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ワクワクする人生:僕は後悔なんてしたくない。やりたい事やれ。僕はそうする。


こんにちは、こんばんは、おそようございます、はいおはよう。考えるドーパミンでございます。もうね出だしからわけわかめ。僕は今日、朝っぱらから車を修理に持っていきまして、エンジンを直してもらってました。納車してまだ1週間ちょいですよ?結局、エンジンのスパークプラグという火花飛ばす部分が接触不良だったみたいで、、、部品を交換してもらった現在、素晴らしい加速とエンジン音。この車こんな快適だったんだって感じです笑。納車して1週間、新しいクルマの乗り心地を堪能し、後に3日は新たに加速感とエネルギーロスの少ない感じの心地良さを追加で楽しめそうです。不調さん逆にありがとうって感じでした。てな感じで今日も無事に充実感を感じながらワクワクと生きております。ワクワク感って超大事。

ってこんな話は置いといて、本題に入りますか。僕のnote2記事目、

【人生は自己満足、成功や失敗なんてない。やりたい事やれ。僕はそうする】

僕は生き方の軸に「後悔しないように生きる」というものがあります。SNSやTVなどでもたまに目にすることがあるかも知れませんが、死ぬ時に後悔することで常にベスト3に入っているのが「もっと〇〇しておけば良かった」「やり直せるなら、もっと自分に正直に生きれば良かった」という類のことらしいです。それが本当かどうかは知りませんが、死ぬ時に後悔しそうなこととして、そのような後悔をすることは容易に想像できますよね。心残りほど死んで死にきれないものは無い。そうは思いませんか?

では後悔しない生き方とは何か、日々の積み重ねである人生はどの様な生き方をすれば後悔のない(ないは不可能だと思いますが)人生は実現するのでしょうか。答えはシンプルです。皆さんわかりますよね?そうです、『自由に生きること』です。人生で大切なことは自由です。今の時代を生きる我々には当たり前のことですよね。しょっちゅう聞く内容だし、考えるまでもなく、常識とまで言って良い。でも、でもですよ。皆さん「自由に生きる」ということがどのような事か、本当にわかっていますか?上から目線の言い方になってしまいました、ごめんちゃい。でもさしょーがないじゃん。こいつら分かってねーなって思う事多いんだから。生意気な言い草になって申し訳ないんですが、これは僕が物心ついた時から常に感じでる、僕を取り巻く社会というか大人達に対する不満だったんですよね。両親や周りの大人達、TVなどのメディアでもよく聞きますよね「自由に生きろ」って、その癖あーしろだのこーしろだの、その上「それはダメ、これはするな」って。どっちなんだよ。いちいちウルセェんだよって。てかそもそも、お前ら自由に生きてんのかよ、てか自由ってなんだ説明できんのか。って子供ながら思ってたんですよね。捻くれてますね笑。だから今回、この内容で記事を書くことになってちょっと熱が入ってます。

【自由とは何か】

では早速、僕が思う自由とは何か。『自由』とは自由を追求するプロセスそのものです。自由とは自由という名の下にある状態ではなく、自由であろうと行動する過程そのもとの中にあると言うことです。つまり、究極的な自由である状態とは、自分の目で世界見て、自分の頭で考えて解釈する、その上で生じる欲求・欲望に忠実に生きる、生きている状態です。そして、それが他者の自由であるための活動を侵害しない範囲内で最大限であることこそが、”自由である”と言うことです。ちょいと難しくなったんで簡単に言いましょう、自由とは自分がしたい事をする、またはしている、その活動そのものということです。

例えば、僕は今休学してパワーリフティングというスポーツ競技で日本一を目指しています。パワーリフティング 、皆さんどんな競技か知っていますか?マイナー競技であり、これのために休学すると言ったら、反対意見ももちろんたくさんありました。この選択が正解か間違いか、そんなことはわかりません。ただ一つ今言えることは、僕は今ワクワクしている、充実している、希望を持っている、そして自分の人生を生きている、ということです。これだけは間違い無いです。

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(僕が休学までしてパワーリフティングで日本一を目指す理由https://note.com/think_like_me/n/n711b23afdaa4

自由とは何か、簡単に説明したわけですが、割と”少し考えれば当たり前の事”ですよね。でも少し外の世界を見ていると、人生に鬱憤を抱え希望を持てない人もたくさんいるようです。つまり自由じゃない人もたくさんいます。だから僕は今回ここで、僕なりの人生を自由に生きる上で最強の『世界観・人生観』を共有したいと思います。

【自由に生きる為の最強の世界観・人生観】

僕は自由に創造的で独創的な人生を歩んでいきたいと思っています。そしてこれまでも割とそんな人生を歩んでいるし、これからももっともっとワクワクする人生を歩めると思っています。なぜ僕がこんな自信を持っているかというと、これから紹介する考え方を僕はしているからです。

『この世に真理など存在しない』

こーゆーことです。シンプルですね。要はただ一つの正解というものは存在しないということです。歴史上の偉人、戦国武将の織田信長も「絶対は絶対ない」というように言っています。真理が存在しないとはどういう事か、言い換えれば、この世界は全て仮説の集合体でしかないという事ですね。だってこの世のすべてのことは、僕たち人類には原理的に証明不可能なのだから。人類は真理に到達するにはちっぽけ過ぎるということです。そして、正解が存在しないということは、当然不正解も存在しないということです。正解がどこにあるのか、どんなものかも分からないのに、不正解かどうかを見分けられる訳がないですよね。

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そしてこの世に真理がないなら当然人類の営み、社会のあり方、そして僕たちの生き方にも同じように正解や不正解などあるはずがありません。正解は無い、正解は無いが僕たちには知恵を得たいという好奇心がある。そしてその好奇心は僕たちに「この世の真理に触れたい」という欲望を植え付け駆り立てる。それこそが僕たち人類が、この右も左も分からない宇宙で、不完全な存在ながらも、「より善く」「より真理に近く」を求め日々を営む動機そのものだと思います。これこそが僕の考える人類の根本、本質そのものです。(*科学という分野はその最も分かりやすい例ですね!!)

話はこうして結論へとつながります。この世に真理は存在しない、人類にとって最も低次元、つまり最初の欲望は「真理に触れてみたい」という欲望である。だとするならば、僕たちはどのように生きるのが最も本質的か、それは、自らの目で世界を見る、自らの頭で情報を処理する、自らが正解だと”思う”考えを構築する、そしてそれを実践して検証する。人類の営みは科学の営みそのものです。正解は無い、ただひたすらに仮説を検証し積み上げる、そうすることで真理に近づことする。これこそが人類の歴史です。

なのだとするならば、常識に囚われている暇などない。常識などなんの役にも立たない。「常識なんかクソ食らえ」です。常識と言うものを完全否定するつもりはありません。社会生活を営む上でとても大切なものです。しかし、個人の生き方という視点に立った場合、「常識なんかクソ食らえ」「常識なんぞ凡人が言うことだ!!」と言うくらいの心意気でいいと僕は思います。挑戦する上でのマインド、その意味でこのように考えることができれば、より善く、より真理に向かって生きることの第一歩となるのではないでしょうか。

もう一度言います。

『この世に真理などない』

正解は自らが意志の中に作り出すものなんですね。そのためには自らを信じ、自らを生きるしかない。僕はそう思います。常識・慣習・文化なんて知ったこっちゃねぇ。僕こそが常識であり、慣習であり、文化だ!!一人一人がこう思える社会こそ最も人類らしい、人間らいしものであると僕は思います。そしてその上で、自らの個性によって他者の助力する、最大限尊重する、多種多様な個性が存在することで新たな個性が生まれる。この個の連帯のサイクルこそが僕の夢です。

【最後に】

よくもまあこんな尖ったことをぽんぽん言えるなぁと自分でも感心する次第でございます。兎にも角にもこの思想こそが僕であり、僕を形作る基礎です。その上でタイトルを拾いましょう。「やりたい事やれ、僕はそうする」。僕は後悔なんかして生きたくない。そのためには社会の常識、周囲からの期待の制約の中でのみ生きてはいけない。なぜならその生き方がうまくいかなかった時、誰かを恨むことになるから。自らの人生の責任を他者に押し付けることになるから。だからこそ僕は僕を生きなければいけない。僕は出来る限り自分に正直に、自分に誠実に、後悔しないように興味あることはとりあえずやりたい、その中に極めたいことがあればとことん極めたいという想いを胸に毎日を生きています。それこそが責任を持って生きると言うことだ!!!!!

『やりたい事やれ、僕はそうする』

考えるドーパミン





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