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瞑想と禅

最近、瞑想を毎日しているのだが、そのことについても記述しておこうと思う。昨今、マインドフルネスの時代になり、瞑想やメディテーションが流行っている。私のやり方は、インドの瞑想、中国気功法の瞑想やり方や、アファメーションを取り入れたものなどを行っている。

【瞑想の歴史】瞑想のことを、ブッタはビハール地方の方言であるハーリ語で「ジャン」。
それが中国に伝わって「チャウ(定)」になり、日本に伝わって「ゼン(禅)」になった。ということは、おおもとはインドで、それが中国に伝わり、日本にやってきた、ということね。

インドの瞑想法は、2500年以上前に、インドで、 すべての人に共通する病を癒す普遍的な治療法、「 生きる技」として指導された。そして、現在伝わっている「ヨガ」は、整体や体操のように扱われているけれど、それは「ヨガ」の一部でいう、肉体の修行(「ハタ・ヨーガ」)。仏陀のいう「ジャン」とは「ラージャ・ジャン」という部分であり、意味は「心の・精神の修行」。

「肉体の修行」であるハタ・ヨーガは、呼吸法、アロマなどがある。確かに効率よく瞑想するには、静かなところがいいし、体調も良好の方が良い。痛いところや痒いところがないようにしておく方が良い。どこか筋肉が凝っているなら、ハタ・ヨーガで体をストレッチして凝りをほぐしてから、瞑想した方が良い。もし生活の匂いが気になるなら、お香などを炊いて、瞑想した方が良い環境だと言える。


まずは瞑想ありきで、そこから付随して、動くハタ・ヨーガがあり、アロマやお香があり、環境音楽があるわけ。

私の行っているインド式瞑想は、自然呼吸で行う場合が多い。中国気功法で行う瞑想は、自然呼吸、腹式呼吸、逆腹式呼吸を練習する。

浄智寺の住職さんが「立ち禅」と「禅」について教えてくださるということで、色々質問させていただいた。自分が行っている瞑想を、日本の仏教の「坐禅」というものがどう違うのか、興味深かったのだ。

これはイメージなのだが、「坐禅」というのは足が痺れても座り続け、時々背中を板の長い棒で叩かれる非常に厳しい修行、というイメージがある。実際、大学の時、数日間お寺に連れて行かれ、坐禅や写経をやったことを覚えている。「修行した!させられた!」という辛い印象が残っている。

日本の仏教(臨済宗)の「座禅」は、丹田式呼吸、つまり逆腹式呼吸だということがわかった。私が一番苦手な呼吸だ・・鼻から吸った時に、みぞおちの部分が多少膨らみ(意識をし)、息を吐く時に、下っ腹が膨らむ(事を意識する)。これは普段使わない呼吸法なので、練習しないと難しい。住職さんにお聞きしたら「普段、意識していない時も、逆腹式呼吸をしている方が望ましい」という。それは、非常に難しいと思われた。意識していない時は、自然呼吸で、少し頑張って腹式呼吸になるのに、それを無意識で逆複式にするというのは、それこそ修行僧のような気がする。それは、坐禅のプロの住職さんに任せよう。


そして、立ち禅だが、中国気功法の立ち禅は、肩幅に足を開き、両腕を緩やかに開き、大きなボールを抱えたような状態で、何分も立ち続ける、というものだが、私が住職さんに教えていただいたものは、両手を前に小さく組んで、小走りに何も考えずに走り回る、というものであった。それも、坐禅を組んでいる最中に、立ちあがって行うそうである(多分、体温を上げることも兼ねている)。立ち禅には色々な種類があるのだろう。立ち禅というより、歩き禅という一種になるのかなあ。

私の歩き禅の訓練としては、右足の踵が地面についた、左足の踵が地面についた、と考えながら(感じながら)行うもので、非常に疲れるので、練習をやめてしまった。でも、住職さんに教えもらった、両手を前に小さく組んで、小走りに走り回る、というのは簡単にできそうだ。何も考えずに、小走りに走り回っていると、公園で人にぶつかりそうになるので、外で行うときはお気をつけて。

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