ルールを指導する意味を勘違いしている教員は要らない

学校では、児童生徒に学校や社会のルールについて指導する場面が多々ある。

小学校であれば、
なぜ廊下を走ってはならないか、
なぜ宿題はやらないといけないのか、
なぜ暴力はいけないのか、
なぜいじめはいけないのか、

挙げればきりがない。


多くの教員は、ルールを指導する目的を
『みんなが互いに気持ち良く生活するため』と考えているのではないだろうか?
そして子どもにもそのように伝えていると思う。

間違ってはないのかもしれないが、
それは『ルールを作る目的』であって『指導する目的』ではないかと、私は思う。

幼少からルールについて教えられてきたからなのかはさておき
この国のほとんどの大人は、ルールを守って生きている。

だがそれは、『みんなが互いに気持ちよく生活するため』だろうか?
表向きはそうなのかもしれないが、心からそう思っている人はどれだけいるだろうか?

私が考える『ルールを守る理由』は二つ
1、自分にメリットがある
2、自分と関係の深い人々にメリットがある

子どもにとってもそれは同じである。

だから、ルールを守らない子どもに表向きだけの指導をしても、ルールが守られることはない。
ルールを守っているのは、上記の2つメリットを理解している賢い子どもか、もしくは『大人の言う事には従えば良い』と思考停止している子どもだけである。
前者に該当する子どもは極めて少ないだろう。

つまり、ルールを指導する目的は
ルールを守ることの2つのメリットを理解させることにある。


一昔前の学校では、
この内、『自分のメリット』を強調することで
子どもたちをコントロールしてきた。
メリットを強調するために大きなデメリットを設定したのだ。

要するに罰を与えたのだ。

叱責や体罰
廊下に立たせる
反省文を書かせる

昔の教員は、あれこれと罰を与えることで
ルールを守ることのメリットを指導してきたのだ。

実社会には極刑も含めて罰が存在してるわけであるから、
これはこれで間違いではないと思うが

現代において罰を与えることはタブーだ。

となると、現代におけるルール指導の意味は
『自分と関わりの深い人々のメリット』に気づかせるということの他はない。

ルールを守らないことで、大切に思う人々が迷惑している、
大切に思う人々が悲しんでいるということを伝えるしかないのだ。

大事なのは、指導の対象となる子どもの周囲に
『大切に思う人いるかどうか』なのだが
多くの場合、ルールを守らない子どもには
家庭にも学校にはそのような関係が作れていない場合がほとんどである。

だから教員は、その子どもとの間に
深い関わり、関係性を持たなければならない

しかし今の教員はそれができない。
子どもと対等な人と人とのつながりを作れないのだ

これは世の中の管理職にも全く同じことが言える
立場や役職にこだわるがあまり
対等な人間関係が作れず
結局対立構造になってしまう。

『罰を与える』というカードを奪われた教員達は
子どもを同じ一人の人間として対等に扱い
1から人間関係を作らなければならないのだ。

教師という肩書きだけで尊敬されることは、もはや全くないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?