学級担任制は要らない

教員の働き方改革の重要性が叫ばれる昨今、

学級担任制が基本となる小学校の教員の多くは、教科担任制に消極的である。

小学校の先生は、小学校の学習内容について全教科を指導する資格があるため、自分が担任する児童のほぼ全ての授業を担当している。

だから、1時間目から6時間目まで全て一人の教員が授業することもあるのは、ご存知であろう。

そのため、小学校の先生は、学級経営において、自分のやりやすい方法を採用し、それを子どもたちに強いる場合がほとんどである。

なので子どもたちは、担任教員が変わる度に、その教員のやり方に合わせて、今までのやり方を変えなければならないことが多々ある。

連絡帳の書き方や書くタイミング、宿題のやり方と提出の仕方、ロッカーの使い方、始業の挨拶の仕方、朝の会・帰りの会の進め方など、慣れ親しんだやり方は、ほぼ全て変えられてしまい、厳しい教員によっては、手の挙げ方や机の上の教科書とノートの置き方などの極めて細かな所までルール化され、それらに素早く順応できなければ注意の対象となる。

この学級担任の横暴なルールの制定を後押ししているのは、学級担任制に他ならない。

そして、既得権益にしがみつく受益者と同じく、学級のルールを好き勝手にできる学級担任の特権を、小学校教員は簡単には手放さない。

教科担任制になると、一つの学級を複数の学級で担当することになるので、ルールについても合議で決定しなければならなくなる。

となれば、自分だけに都合の良いルールばかりが採用される可能性は低い。
時には、自分の考えとは合わないルールも受け入れなければならなくなる。

小学校の教員はそれが嫌なのだ!
自分のルールだけで固めたいという気持ちが強い!

その気持ちは、言わば独裁者のそれだ。

多様な考え方を尊重し、個々が互いに調整し合って気持ち良く過ごしていく力が求められる現代社会において、それと逆行する考え方の教員が、どうやって子どもたちを導くのだろうか。

日本が民主主義の国になってから今日まで、学級に民主主義が取り入れられたことはあっただろうか。

全ての教員は、今すぐこの独裁的な考え方を捨てなければならない。
全てのルールは学校の全教員、保護者、地域と合議によって決定し、時には子どもたちの意見も多いに取り入れて決めなければならない。

でなれば、最近話題になっている主権者教育など茶番でしかない。

なんやかんやとネガティヴな意見を述べるのではなく、教科担任制を受け入れて、小学校の学級担任は学級との距離をとるべきだ。

そして自分も含めて、学校や学級や教員を俯瞰で見ることができれば、これからの教育に必要なものが、よりクリアになるだろう。

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