私が、私を必要としている
なんか書きたいけど、書けない。
それが今夜の私の気持ち。書きたいのに「降りてこない」。かっこよく言えば、そんな感じだ。
私は、自分の抱えた過去の記憶とか、ふっと思い付いた物語とか、そういうものをパソコンで書き起こしている。タブレットとかスマホでやろうとすると、パソコン以上に誤字る。たぶん私、細かい作業が苦手なんだろうね(だからばつばつとキーボードを打つ方がいい塩梅)。
…あれか、ぶるーとぅーす?のキーボードがあればスマホとかでもいけるのか。ようわからん。
そういえば—だいぶ昔、いつのことだろう…おそらく中学時代くらいだろうか。まだパソコンを持っていなかった頃、近所の百円ショップに、少し小さめのサイズの原稿用紙が売られていた。ちゃんと銘のある会社のものだったような気もする。
当時の私はそれをいそいそと買ってきて、何かを一生懸命に書いていた。
コバルト文庫とかティーンズハートで、まだ作家を募集していた時代だったと思う。うろ覚えだけれど年に一度くらいの間隔で公募の企画をやっていて、よくある〇〇大賞みたいな名前のコンテスト的なやつだ。私はたぶん、そういうのに応募しようとしていたのだと思う。それで、原稿用紙を買っていた—んだと、そんな記憶がイマ、ふっと蘇ってきたところだ。
でも、中学生の私には、既定の原稿用紙数まで達するほどの長さの物語が書けなかった。だから私は結局一度も、そういう類のものに応募ができずに中学を卒業した。
いろんな可能性を秘めた、そういう未来が子どもには用意されているものだけれど、当時の私は、自分の家にお金が無いことを自覚し始めていた頃合いだった。
「新しいおうちに引っ越したら使おう」と言って、母はよく、気に入ったものを押し入れの奥にしまっていた。父も母も「いつか新しいおうち(新築の家)を買うぞ」と意気込んでいた。でもそれは年月を追うごとに、叶えるのが難しい願いになっていくばかりだった。
古くて狭い借家(一軒家だけれど三部屋ほどしかない、そんな小さな家がたくさん並んでいる、そういう場所だった)で暮らす毎日の中、私立の高校に行くのは、いくら成績によって学費をいくらか免除権を勝ち取っても、それでもちょっと厳しいかな—という家計の雰囲気を、私はしっかり嗅ぎ取っていた。
そういう「ああ、私の家はびんぼうなんだ」という重苦しい自覚から逃れる為に、私は心のどこかで「小説を書いて賞を取ってお金を得る」という方法に希望を見出して、前を向き続けることを自らに強いたのだと思う。
諦めたら、それこそおしまいだった。「自分なんてこんなもの、」と、諦めてしまったら、私は、終わってしまうのだ。
自分の未来を棄てない方法を、私は中学生ながらに見つけていた。健気だったなと思う。
高校受験のほんの少し前のとある夜、父が死んだ。新しいおうち、は結局手に入らなかった。母は押し入れの中にしまっていたものを、結局どうしたんだっけ。…棄てたか、普段使いにしたか、そのどちらかには違いない。
今は、いい時代だと思う。原稿用紙をいちいち買ってこなくとも、デジタルなもので文字を打って、郵送せずとも、ファイルにしてネットを介して作品を送れる。公募へのハードルが、いい意味で低くなった気がする。
だからこそ私は、本当はもっと貪欲にいろいろと書いて、いろんなものに応募して、中学生の頃の私の願いを叶えてやらねばならない気がする。
お金のことで不安になって打ち震える少女を、私の手で、しっかりと抱きしめて救ってやりたい。
…結局、私が創作の為に必要としているのは、他でもなく「私自身」なのだなあと思う。
私にしか、私のことは、表現できないのだから。
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