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私を包んで、救うもの

ここしばらく、ナゾの落ち込みに襲われていた。

自分には女としての魅力が無い、という気持ちからどうしても逃れられなかった。

もう、何度も何度も癒そうと努めている傷なのに、少しずつ良くなってきているはずなのに、それでもいきなりつらくなる。なんだこれ。しんどい。

…ということで、どうにかしようと足掻いて、どうしても欲しかったけれどずっと躊躇っていたものをZOZOTOWNで注文した。

ピーチ・ジョンの、ブラだ。

私にとって、ピーチ・ジョンは「セールで買うもの」だった。ものすごく高いモノ、というワケでは無い。きっとこの記事を読んでいらっしゃる方の中には、ピーチ・ジョンよりよっぽど高い下着を買っていらっしゃる方も絶対にいるはずだ。いらっしゃるいらっしゃるしつこいな私。

でも、私には高価な下着だった。それを私は(ネットの口コミを見て)どうしても欲しくなった。だから、ZOZOの後払いシステムを使うことで(まあいずれボーナスも入るはずだし…と計算して)、とあるブラをプロパーでポチった。

そのブラの着け心地が、最高すぎたのだ。

正直、今まで買ってきたブラは大半が「ブラにあってブラにあらず」だったのだと思わされた。あれらは「胸当て」であって「ブラジャー」では無かったのだ—そんな感想を抱くほどだった。

ふと私の脳裏に、高校時代から数年間、実家を出るくらいまでずっと使っていた、しまむらの安物の、ボロボロになってワイヤーすら飛び出ていてそれを指でギュっと押しこんでまでして使っていた、サイズの合わないあのブラジャー、もといあの「胸当て」のことが思い出される。

ただ、胸の先を隠すためだけのものだった。かわいいとかバストの形がどうだとか、そういう要素を思いっきりムシされた、胸を隠すためだけのあのブラジャーを、私はずっと使ってきた。からだが大人になっていく過程の、あの貴重な時間に、だ。

私は、今の自分の胸を包むものに感動していた。それはうつくしく、サテンがつやつやとして色っぽく、それでいてからだをきつくきゅうきゅうに締め付けるものでもなく、ただただひたすらに素晴らしいブラジャーだった。

母は何かとあれば「ウチにはお金が無い」と言った。それは本当だったけれど、母は煙草を吸ったり、自分の彼氏のためにお金を使ったりしていた。

私の下着は、しまむらで買うか、セシールとかベルーナとかそういう通販の十枚で格安、みたいなものを母と分ける…そんな感じだった。

母はだいぶ若い頃に買ったという色のくすんだボディスーツで、自らの体をぎっちぎちに締め上げていた。それはもう、きっと二十年は使っているであろう下着だった。それでも現役で使えるほどだったということは、そのボディスーツは、元々は相当いいモノだったのだろう。

noteで何度も書いてきたネタだけれど、私は思春期真っ盛りの高校時代、クラスの男子に、母の買ってきたおばさん臭い下着を着けているのを見られてしまって「気持ち悪い」と罵られた。

もしもあの時私が、花の女子高生らしい、愛らしい下着を身に着けていたならば—事態は、ちょっと変わったのだろうか?、そんな風に考えたこともある。

私は、自分にはお金をかける価値が無いような気がしていたのだと思う。

それはきっと、母が無意識にゆるゆると私にかけていた呪いだった。ウチにはお金が無い—それは、私からいろんな望みを奪う言葉だった。なかなか買い足されない下着は、どんどんとぼろ雑巾のようになっていった。カップの大きさなんて絶対に合っていなかった。だって、そんな記号を確認して買っていた記憶が、私にはまったく残っていないからだ。

高校を出、ほんの少しの間一人暮らしをしていた頃も、私は下着を買った覚えが無い。やがて病気をして実家に戻ったけれども、その後も実家を出る時がくるまで、私は雑巾のような下着をずっとずっと使い続けた。

実家を出ても、私は自分自身にお金をうまく使えなかった。そのくせ、合鍵を作るのに二万もかかるという自宅のカギを落っことして家に入れなくなったり、ばかばかしいことでお金が飛んだ。そうやってなんやかんや私は、自分にお金を使うことをひたすらに苦手とした。だから、典型的な「安物買いの銭失い」をしては、使わない、と言うより使えない洋服や靴を集めてしまう。

美容室に行ってもカラーでお金を使う勇気は無く、下着も、量販店の安いものを買った。私はそういう生き方を、あの「呪い」によって、ずっとずっとしてきたのだ。

一度だけアンフィというワコール(大手の下着の会社)がやっているブランドのお店で、作家の蝶々さんとのコラボ下着を二種類買ったことはある。それはかなりもう、清水の舞台から飛び降りる的な覚悟でもって購入した。下着というアイテムの寿命はそう長くないはずだけれど、結局そのアンフィの下着は、六年くらい使っていた気がする。いい加減ぼろくなってしまったので、そのタイミングでやっと処分できたほどで、さすがに上下で千円のものとは丈夫さがまったく違う、素晴らしい品物だった。

コロナ禍で私のお腹には肉がついた。そんなにストレスは溜めていないと思っていたけれど、無意識の内に食欲は増加していたらしい。

ますます私は、自分が醜い生き物になっていく気がした。

私は、夫の存在がある以上、彼について以外の恋愛の話はしないことと決めている。単純に、夫の目に触れたら彼が嫌な思いをするだろうという考えからであって、他の方がどうであれそれを否定はしない。あくまで「私はしない」というだけだ、というのを断っておく。

(とか言いながら女性を好きになった話はたまにしてるけども。)

ただ、こういう「自分には女としての魅力が無い」という気持ちに押しつぶされそうになっている時、私は遠い過去のどこかで「私が美人じゃないからいけないんでしょう!?」と叫んでいた自分と対峙する。今よりもっともっと、うんと若かった頃の私が、大声で叫んで泣いている。私はそういう自分がまだ癒えていないことを、自覚せざるをえないのだ。

そういう自分を癒すにはきっと、自分にお金をかけてあげることも、必要なすべのひとつのような気がする。

それを知っているから、私は思い切ってピーチ・ジョンのブラを買った。

今後はもうずっとこのシリーズだけ買い揃えていこう―それくらい感動した。ステマかよ!って文章だけれど、案件でくれるならマジで欲しいよ本当に。報酬はずっと、ひたすらあのブラをください。本当、こんなに感動したブラ、初めてだ。

しまむらとかの商品開発の方々も本当に物凄く頑張ってくださっているのはわかる。わかるけれど、私はもう、しまむらで千円~二千円出してブラを買うことはできないと思う。だってあと千円ちょっと上乗せすれば、ピーチ・ジョン、買えちゃうんだもん。

下着ひとつでこんなに心が救われるなら、私は、少しずつでも着実に、もっと自分にお金をかけてあげようと思う。

ところで、ピーチ・ジョンは以前は野口美佳さんの会社でしたが、今はワコールの子会社になったんですね!ワコールってなんでこんなに安心感あるんだろうな…。

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