き込まれて、結果的に自宅待機することになりました。僕は真面目に本来就業している時間帯は文字通り家で待機していたのですが、トラブルに巻き込まれたことがきっかけで精神的に不安定になりました。精神的に不安定になったことで、これまで気にしてこなかった冷蔵庫や洗濯機が作動中に発する機械音が気になり、悩まされるようになりました。特に四六時中発生する冷蔵庫の音が苦手で、夜眠りにつこうにも気になって寝れずにいた結果、いつの間にか昼夜逆転の生活となってしまったのです。

昼夜逆転の生活が招いた悪影響

昼夜逆転の生活をしていた僕ですが、幸いにも自宅待機で仕事ができなかったので仕事をクビになる心配はありませんでした。しかし、昼夜逆転の生活になったことで僕の私生活は一変するのでした。

僕の生活に起こった変化

変化1:それまで最低でも週1回行っていた部屋の掃除をサボるようになった。

変化2:毎日の楽しみだったシャワーをサボるようになった。

変化3:ほぼ毎日していた自炊をサボり、夜ご飯をスーパーやファストフード店で買ったもので済ませるようになった。

変化4:変化2で出たゴミを処分せず、飲んだお酒と共にテーブルの上に放置するようになった。

変化5:ゴミ出しをサボるようになった。

変化6:モノが自分に迫ってくる感覚に陥るようになる。

以上が当時の僕に起こった生活の変化です。自宅待機となり、昼夜逆転の生活をしていく中で、僕は人と接する機会が無いに等しい状態になりました。人と会わないようになると、友達や当時の同僚などの身だしなみや生活環境を指摘してくれる人がいなくなります。なので、当時の自分には「自分がしている生活が良くないこと」とは理解できても、改善する必要がなかったのです。

孤独な生活を送っていた僕ですが、機械音と変化6によってさらに精神状態が悪くなった僕は、「死にたい」と検索するまでになっていきました。「こんな生活から距離を置きたい」と思った僕は数日後、地元に帰省することにしました。(家の大きさが広くなると、機械音も小さくなると思ったため)数日間、家族と過ごす中で、自分の生活環境がどんなに酷いものだったのかを察したと共に「変化6のような感覚を2度と感じないためには、モノを減らして掃除がしやすい環境作りをしないといけない…それも大事だが、そもそもモノを買わなければいいのでは?」と考えたのです。

理由(きっかけ)2:会社を退職し、地元に帰ることになったから。

2月の中旬から地元に帰省していた僕は、精神状態が以前より良くなったものの、会社で仕事できる状態ではありませんでした。そこで3月初旬まで社長の許可を得て、地元でリモートワークの状態で翻訳作業をしていた自分でしたが、精神状態が良くなる見込みがなく、再び会社に出社して仕事ができる状態ではなかったので退職することにしました。

「これからは大好きな地元で暮らせる!」と思っていたが…

大好きな地元に帰ることにしたまでは嬉しかったのですが、拠点を移動するには引越しをする必要があります。しかし、前職は給料が低く貯金が全くできていなかった自分には引越し業者に引越しを依頼する余裕がありませんでした。
そこで思い立ったのが、「父にレンタカーを借りてもらい、僕と父で引越し作業をする。」というアイデアでした。

引越し作業

僕は引越し作業を2回に分けて行いました。1回目は2月中旬に山口に帰った際に持って帰れなかった「キャリーケースとリュックに入らなかったから持って帰れなかったけど、必要な物」を父の自家用車に詰めれるだけ詰めて終了しました。2回目は自家用車に入らなかった大きなモノをレンタルのバンに詰め無事引越しを完了することができました。

もし、僕がミニマリズムと出会ってなかったら…

僕は山口に帰ってきてから「もし、あの時にミニマリズムという存在に出会ってなかったら、僕はどうなっていたのだろうか?」とよく考えることがあります。

あくまで「たられば論」になってしまうので断定的なことは言えませんが、
当時の僕の金銭状態で引っ越し業者を呼ぶとなったら、引っ越し費用を抑えるために繁忙期を過ぎたタイミングで依頼していたと思います。しかし、そうなると必然的にマンションの退去日も遅らせる必要があり、その分の家賃などを支払う必要があったでしょう。もしそんなことになっていたら、さらに精神状態が悪化して取り返しのつかない状態になっていたかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました!
次回は今回書ききれなかった3つ目の理由(きっかけ)について書く予定です。
気になることがあれば、お気軽にコメントお願いします:)


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