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私という物語の主人公

Twitterを見ていたら、先日少し話題になっていた母校を買い取ったJKの件と並べて、こちらの記事を載せている人がいた。

比較してご覧、的に並べられた記事。すぐに読んでみた。そして、高校時代は本当に勉強せずに怠けてしまった私が肯くのはちゃんちゃらおかしいと解っていても、私は上記の記事を書かれた鈴さんの言葉に、たぶん表現するなら共感に近い気持ちを感じた。

内容に関しては、鈴さんの記事を読んでみて欲しい。

ところで私は、鈴さんの記事の中で一番心を揺さぶられたのが、記事も終わりに近い部分、鈴さんがバスの中でかつての友達と再会した際、そのお友達に掛けた言葉だった。引用はしないよ、著作権とかいろいろあるだろうし。

私にとってその言葉は、大学に行かなくなって「学生」という名札を外してしまった頃、誰よりも、当時の友達に掛けて欲しかった言葉だったからだ。

以前、私はこんな物語を書いた。

大学に入ったばかりの主人公は、とある事情から、学校を休むようになる。

高校時代の友達とは、自分の大学生活がこんな風になってしまった以上、合わす顔が無いような気がして、自分から疎遠になっていた。—「私の彼のギターはV字」より

そんな主人公はある日、フリーターをしている中学の同級生・サナと再会する。

少しお茶でもしよう、と一緒に入ったスタバのフラペチーノを飲みながら、サナはさりげなく私の心を開いていく。なにげない会話に、嫌みのまったくない質問を織り交ぜ、そうして私の近況を知ることとなったサナは、きっと接客も上手に違いなかった。私を責めるような真似は一切せず、穏やかにそのストローを啜っている。—「私の彼のギターはV字」より

私は物語を書く時、ところどころに昔の私を投影する。この物語に関しては、主人公が中学を出、高校に入り、大学を休むまでの過程に、私の過去の一部を重ねた。

当時の私にも、私が休学からの中退に至ったことを、肯定というか「そうなんだ」と「わかって」くれた友達は居た。けれどもやっぱり、大半が進学する高校を出ておいて、むざむざ大学中退してしまった私は、友達の輪の中に居ても浮いていた。

そういうのも物語にした。それくらい、私にとってこの過去は今でも重苦しい。

一人、フリーターの混じった飲み会は、あからさまなものが無いにせよ、私という存在の扱いにやや困った感が否めないことを、それとなく匂わせていた。—「ハピネス」より

細かな設定は違うとはいえ、私はこの感覚を、確かに現実の上で味わった。小樽運河の近くのびっくりドンキーで久しぶりに顔を合わした、看護学校に行っていたり、教育大に行っていたりする友達が、少し前まで私と同じ学び舎にいたことが、もはや信じられなくなっていた。

隣のクラスに、ずいぶんと可愛い女の子がいた。何ちゃんだったか、名前すら覚えていない。けれども顔のつくりはアイドルの上の上のコくらい可愛い、しかも性格も良くて誰の悪口も言わない、そういうコだった。隣のクラスとはいえ、私は選択授業で顔を合わせ、たまに話をすることもあった。—「ハピネス」より

そういうコが、気付けば学校を辞めている様な、そんな学校だった。北海道の片隅で、札幌に出れば同じくらいの偏差値の学校がごろごろしているのに、なのにその高校に落ちてしまったら、その後の人生をも狂わしかねない、それくらいの怖さを持つ学校だった。入ってからもそうやって、気付けばいない人が出てくる。私ももうちょっとで辞めるところだったし、大好きだった美術部の先輩も中退し、札幌の通信制高校に転入したほどだった。

全国ニュースにも載る悪事を犯した学校でもあったので、学校が悪かった、というのは大いにあると思う。ただきっと、生徒の大半はそう悪くはなかったろう。皆、ごくごく狭い学歴社会の被害者だ。

私たちは、何もよく見えないまま、あがいていた。とにかく「いい大学に入って」「いいところに就職すれば」「いい人生が待っているのだ」、そんな風に思うしかなかった。—「ハピネス」より

もっとも、私の様に今でもいろんなことを引き摺っている人は、そんなにいないのかも知れない。

これらの私の物語の主人公たちは、なんやかんや自らの幸せを見つける。現実の私も、今は幸せだと思っている。当時の友達とは皆、疎遠になってしまって、それでもここまで生きてくるのに、新たな人間関係というのは無数に生まれた。それらが長く続かなかったとて、今は、縁とはそういうものだと割り切れる。ご縁があれば、きっとまた繋がる。だからまあいっか、と楽観視している。

なのに私は、鈴さんの書かれた記事の最後、そこで鈴さんが友達に掛けた言葉に、うらやましさを感じたのだ。

私も、あの頃の友達に認めて欲しかった。否、認めてくれていたのかも知れない。けれども私は、自分と彼女らが既に別世界の存在になったのだと感じていた。そして確かに、彼女らが私をさりげなく視線から外していたことにも気づいていた。

私たちは互いに、もう、どうしていいのかわからなかったのだろうか。

さっきも引用した以下の文は完全に、当時の私の願望だ。

少しお茶でもしよう、と一緒に入ったスタバのフラペチーノを飲みながら、サナはさりげなく私の心を開いていく。なにげない会話に、嫌みのまったくない質問を織り交ぜ、そうして私の近況を知ることとなったサナは、きっと接客も上手に違いなかった。私を責めるような真似は一切せず、穏やかにそのストローを啜っている。—「私の彼のギターはV字」より

地元の同級生とはあまりうまく関係を築けてこなかった私に、学校だけがすべてでは無いよと教えてくれたのは結局、バイト先だった。社会に出てお金を稼ぐことは、私にある程度の「平等」や「自由」を与えてくれた。いろんな生き方があることを知れた。

でも、それでも本当は、私は同じ学び舎を出た友達との輪の中にも、ちゃんと居場所を作りたかった。それを今になって自覚させられている。それこそ、縁の成す技がいつか私にその願望を叶えてくれるのかも知れない。けれどもずっと、大学を辞めたての頃の私の孤独は、あの頃に巻き戻しされない限りは消えないのだろうなと思う。

ここまで書いていて改めて思った。私の学歴コンプレックスは、きっと根強い。

よく、もういい歳のお子さんを持ったおじいさんおばあさんに、ウチの娘は〇〇高校を出て〇〇大学を出てね、なーんて自慢をされることがあるけれど、残念でした、私はせいぜい北海道の高校名しか知らないし、大学だって道外じゃ、有名私立か各都道府県名のついたところくらいしか知らない。

そうやってネームバリューなんて結局その程度だと知っているのに、何故私は、未だに「大学中退」であることに苦しんでいるのだろう。

noteがやらかしてくれた今日だからこそ言うけれど、このプラットフォームは、意識が高い系の人が優遇されている場所だと思う。私みたいな陰鬱なバンドマンは、仮にどれだけバズっても「編集部のお気に入り」にはぶち込んで貰えないことだろう。

きっと、件の母校買い取ったJKみたいなコこそ、この場ではもてはやされる。それでもまあ、サポートというシステムがあるから、著名人や、意識高い系でない人の間でも流行っているのだろう。私もそのおかげで日本財団に寄付できる。今までサポートくださった方、本当にありがとうございます。

もしも自分に子供がいたら、絶対に勉強を強制しない、と長らく思ってきた。本人が自分で望むならば、塾でも何でも行かせたい。そして、本人の望む進路に向かえるよう、最善を尽くしたいと。

けれどもそれも、自信が無くなった。そもそも子なしで生きる選択をしているから、妄想の域を超えない話なんだけれど。

勉強を強制されずに育った子供が、この国で不自由なく生きていけるだろうか―あ、けして政治批判に結び付けたいとは思っていません。とにかく、そんなことを思うようになった。私だって幼少期にたくさん本を読んだから、今でも文章を書くのが好きなワケであって、あすこで何も与えられていなかったら、今の私はきっとここにはいないのだから。

わからない。わからないけれど、ともかく私は、学歴が高くて意識も高い人がさも今のシーンを牛耳っているかの様に見える、そういう風潮は好きではない。

いろんな人がいて、いろんな生き方があることを、もっと心から認めて、受け入れたい。それができたらようやっと私は、自分を縛る学歴コンプレックスからも解放されるのかも知れない。

その時に、もしかしたら―私は、赦せるのかな、大学を辞めてしまった私を。友達の輪から外れてしまった、私を。


頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。