日本のギャルが世界を救う、きっとね

なんとなしにした引用RTに、見知らぬ人(いわゆるFF外)から、たくさんいいねを頂戴した。

今になってこのツイートを読み返すと、私の文章なんだかおかしいぞ、よくこれでみんな文章の意図をくみ取ってくれたな…みんな国語の成績めっちゃいいだろ、と言いたくなる。いいねくれた皆様、本当にありがとうございます。多分みんな、私の言いたいことを読みとってくれたのだろう。ギャルの店員さん、みんな優しかった—つまりはそういうことだ。だから私は臆さずにギャル服に身を包み、109だったりアルタだったりでお買い物ができた。だからこそギャル服を着ることは、とても楽しかったのだ。

なんというか「ギャル」というスタイルは、ある程度平等なものだと思う。お金がなくとも、しまむらだったりサンキだったりパシオスだったりでも、安くてそれっぽい服が買える。お金があれば(私はなかったけど)、ブランドのお店に行って買うこともできる。お金があろうがなかろうが、やろうと思えばできるファッション、それがギャル

これがロリータだとそうもいかない。BODYLINEを着ていればにわか扱いだったし、アクシーズファムでロリータをしようとするならそれでも叩かれる。ちなみにこれは私がもっとファッションに詳しかった頃の見解なので、今はどうかはわからねえっす。

あと、ギャル層って結構、言い方は悪いけれど貧困家庭育ちの女の子にも多かった。私の昔の知人にも、母子家庭で大変だから高校を卒業したらソッコー、リズリサに就職するんだ!と意気込んでいた子もいた(結局、不採用だったのでレストランでバイトをする道を選んでいたけれど)。だからか、お金がない人や所謂いい仕事に就いていない人に対しても、ギャルという存在はおおらかに接していた感覚がある。それでもいいじゃん!的な。

そして、整形せずとも濃いメイクでがっつんがっつんに顔を変えられたので、今ほど醜形恐怖っぽい話題も聞かない時代だった様に思う—ギャルが多かった、それこそeggとかagehaが当たり前に本屋に並んでいたあの頃は。メイクを取った自分の顏が嫌いだろうと、「盛る」ことで気持ちまで盛れた。ダイソーの、昆虫の足みたいな黒くて太いあのつけ睫毛を着けていても、今よりずっと世間に許容されていたあの頃は、確実に今より生き易かった—そう思う。

だからギャルでいることは楽しかった。益若つばさちゃんの真似で全身を固めて、渋谷や新宿を歩くのは心底楽しかった。何もかもがキラキラして見えたし、高校の教室でうっかり男子にパンツを見られて笑い者にされていた自分が、まるで嘘みたいに感じられた。

ギャルというのは遠目で見るとある程度同じに見える気がする。だからこそ、よほど派手な女が嫌いな人でもなければ、あからさまな批判をしてくることも無い。むしろ皆「なんとなくかわいい女の子」に見える魔法がかけられているようなものなので、おかげさまで渋谷や新宿で容姿を批判される様な機会に出くわしたことは無い。ところがこれがロリータだと、ティッシュ配りを無視しただけで「おい!そこのロリータ!」と怒鳴られたらしい…ロリータだった知人曰く。

だもんで、容姿いじめをしこたま味わってきた自分としては、ギャルというのはとことん幸せな属性であった。

根底に「優しさ」のあるジャンルなのかも知れない。どこかで、世間に受け入れられているような受け入れられていないような、そんな不安定さを感じながらも、力強く佇んでいるジャンルーそれが「ギャル」だったのかも知れない。だからこそ、その道に足を踏み入れようとする者にはあたたかく門を開く—というか、たとえ芋娘であろうとお洋服を買いにきたならば、ショップ店員さんがたは皆、あたたかく接してくれる—そういうものだったのかも、ね。

なんてことを、もはや平成の遺物(…生まれは昭和だけど…)な私は考えていた。

そういや私服登校だった高校の頃も、中途半端でなくがっつりギャルだった子たちの方が優しかったな。

令和のギャルたちがどこまでも幸せであります様に、そして彼女らが世界を、どんどん明るく照らしてくれることを願って。


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