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自分をもっと大切にしていい、という事

今年度、息子は年長になった。
通っている保育園は、3.4.5歳の幼児は縦割りのクラスになっている。
ひとクラスに、3.4.5歳の3学年がいるのだ。
年少で転園してきたときは、同じクラスに大きな年長さんの子がいて、パワフルで圧倒され、この中で息子がやっていけるのだろうか、、と心配したものだが、一人っ子の我が子には異学年の子達との交流はとても貴重でありがたい環境だなと思うようになった。

例えば、
年長さんが年少さんのお世話をしたり、そんな姿を見た年少さんはお兄さんお姉さんたちに憧れを持つようになったり、年長になったらお当番さんというのがあって、生活のいろいろな係をやってくれたりする。
給食のワゴンをとってきてくれたり、その日食べる給食のお米を朝研いだり、お昼寝用のみんなのマットを敷いたり、という係がある。

うちの息子は、お昼寝用のマットを敷くのが好きらしい。
お昼ご飯は、年少さんから順番に給食を食べ始めるのだが、その間にマットを敷き、年少さんたちが給食を食べ終わる頃にマットを敷き終わって最後に年長さんが給食を食べ始める。時間差があるので、マットを敷き終わる頃にはお腹がぺこぺこらしい。
なので、中にはお腹が空いて集中力が切れ、マット敷きを忘れたり、嫌がったりお手伝いしない年長さんもいるらしい。
でも息子はその係が好きなので、他の子が手伝っていなくても、黙々と1人で作業をしている事あると先生から聞いた。
最初のうちは、本当にありがとう!助かる〜!!と先生たちも感謝してくれ、子供のやる気を持ち上げてくれていたようだが、大人の目線から見て息子は、徐々に、そんなに頑張りすぎなくていいんだよ、という感じになってきたらしい。
あまりやる気を刺激しても、今度はプレッシャーになってはいけないと思い、最近はあまり持ち上げるようなことを言うのをやめてます、と先生から聞いた。
その話を聞いた時、私は、彼の知らない一面を知って嬉しく頼もしい気持ちになり、さらに、プレッシャーにならないように、、という発言を聞いて、どんだけ頑張ってるの笑笑!!とちょっとクスリと笑えたりもした。

そんなこんなの日が続き、お迎えに行って先生と軽く立ち話をしたときに、先生が息子に、もっと自分のことを優先させたり大事にしていいんだからね、と声をかけてくれた。(息子が積極的にお手伝いをしていることに対して)
その場は先生に対して、そんな事まで気遣ってもらえてありがたいな〜〜、くらいにしか思わなかったが、なぜかその言葉が、その日の夜も、次の日も頭から離れなかった。
なんでだろう?と考えた時に、もしかしたら子供の頃、私が欲しかった言葉なのかもしれない、と気づいた。

ここから自分の話。
主に小学校に入ってからの記憶になるが、私は割と先生や大人の言いたいことをなんとなく察する子供だった。ある意味顔色を伺っていたし、言われることもよく守っていた。
その結果、先生から頼られることもしばしばあって、それをきちんとこなすと、褒められてまた更に次のタスクがある、という感じの循環だった。
いわゆる優等生タイプだったと思う。
本当に自分がそれをやることを望んでいるのかなんてことは考えたことがなかった。ともすれば、自分がやりたいことよりも先生や親から頼まれたことを優先させていたかもしれない。
だって頼りにされていると感じていたし、それに応えることで喜んでもらえて嬉しかった。
他の子には与えられないタスクが自分には与えられる、という優越感があったのかもしれない。

でも徐々に、無意識にそれが負担になっていたような気もする。自分がやりたいことよりもやるべきこと(期待されていることを含む)を優先している自分に気づいた。

極端に言えば、これをやらなければ、褒めてもらえない(認めてもらえない)=自分に存在価値がない、という方程式に陥ってしまう可能性もあった。
実際はそんなことないのに。
そのことに気づくのに私は時間がかかった。

でも息子はどうだろう。
先生に、自分を大事にしていいんだ、という声かけをしてもらっている。
親としてありがたいし、一個人としては羨ましいとも思ってしまう。

そうやって、自分が子供の頃に不足していたかも、と思う声かけだったり関わり方だったりを、息子には補っていけたらいいなと思う出来事だった。

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