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虚実皮膜

「虚実皮膜(きょじつひまく)」っていうのは浄瑠璃で名を馳せた近松門左衛門の芸に対する考え方のこと。

芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也

虚実皮膜論,近松門左衛門

芸の本質とは現実と虚構のちょうど微妙な境界の上に成り立つ。
っていうこと。
最近この言葉を知ってすごく面白いなって思ったのでこの興奮を共有させて欲しい。笑

現(うつつ)と虚(うつろ)って言われても正直僕も完全に理解したわけじゃない。
でも一番わかりやすいのは「本」なのかなって思う。

側から見るとただ本を読んでる人。
だけど“表紙一枚”の向こう側には現実とは違う、確かな世界がそこにある。
実体はない、だけどそこにある。
そんな漠然とした存在。
それが現と虚の微妙な境界線上なんだと思う。
“表紙一枚”の境界線。
そこに本としての、作家としての腕が試される。

もしかしたら本は“文字”という境界線上なのかもしれない。
確かに存在する文字。
だけど存在する文字から生み出される世界は存在しているのか。
そもそも文字を読むとき、文字を読んでいるのか。
空想の世界を見ているのか。
文字って?
考えれば考えるほど現と虚の境界は曖昧に漠然と流動的になる。

ドラマとか映画もそう。
実在しない世界を実在する世界で作り上げる。
別々の撮影現場をフィルムというレールで繋げていく。
その“半現実性”とも呼ぶべき性質が「聖地巡り」なんていう行為を生み出す。
そしてその行為が現実性を強め、
同時に起きていないという虚構性をも強める。
役者の演技力、CGなどを含めた撮影力、脚本力。
全ての力によって虚構を現実のものとする。
リアリティー。

芸。
芸術だけじゃない。
学問だって含まれる。
摩擦の存在する現実世界から摩擦の存在しない“理想”世界への転換。
物理だって虚実皮膜なんだ。

現から虚へ。
虚から現へ。
思考と体現。
人生は芸術だ。

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