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スプートニクのくれたもの

世界初の人工衛星の名前は「スプートニク1号」だったそうだ。ロシア語で「付随するもの」、惑星の周りを行く衛星として、ぴったりの名前だと思う。

バンプの天体観測みたいに早起きした。午前二時、よりはちょっと遅い午前二時半。私はペルセウス座流星群を見に行く為に目を覚まし、起こしてくれたアレクサに「アラーム止めて」と声を掛けた。

ペルセウス座流星群は、どうやら毎年お会いできる流星群らしい。そういえば去年も私は、県内某所の秘密のスポット(ってほどでもないけど、いかんせん今はソーシャルディスタンスの時代、人が溢れるのは困るので念の為伏せておく…そんな場所)で、ナントカ流星群を見た。あれもペルセウス座だったのかも知れない。

月とか星は好きだった。けれども星の動きとかそういう地学のお勉強はからっきし苦手で、頭には入っていない。

高校の頃、確実に文系コースを選ぶであろういじわるな女子を避けたくて、女子の比率の低い理系コースに進み、撃沈した。私は理系が本当に駄目で、数学のベクトルのテストなんて2点しか取れなかった。当時はメンタルもおかしくなりかけだったので、知力もがくんと下がっていた節はある。それでも理系コースに居る以上、それっぽい進路の希望を出せねばならない。ので無理矢理、星の研究だかができる北大の理学部だったかを無謀にも希望してみたりもしたけれど、かなり早い段階で無理だと悟って諦めたりもした。

でも夜空を見るのは好きで、プラネタリウムも好き。以前の職種が学童の指導員だったので、遠足なんかで鱈腹プラネタリウムに行けて、役得だったなあと思う。

夫と、去年と同じスポットへ向かった。誰もいない。去年は鹿に出くわした記憶がある。

深夜になって、関東では流星群が見づらくなったらしかった。それでもまあ幾つか見られるでしょうと前向きに考え、私たちは車のサンシェードをレジャーマット代わりにし、地面に寝転がった。北東の方角だと聞いたので、そちらをじっと見つめる。

「UFO来ないかなあ、俺、UFOなんて見たことないや。」

のんびりとした口調で夫が言う。そんなに簡単にUFOなんて見られたら大問題なのだけれど、実は先日、従兄が「UFOを見た!」と話していたばかりなのだ。しかも私自身も子供の頃、それっぽいものを見たことがあったりする。

私の体験談を聞いてあっさりと「それだと葉巻型だねえ、」と教えてくれたのは夫で、何故かUFOやUMAに詳しい。そして星のことも大好きだ。

UFOはともかく、流れ星は幾つか現れた。見づらくなったと言われていた割には、数は少ないけれどあっさりと見つけられた。「あ、あれ、UFOかな?」なんて話しながら、結局はおそらく飛行機であろう点滅する光に向かって、スマホの灯かりをぶんぶん振ってみたりもした。さすがにUFOじゃ、あんなに規則正しく点滅しないよね、と二人はいたって冷静だった。

そんな中、空を、星と同じような控えめな輝き方で、点滅もせずにまっすぐに動く光を見つけた。それはひとつだけでなく、別の場所からも走るようにやって来る。流れ星とは違い、消えてしまわない。「あれ、何?」「…UFO?」「…いや、これこないだ見た国際宇宙ステーションみたいな動きしてない?」「じゃあ、もしかして人工衛星とか?」

すぐにスマホで検索してみた。古い言い方だけれど、ビンゴ。どうやらその動く光は、人工衛星であるらしい。従兄が見たというUFOも、人工衛星だった説が浮かび上がった。

「俺、こんな風に人工衛星が見られるなんて、初めて知った。」

夫が少し感動して呟く。元ZOZO社長の前澤さんが、国際宇宙ステーションが夜空を通過するたびにTwitterで知らせてくれるので、何となく人工衛星というのは特別なモノであるのだと認識していたところがある。実際、国際宇宙ステーションは「珍しい人工衛星」にくくられると思う。見える時期と見えない時期があるそうなのだ。

けれども実は、多くの人工衛星というのは、宵の口と朝方のそれぞれ二時間ほどの間に、空のコンディションが良ければ、数十分で数個は見られる―そういった、タイミングが合えば毎晩の様にお会いできる存在であるそうだ。

(上記のサイトを参考にさせて頂きました。ありがとうございます。)

「ねえ、人工衛星ってどうやって光ってるの?まさか電気点けてるワケじゃないでしょ?」「あれはね、太陽の光を反射してるんだよ。」

夫は当たり前の様に知っていた。勉強をサボりまくって偏差値が物凄く低かったという彼の学生時代を、ちょっと信じられない時がある。つくづく勉強ってやつぁやりたいかやりたくないかの問題であって、その人の能力というのは偏差値だけじゃあ量れないものなのだなあと感じる。

いつの間にか流れ星は見えなくなり、私たちは人工衛星の観測を堪能したところで、帰路につくことにした。

「世界で最初の人工衛星の名前は、スプートニクって言うんだって。」「…スプートニクって、新居昭乃の曲名にあったなあ。」「村上春樹の本のタイトルにもあったよ、全部読まないで図書館に返しちゃったけど。」

車内でそんな話をした。音楽がすぐに出てくる夫と、本がすぐに出てきた私。けれどもすぐに「スプートニク」という単語に反応できたところは、芸術を齧るものとしてはきっと、神様から合格点を頂けると思う。

夫婦でバンド活動をしてきて、順調なのだと思ってきた。活動期間の短いバンドが多い世の中で、何より続けられることが大切であって、たとえ思うように知名度が上がらなくとも、物凄く好きでいてくれるファンが数人でもいてくれれば、それだけでもまずはOKなのだと思ってきた。

けれども時々、知名度というものに鬱というデッドボールをぶつけられる。

デジタルでの配信が増えてきた今でも、CD屋さんに置いていないバンドは駄目であるという風潮は消えない。否、盤でもデジタルでも両方で流通させられることが一番いいとは思っているけれどね。

海外では、たぶん私達規模のバンドもバンド扱いされているっぽい様子はある。けれどもここは日本。あくまで我々は、この国のバンドだ。

そういうぐちゃぐちゃとへどろみたいな鬱から逃れたかった。自分たちが作っているものは、たとえ自画自賛と言われようと「最高」であると、自分だけでも信じていたかった。

人工衛星の寿命は、昔はたった1年だったという。それが今では15年ほどになったらしい。そして、周回中の人工衛星は3000個くらいあるんだとか。私たちが見た数個の人工衛星にも、もしかしたら15年選手のベテランが混じっていたかも知れない。

そう思うと、少しだけ元気が出た。

15年近くも空を翔けている人工衛星が、やっと、私たち夫婦に存在を知られたのだったら。私たちが作った音楽も、もしかしたらもうちょっと、人の目に届くには時間が掛かるのかも知れないじゃあないか。

人が作った星が、太陽の光を反射して、夜空に輝いている。宵の口と朝方の二時間ずつ限定、それも空のご機嫌によって、見られるかどうかの動く星。

私たちの音楽もそうやって、世界という広い夜空の中では、きっととても見つけづらい存在なのだ。

それでもずっと空を翔けていたら、いつか見つけて貰えるかも知れない。

そして、誰かの心に寄り添うスプートニクになれたなら。

悪くはない。私は15年先に向かって、また音楽を打ち上げよう。


☆他に参考にしたサイト☆


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