乳がん検診の結果が「経過観察が必要」だった話

ほんとタイトルまんまなんですが、先日受けてきた乳がん検診の結果「経過観察が必要なので、一年後に医療機関を受診してね」というものでした。
正直、めちゃくちゃ気楽に受けただけにショックが大きく…。
ちょこっとネットで調べた感じだと「一年後」という点で推するに良性の可能性がほとんど、みたいな情報を得られたので、あまり思いつめずにやっていくのが一番なのだとは重々承知なのですが…。

二十代の頃に子宮がん検診で「軽度異形成」という(今はベセスダシステムっていうのに変わったので表記が違う?みたい)、要精密検査だよっていう結果を受けて長いこと怯えた日々を送っていた—あの日々よ!!アレが彷彿とされてマジ怖いんですよ。

子宮がん検診のそれは気づいたら消えてくれていたのでほっとしたんですが、でも今回乳がん検診の結果を受けて正直、それが自分の生き方を見つめ直すきっかけになりました。

そもそも「がん」とは私から父を奪った病気である

だから私はきっと、人より「がん」が怖いのです。
生存率が—という話をいくら聞いたとて結局、私にとっては「がん」とは私から父を奪った病気、という認識には変わりない。

もっとずっと若かった頃に鬱がめっちゃくっちゃに重かった頃は、それこそ自分からしんじゃいたい、みたいな考えも何度でも浮かんだものですが、おそらく寛解と呼べるレベルであろうほどに回復した現状では、やっぱり私は「やりたいことをきっちりやって」いない内はちゃんと生きていたい。
というか言い換えれば「やりたいことをちゃんとやっておきたい」という気持ちを、私は抱えているわけです。

「やりたいこと、やっておかなくちゃ」

さすがに今回、それを痛感させられました。
今もまあまあ自由に生きている方だと自覚はあれど、やっぱり(お金の面だったりが一番大きいけれど、)ある程度はやりたいことを蔑ろにしている部分もあるわけで。
今月初めから仕事を増やしたので、ライフスタイルも大分変わったのだけれど、お給料が増える分睡眠時間が取りづらくなり、それをどうにかする為に食洗器を導入してみたり、今も試行錯誤の真っ最中だったりします。
ただ今回、お給料も増えるのだし、今までよりももっと自分にお金をかけることに罪悪感を持たないよう生きていきたいと痛感しました。


おっぱいへの投資を決意

さて、その「自分にお金を使うこと」の一環として「おっぱいへの投資」を決意したしだいです。

先日も思い切ってちょっとお高めな下着を買ったところでしたが、自分の胸というのもまた自分の一部(…当たり前だけれど)、ならば「おっぱいにももっと素敵なお洋服=下着を着せてあげよう」と改めて開眼したわけです。
「理想のサイズじゃない」とか「左右の大きさが違うのが気になる」とか、自分の胸に対してややマイナスな感情を抱きがちでしたが、もっと大事にしよう、愛してあげよう—みたいな気持ちがふつふつと沸いてきて。
手っ取り早いところで、下着はちゃんと素敵なものにしたいし、バストクリーム的なものも導入したい。

noteでしか言わないでおこう

あとこれは、自分自身への戒め。
検診結果についてはここで語るにとどめておこうと思います。
モヤモヤしていてどこかで解き放とうと思っていた感情だったけれど、たとえばTwitterとか反応の貰いやすいところで「あのね!聞いて!」…ってやるのは、私のポリシーみたいなものにそぐわない(あくまで私は、ですぜ)。
今こうしてnoteで言葉にしたら随分とラクになったし、決意表明にもなったし、これから一年前向きにやっていこう、と思えたし。

でもこの結果を「騒ぎすぎ」とは言い切りたくない

…というのも本音であって。
私は「世の中の女性にもっとがん検診を受けて欲しい」と思っているし、診断結果を(悪い意味で)甘く見て、自分の体を蔑ろにして欲しくは無いんですもん。
それくらい、私が子どもの頃に負った傷=父の死、というのは未だに私から寂しさを色濃く残している深い深い傷みだからです。

…というわけで、これからの一年はより自分を大切にしながらやっていこうと思います。
来年に再検査をしたらば、いい結果に切り替わっているといーなー。


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