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先輩の退職

同郷の先輩が、会社を退職することになった。
地元のお父さんの介護をするらしい。
と言っても拠点は東京で、地元(飛行機で二時間の距離)と行き来する生活らしいが、仕事との両立が難しくなったらしい。

同郷というだけで親近感を持っていただけにとても寂しい。しかも、介護という誰もがいつかは直面するかもしれない問題が理由。

ご両親は、自分の娘が、自分たちのために長年勤めた会社を辞めることをどう思っているのだろう?とふと思った。自分たちのせいで、子供のキャリアを分断させてしまって、、と自責の念にかられるのだろうか。
率直に先輩に聞いた。
返答は逆で、仕事を辞めて帰ってきてくれることにむしろ喜んでいるらしい。
歳をとったらそういうものなのか?
先輩曰く、世代の違い、価値観の違いかな、とのことだった。
ご両親は80代前半。
女性は家に入って主婦をやるのが当然であり、幸せだ、という価値観の世代。なるほど、娘がやっと仕事を辞めてくれる、もしかしたらそんな心境なのかもしれない。

先輩は続けて言った。
私は東京に来られて良かった。一生あの地元の閉塞感を感じながら生活するのは辛かった。
今回介護のために帰ると言っても、骨を埋めるわけではないし。

地元の閉塞感。その言葉に、確かに、と思った。
私たちの地元は、いわゆる地方中核都市で、取り立てていうほど田舎というわけではない。
だが、多様な価値観が受け入れられている環境かというとそうではないというのが正直な感想。
良くも悪くも目立つと、指を刺されるし、噂のまとになる。ある価値観の中におさまっていないと、後ろ指を刺されるような感じ。
その結果、目立たないように気をつけて成長した気がする。それがその環境で生きていくために必要なスキルだったわけだが、大人になっても東京に出てきて、そんなものはまったく無用な環境に驚き、また感動した。
とにかく人が多すぎて、みんな良くも悪くもそんなに人に興味がない。多少変わってるよね、という人がいたとしても、さほど気にされないし、そりゃこんだけ人がいればいろんな人がいるよね、という感覚。
私にとってはとても新鮮で、なんて自由でいい環境なんだ!と思った。
むしろ地元で目立たないようにしてきたスキルなど全くの無用で、むしろそのスキルのせいで、自分の個性を殺してしまっているのではないか、とさえ思い、そんな長年身についたスキルが邪魔だと思うようになった。

この令和の時代になっても、同じ日本の中でも、実はこんなに価値観の違いがあるのか
としみじみ思った。

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