見出し画像

自己肯定感の低さを自己効力感で補う生き方

どこかで似たような話を書いてる気がするんですが、パッと見当たらなかったので改めて。

自己肯定感が極めて低いという自覚を持って生きてるんですが、それでもなんとかやってこれたのは、自己効力感が高いからなんだと思うんですよ。

自己肯定感だの自己効力感だのという言葉については、Google先生なり、chatGPTちゃんなりに訊いてもらうと良いと思うんですけど、ちょーザックリ言えば

自己肯定感:俺、マヂサイコー の気持ち
自己効力感:まぢ仕事ツヨツヨ の気持ち

です。

自己肯定感が高いと「根拠のない自信」が持てます。
今のままの私でいい!みたいな話もコレです。
スピリチュアル的な諸々で「あなたは今のままでいいのよ」「そのままの自分を愛して」みたいなメッセージが飛び交うのは、自己肯定感が低い人をターゲットにしてるからなんでしょうね。
なお、スピリチュアルが悪いとは思いません。悪しからず。

自己効力感が高いと「実務能力への自信」が持てます。
「この仕事に向いてる」「この仕事は天職だ」「誰よりも価値を出せる」という、仕事における万能感を持てます。
もちろん、対象とするのは仕事に限らず、勉強とかスポーツでも良いです。

自己効力感は、努力と紐づきやすいんですよね。
結果が目に見えるというか。
仕事でも勉強でもスポーツでも(もちろん、人それぞれで伸び代の限界や、領域ごとの向き不向きの違いはあるものの)、やったらやっただけ成果が出る性質のものですからね。
努力によって自己ベストを更新することはできる。だから、自己効力感を上げることを目指してアクションを起こせる。

一方で、自己肯定感は、なかなか上がりません。
幼少期に養われるものなのか、先天的なものなのか、なんなのかは分かりませんが、とにかく「物心ついた時に低いと、そのままずっと低い」という傾向が強いように思います。(学術的には存じ上げません。個人的な体感の話です。)
だから、外的刺激によって上げていきたい、という話になるのだと思うんですよ。先述したスピリチュアルとか、そういうのです。マインドフルネスもココでいい?あ、違うんですか。そうですか。

自己肯定感が高いと、生きていくのが楽だ、と言われます。
僕自身は、明らかに自己肯定感が低いので、自己肯定感の高い人の見えている世界、感じている人生の充足度は、想像することしかできないんですけれど、まぁ「確かに、楽そう」に見えます。ハタから見てると、ね。
「まぁ、いっか」とか、「そんな日もあるよね」とか、「さっさとお風呂入って寝るぞー」とか、ネガティブな事象に対しても、サクッと切り替えて引きずらず、解決することができてる感じがします。
最高ですよね。才能ですよね。

反対に、これが低いと、ネガティブまっしぐらです。
個人的には、自己肯定感が高い人はTikTokとか Instagramとか使ってて、自己肯定感が低い人はTwitter使ってると思います。
もちろん偏見です。ただ、いい意味です。はい。

そんなわけで、Twitterを鍵垢で運用しちゃうようなネガティブ陰キャの僕の自己肯定感は、北条政子的に言えば「海よりも深い」ところに鎮座してます。
チョウチンアンコウがお友達です。

こうなってくると、生きていくのがしんどいんですよ。
毎晩、寝る前に「あー、もうちょっとこうしておけばよかったな」みたいなことがグルグル脳内を駆け巡ります。
で、なんとか眠りについたかと思うと、陽の上る前に目覚めてしまい、布団の中で悶々と「いかに反省点が多い人生であるか」について考えます。太陽が出るまでは、陰鬱な感じです。

そこで、冒頭のお話に戻るわけです。
そんな僕が、どうやって生き抜いてるのかというと「自己効力感=仕事ツヨツヨ感」で支えられてるんですよね。

人間として優れている自身は皆無だけど、従事している仕事に関しては圧倒的!に成果を出せる、という自信がある。
もちろん、なんでもできるわけじゃなくて、極々限られた狭い領域に、僕の適性がどハマりしてるって話なのですが、そこに至るまでの苦労や下積みや努力というプロセスと、実際に周囲から得られた/ている評価のおかげで「自己効力感」は極めて高いところにいるんです。
北条政子的表現なら「山よりも高い」です。森林限界線をやすやすと越えてます。ペンペン草も生えません。

この、高い自己肯定感によって「少なくとも、この領域では、存在意義を認めてもらえる」という逃げ道ができたんですよね。
いや、逃げ道、本当に大事。

こうして、僕は「高い自己効力感で、低い自己肯定感を補う」という生き方に辿り着きました。
まぁ、正直、社会人を20年くらいやってから見えてきた境地なので、ここに至るまで本当に辛かったんですが、ひとたびこのスタイルを確立してからは、生きていくのが格段に楽になりました。

その一方で、「め組の大吾」の台詞を思い出すことがあります。

本当に災害がなくなったら…
おれは、また、なんの役にも立たない奴に戻っちまう!!!
め組の大吾 14巻

自らの存在意義を仕事の中に見出してしまうと、その場所から離れたら、存在意義の根拠を失ってしまう。そんな危機感を持つんですよね。いやはや。

ちなみに、最近は「自己肯定感が高くて、自己効力感が低い人が増えてる」という話をどこかで見たんですよね。
つまり「先輩や上司にしょっちゅう怒られるけど、そんな自分も嫌いじゃない。むしろ好き!」って感じなんだそうで。
それはそれで、人生、楽ちんかもしれないけど、ずっとそのままでいけるのだろうか、と余計なお世話が脳裏によぎるわけですが、そんなところで笑点お開き。
ラーメンズの「プーチンとマーチン」でも観ることにしましょう。

時間は欲しいけど いざ自由って言われると
何していいかわからない
命令されたい 縛られたい
自由が苦手な せつない人間
ラーメンズ「FLAT」-プーチンとマーチン


---

いただいたサポートは、このnoteで紹介する書籍の購入に使わせていただきます。