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私には、勇気がある。

元旦あるいは一月二日の夜に見る夢を、世間では初夢とするらしい。

けれども私は「一月一日に見る夢が初夢!元旦ならば日付が変わった瞬間でもOK!」と思い込んで生きてきたし、きっと神様も「じゃあお前の場合は、そういうことで!」として、元旦に夢を見せてくれていると思う、多分。

大みそかの夜も終わり、日付が変わる。私は神棚にご挨拶をし、布団に入った。そうしてぼんやりと見た夢で、二挺のヴァイオリンが(つくり的にはきっとありえないのだけれど)ぴったりと重なっている様子が見えたのだった。何をするわけでもなく、そんな風に重なったヴァイオリンを見つめるだけの夢だった。

夢占いのサイトを見てみると、ヴァイオリンの夢というのは、なかなかいいモノらしかった。恋愛運の上昇、とかそういう表記が多かった。二挺くっついていた、ということも踏まえると、夫婦関係がより良いものになる、という解釈でも良さそうだ。

そして、そのヴァイオリンの夢を見た直後、私がふたたびぼんやりと見た夢には、何か看板のようなものに文字が書かれているのが見えた。これまた、何をするわけでもない夢。看板に書かれていた文章らしきものの中、この言葉だけははっきりと、私の頭の中に残ったのだ―Brave

Braveとは 主な意味 (危険や困難に出会っても恐れない)勇敢な、勇ましい、勇敢で、派手な、着飾った、華やかな、りっぱな、すばらしい―weblioより引用

起きた途端、その言葉の意味を察した。バンプオブチキンの「リトルブレイバー」という曲のおかげで、その言葉は高校時代から、心に記憶されている言葉でもあった。勇気—そう、去年の私には、勇気が足りなかったのだ。

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バンド活動を始めて、最初の一年はいろいろと順調だったように思う。とんとん拍子でいろんなことが進んだ、と、私は感じている。あこがれだったことも、案外あっけなく叶った。

けれども、二年目だった去年は、いろいろと怖くって前に進めない自分が居た。

「ライヴをしない」「メンバーが揃っていない」…、いろんな点で、私たちはメタルのバンドとして落第点を突き付けられていた。本人たちにその気がなくったって、そういう風に思われてしまうのだから、私たちは落第点バンドなのだ、世間的には。

それを自覚させられることが度々あった(、今も)。

一年目の頃は、断られるのも怖がらずに、いろんなお店にアクションを起こし、無料配布音源を置いて貰ったり、お店で曲を流して貰う許可を得た。そうしている内に評価がついてくると、純粋に信じていた。

けれども耳の肥えたリスナーに、私たちの音楽はあまり届かなかった。実力不足であることはもちろん大きい。そして、世の中は「売れている」ように見えるものが売れる。無名の私たちは「売れている」ものに隠れてちっとも目立つことが出来なかった。

プロモーション不足なのだ、けれどもわかりやすいプロモーションをしたところで、果たして世間的に「売れていない」バンドは、そういった展開で売れるだろうか?お金を積んだのだ、とわかりやすいプロモーションをしている音楽を、私は別に聴きたいと思わない。自分が心からかっこいいと思った音楽を、私は聴きたい。

いろいろな葛藤や恐怖が入り混じって、私は去年、殆どプロモーションを打てなかった。それでもデジタル配信は地道に回っていて、時々CDも売れたりもして、そういう「見える結果」に随分と励まされた。SNSでのあたたかいご声援にも、本当に救われた。そういうものが無かったら、私はもう、バンド活動を辞めていたかも知れない。

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やらなければいけない、と感じた。

勇気を持てー神様はきっと、初夢を通して私にそう伝えたかったのだ。

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今年最初に聴いたのは、陰陽座というバンドの曲だ。

私と夫はお互いこのバンドを好きで、それがきっかけで知り合ったのだ。

私は上京してきて先ず、陰陽座のコピーバンドに入ろうと頑張った。ヘヴィーメタルを聴き始めたのも、陰陽座がきっかけだったくらいだ。

そんな陰陽座のとあるコピーバンドで、念願のヴォーカルをやるのが決まってすぐ、私はそのバンドのメンバーとうまくいかなくなった。私は初のスタジオ練習すら済ましていない段階で、そのバンドを脱退してしまったのだ。

「音楽で食べていけるか否か」をほんのささいな理由から討論する運びとなり、「音楽業界は甘くない」とはっきり私に言ってのけたベーシストに、けして埋まらない心の距離を感じたから―それが、私の抱いた「こじれ」の理由だった。

甘くなくとも、諦めたらそこで終わりであって、そこからどう動くか―そういう努力もしないではなから無理とすることが、私にはどうしても受け付けられなかった。

そのベーシストは一応音楽業界に居る人だったから、きっと彼としては至極当たり前のことを言ったのだと思う。それでも、どうしても私は、「音楽では食べていけない」という持論をけして覆さない彼に、苦手意識をぬぐえなかった。

その後、今の夫でありバンドメンバーであるZAKIと、彼が見つけてきたメンバーで、ゆくゆくはオリジナル曲で「音楽で食べていく」ことを目指す、陰陽座のコピーバンドを組んだ。そのバンドも解散はしてしまったけれど、はなから諦めることをしないメンバーに、私は随分モチベーションを上げて貰ったし、楽しかったなと感じている。この場を借りて、ありがとう。皆、元気でやっていてね。

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正直、まだまだ怖い。

けれども今年は、勇敢に、自分の選んだ道に立ち向かおうと思う。

そんな私たちの勇姿が、リスナーの心に少しでも希望を与えられたなら―そういうバンドをやりたかったのだもの、これはもう、やるしかないのだ。

やるぞ。私には、勇気がある。


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