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自己認識とのギャップについて考えてみた

私の会社では、上司から評価される評価軸とは別に、自己評価、同僚同士で評価し合う他己評価というのがある。

それらを総合的に見て、最終的な人事考課の結果となる。
一方的な上司からの評価だけではなく、自分のアピールの場でもある自己評価もあり、上司→部下という力がある方に偏ってしまう一方的な評価にならないよう工夫されている点がいいと思う。

また、ポイントは、同僚同士で評価し合う他己評価もあるということだ。
悪い方向で運用されてしまうと、個人的に嫌いな同僚の評価を悪くつける、という足の引っ張り合いみたいなことも起きてしまうので、要注意の制度だが、そうならないようきちんと運用されていれば、私は自分を認識するためのよい評価軸だと思っている。

かつての上司と、今後の仕事についての面談(定期開催)を実施した。
資料には、私自身がつけた自己評価の結果と、同僚が私に対してつけた他己評価の結果が、レーダーチャート化されたものがあった。

自己評価よりも高く他己評価がついている項目もあればその逆もあったが、その時の結果は大方他己評価の方が高い項目が多かったようだ。
単純に、私の気持ちとしては、

同僚のみんな、ありがとな!!

だけだったが、当時の上司は言った。

「この結果を見て、単純に自分より同僚が高くつけてくれている=嬉しい!、その逆の場合=悲しい!、という感情的なものだけで終わらせるな。」と。

ギクリ。(まさに私のその時の気持ちじゃん)

じゃあどうすればいいのか、どのように分析すればいいのかというと
「自己評価よりも他己評価が高い項目=自分の認識以上に周りが評価しているというのは、過大評価されているのでは?という気持ちも持つことが重要。その差を埋めるために自分にできることはないか探し、これからの努力の余地がある差なのだ。」と。
逆に、
「自己評価よりも他己評価が低い項目=自分のアピールが不足しているのではないか、正しく評価されるよう行動ができているのか見直せ。」と。

めちゃめちゃ正論。
この評価をこんなに理論的に説明してくれる上司、それまでなかなかいなかったな。
ありがとうございます。

おいおい時間の経過とともに、この考え方って、仕事のみならず他のことにも応用できるな、と思った。
他己評価を目に見える形で受け取ることは仕事以外には難しいけれど、
他者から見える私と、自分が認識している私、
という観点に置き換えれば、色んな人間関係で使えるではないか、と思った。

仕事以外の人間関係では、無理に人に自分を合わせる必要はないが、他者からの認識と自己認識がずれていてそれが苦しいと感じた場合、自分は本当はこのような人間なんだ、と理解してもらう努力も必要だな、と。(もちろん仲良くしたい人、関係性を深めたい人の場合に限られるが)


こんなケースもあった。
会社の隣の課に素敵な先輩がいた。
美人で、おしゃれ。しかも一人息子がいるという点で、私は勝手にシンパシーを感じてお近づきになりたい!と思い話しかけた。
特に子育てに関する情報などたくさんお持ちで、気さくに色々教えてくださり、本当にありがたかった。

が、しばらくして、その先輩から出ているオーラと声のトーン(いわゆる外的な要因からの情報)と、話の内容と、なんだかちぐはぐな気がした。話の中身、というか私に問いかける内容が、どうやら自信がないのかな?と感じたのだ。
見た目もパリッとされていて、声もハキハキ、見るからに自信に満ち溢れた女性、という感じなのだが、話している内容がなんだか弱々しい。。
先輩、何か不安定なのかな。。

程なくして先輩は会社を辞めた。家庭に入る、とのこと。二人きりの時に話を聞いたら、「私は色んな事を器用にやれないのだ」と言っていた。実は苦労されていたんだな。。

一方で、もしかしたらこの先輩に対して、ちぐはぐな感情を抱いたのは私だけではないのかもしれない、と思った。
話してみると分かる彼女の内面、本質的な部分と、見た目や声など言語外の情報とでギャップがあるのだ。
そのギャップにもしかしたら、周りは違和感を持ち、先輩もなんだかやりにくい、器用にやれない、という認識になったのではないかな、と勝手に想像した。

自己認識と他者からの認識。
別に、自分が分かって欲しいと思う相手にだけ等身大の自分を分かってもらえればそれでいいのだけど、もしかしたら無意識に自分が周りに与えている印象が、自己認識と異なるものだとしたら。

なんだかうまくいかない=生きづらい
というようなことと結びついてしまうのかな、と思った。


正論の上司から自分を振り返るためのヒントをもらった話。

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