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同性婚を認める弊害

先ほどあげた文の中に、同性婚反対派の意見に「少子化に拍車がかかる」といった意見がある。
そんな馬鹿げた意見は置いておいて、真剣に社会のシステムとして同性婚を認めづらい理由を論じてみようと思う。

初めて僕も盲信的に同性婚賛成派だったのだが、反対派の意見を真剣に考えてみたときに一つ大きな障壁があると気付いた。
それは同性婚を認めるということはすなわち、「婚姻は子供を作るため」といった前提が崩れるというところにある。
法律というのはよくできていて、基本的に例外を作らないようにできている。

この婚姻は子をつくるため、という前提がなくなるとどうなるのか。
例えば婚姻可能年齢。
現在は18歳であれば両性とも婚姻可能であるが、この18歳というのは社会的責任を果たせる成熟度が18歳からと一般的に考えられているためである。
婚姻とは法律上親から出て、新しい家庭を築くことを指す。
したがって、この社会的責任はかなり大雑把に分けて「社会という組織に対して果たすべき責任」と「新たな家族、つまり子供に対して果たす責任」の二つとなる。
しかし、婚姻が子をつくるためでなくなれば、後者の責任は問われなくなり、経済的に自立さえしていればよいという考えとなってしまう。
とすると経済的に自立さえしていれば、ゲイやレズビアンといった人々は年齢に関係なく婚姻可能となるかもしれない。
ここで彼らも同様に婚姻可能年齢を適用すれば良いと考える人もいるかもしれないが、それは“ストレート”の夫婦に他全体を合わせる、という意味で不平等性を持たせてしまうものなのである。

また再婚の際に、前婚から100日間の期間を設けているのは、設けずに再婚してしまうと子供がどちらの男性の子供か特定できず、誰が親権等を所有しているのか不明となるからである。
しかし婚姻とは子供を作るためという前提が崩れるため、この禁止期間についても議論がなされるだろう。
例えば、「アセクシャル同士で婚姻してましたが、離婚します。禁止期間は要らないですよね?」とか、「ゲイの同性婚からゲイの同性婚へと再婚しますが、禁止期間は要らないですよね?」とか。
性的マイノリティの中でも、どの婚姻は禁止期間無しだけど、どの婚姻ならありなんてし出したら法として平等性がなくなる。

先ほども少し触れたように、婚姻は子供の親の特定という側面も持つ。
しかし婚姻が子供をつくる前提がなくなれば、この親の特定に対しての議論も難しくなる。
つまり重婚も議題に上がるだろう。
本人たちの望むレズビアン3人の重婚は許して良いのか。
バイセクシャルの男性と女性両方との重婚を許して良いのか。
自称アセクシャル男性が精神的繋がりを求めたという言い分の、実質一夫多妻を認めるべきか、など。

またこれらをさらに複雑化しているのは、これら性的マイノリティかマジョリティかは客観的にはわからず、性的マイノリティの人々のための特例法を作ったとしても、誰がその法に適用されるべきかが判断しづらいのである。

実際のところわからないが、婚姻の中に同性婚も含めてしまうとこれらの社会的混乱を生じさせるため、パートナーシップ制度はあるが、同性婚を認めていないのだと僕は考えている。

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