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財布・輪廻転生す。

ホワイトデーに、夫からお財布を貰った。

私の好きなヴィヴィアン・ウエストウッドのお財布。

ヴィヴィアンは地雷女の持つアイテムーだなんて昨今は言われていたりする様だけれど、そんなの関係ねぇ。好きなものは好きなので、そんなの「好き」を持っていない人の僻みなんだと解釈しておく。

さて、可愛いお財布を貰ったことにホフホフしていてふと、私はあることに気が付いた。

二つ折りサイズでがま口付き、そして革紐で縁を囲って(これもパイピングで合っているのかな?)、ブローグの装飾が施された、このお財布。

—似てる。

自分の記憶の中に蘇った、過去に愛用していたとあるお財布。

それとこのヴィヴィアンは、(パクりとかそういう意味合いで無く)とにかくよく似ていたのだ。

大学に合格し、卒業式の少し後、札幌で一人暮らしを始めた。ちょうどこの頃—というか、あと少し後、お彼岸から数日経った頃、だったと思う。

入学式より先に始めたバイト先で、先輩方がお昼を買いに行く時、抱えていたお財布に目がいった。三十代少し手前の女の先輩二人が同じお財布を持っていたのは、二人で仲良く揃えたからだったに違いない。

それは、アナスイのピンクのお財布だった。

二つ折りで、がま口タイプ。桃色に染色された革製で、かぶせ蓋の部分にカメリアだろうか薔薇だろうか—とにかく、お花の型押しがされていた。

私は、そのお財布にとても憧れた。あまりに可愛らしく、あまりに女の子らしいそのお財布は、未だに「どこかのリサイクルショップで出逢ったら多少傷んでいても絶対買ってやる」と私に思わせるくらい、心を魅了してやまないものだった。

当時の私はお金が無かった。奨学金を月8万円借りていたけれど、それにプラスしてバイトをした分の稼ぎで、生活費と学費を賄わねばならない苦学生だった(結局すぐに中退しちゃうんだけど)。

きっと、丸井今井にでも行けばあのピンクのアナスイのお財布は手に入ったのだ。ただしそれは、定価では私に買えなかった。

高校時代に清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったコムサイズムのお財布は、三千円にしては頑丈でとてもいいものだったのに、私はどうしてもアナスイのあのお財布が欲しくて仕方なくなった。先輩方の持つあのお財布は、私にとって大人の女の象徴にも見えていたのかも知れない。

もう22時半の終電を気にする必要も、母親と二人だけの家で窮屈な思いをすることも、無くなったのだ。

中古品をとにかく嫌がる母もここにはいないのだ—と、私は少しずつ、古着屋(というよりは、リサイクルショップ寄りのお店)に通う様になった。

憧れだったMILKも、ここでなら手の届く値段で買える。スーパーラヴァーズのバッグだって、千円もしないで売られていた。ヒステリックグラマーのロンTだって買えるのだ、まるで宝の山だ—私は本気でそう思った。

そんなある日、私は狸小路の古着屋で、運命の出逢いを果たしてしまった。

それは、先輩方の持つあのアナスイのお財布になんとなく似ている財布だった。

色こそベージュだけれど、二つ折りサイズでがま口付き、そして革紐で囲われた縁。先輩方のあれよりはもっとリアルだけれど、薔薇の型押しされたかぶせ蓋。あしらわれたブローグが、そこに愛らしさを付加している。

まあ使い古されてはいたけれど、そこは革製、逆に味が出ていると言えるだろう。それでいて、たったの八百円—私はちょっとだけ悩んで(八百円あれば私は二日ちょっとはご飯が食べられたから)、結局それをレジに持って行った。

私もやっと、憧れのアナスイのお財布を手に入れられた—その高揚感は今でも何となく思い出せるほどだ。その後私は、二束三文であっけなくコムサイズムのお財布を売ってしまった。コムサイズム、ごめんなさい。

そのベージュのアナスイのお財布を、私はその後数年間使い続けた。それだけお気に入りだった。教育大に行った当時の友達がマリークヮントのお財布を見せてきても、私とて自信を持ってアナスイのお財布から小銭を出せた。

けれどそれから少しして実家を飛び出し、もう今までの人生をいっさいリセットしてしまいとまで思いつめた時、私は断捨離の如くいろんなものを処分した。その中に、アナスイのお財布も含まれてしまったのだ。思い出の詰まったお財布を見ているだけでもモヤモヤして、私は財布を買い替え、あれだけ愛していたアナスイのお財布をそうして手放してしまったのだった。

あれから—十年ちょっと。もっと?否、曖昧にしておこう。

—ああ、あのアナスイのお財布が帰ってきたんだ、ヴィヴィアンになって。

私は、そんな風に感じながら感慨深く、手のひらの中のヴィヴィアンのお財布をじっくりと眺めた。

このヴィヴィアンのお財布は、生地は布製であって、革ほどの耐久性は無いだろう。気を付けないと汚れてしまうに違いない。

それでも、可能ならば「我が生涯の最後のメイン財布」にできるよう、愛してやろう—そう思った。

せっかく帰って来てくれたのだ、今度はきちんと連れ添いたい。

いつだったか、山村紅葉さんがサマンサタバサのキティちゃんのお財布を愛用されていると、何かの記事でお見かけした覚えがある。

山村さんには失礼を承知で言えば、サマンサタバサはおそらく二十代の女の子がメインターゲットのブランドだと思うし、山村さんレベルの方ならば、もっと高額の、いわゆるハイブランドのお財布をお持ちでもおかしくないはずだ。

けれども山村さんは「キティちゃんが好きだから」という理由で、そのお財布を愛用されているらしかった。

とても素敵なことじゃあないか—いくつになったって、自分が何者であったって、好きなものを好きでいることは自由で、とても気高くって、本当に素敵なことのはずだ。

だから私も、この前世がアナスイであるヴィヴィアンちゃんを愛してやりたい。

昔の私が叶えられなかった夢も、潰えた希望も、これから先の私が回収して幸せに染め上げてゆこう。

そのお共に、このお財布を連れて歩むのだ。

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