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知らない街で、知らない人が生きている

アセアンそよかぜさまの企画に参加する為に書いた、この小説。
(ごめんなさい、「そよ風」と書き間違えておりましたので訂正させていただきました…大変失礼いたしました。申し訳ありません。)

アセアンそよかぜさまの記事でも、ご紹介いただきました!ありがとうございます。

川越とか朝霞とか、思い入れのある場所でにぎわった小説です。朝霞で長いこと働いてたし、成増は、朝霞時代の同僚と一緒に遊んだ街です(ダイエーでプリパラとアイカツやったっけ…)。

ところでこの間初めて、埼玉の江南地区に行ってきました。というか、車で通っただけだけれど。

元々は江南という独立した町で、いわゆる平成の大合併で熊谷に編入した…のかな、生粋の埼玉県民な夫の説明だと、そんな感じでした。

個人的にはちょっと、札幌の郊外の住宅街みたいでちょっとときめきました。自分の中でふいに、札幌の夕暮れ時の風景がふわっと浮かぶことがあります。昔はよく、母のカレシさんの車で病院の送り迎えをしていただいたので…その時の記憶の断片なのかな。江南地区はそんな記憶と重なった風景に感じて、懐かしさを感じながら車窓を眺めて過ごしました。

アセアンそよかぜさまが、小説の紹介の見出しのひとつにつけてくださった「観光ではなく日常の生活を見るのもまたお出かけ」という言葉は、江南地区を眺めながら思ったことを端的に表しているようでした。

「こういう、知らない街で知らない人たちが生活を営んでいるのって、なんだか不思議に思わない?」

私は今まで何度もそれを口にしてきて、そのたびに夫も「わかるよ、」と答えてくれています。そんなに深く掘り下げて話したことはないけれど。

どこにだって、誰かの生活が、人生が存在している。

私はひとときの華やかな夢を見るより、続いていく日常のうつくしさに触れていたいのかも知れません。テーマパークってそこまで好きじゃあないしなあ。ああ、でもバンドのライヴの非日常感はめちゃくちゃ好きだけど。

そういえば、観光都市・小樽は私にとって「高校のある場所」でした。当時は観光客でごんごん溢れかえっていたけれど、私にとっては地元みたいなものでした。学校をサボって住宅街なんかを歩くのはそれこそ、私にとって「観光ではなく日常の生活を見るのもまたお出かけ」な、観光都市小樽の歩き方でした。今や私にとって、川越もそうだよなあ。

普通のありふれた日常もまた、誰かの人生を垣間見ることのできるドラマのひとコマというか、何というか。だから私は、知らない街で知らない人の生活を想像するのが好きです。

最後に、アセアンそよかぜ様、素敵な企画を本当にありがとうございました!

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。