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ペルーの貧困2 ベネズエラ難民(チャベス編)

こんばんは。そして、こんにちは。

私は日本と時差が14時間のペルーからこの記事をかいている。

今夜中の0時をまわったところで、日本は昼の2時。

日本の皆さんはこちらから見ると未来に住んでいるんだな。


前回少し触れたが現在のペルーを理解するには、

ベネズエラとの係わりの説明が不可欠なので、

今日はベネズエラについて書くことにする。



ベネズエラって何処にある?

私は日本を離れて13年、

ベネズエラについてどのような報道が我が祖国日本でなされているのかは知らないのだが、

皆さんはベネズエラが崩壊していることを小耳にはさんだ事はあると思う。

さてそのベネズエラだが、どこにあるか知っているだろうか?

私は正直な話、ペルーに住むまで南米の国々の位置関係はハッキリ知らなかった。笑

とは言え、こちらの人々も日本がどこにあるかなんて知らない。

韓国、中国、日本、台湾、全部ごちゃ混ぜなのだ。

そしてアジア人全般を

「チーノ」

と呼ぶ。

つまりアジア人はみんな中国人と言うくくりなのだ。

これにはムッとくるが、南米での日本の認識度はその程度なのだ。

残念ながら。

フジモリ前大統領のあだ名は

「チーノ」

だった。

南米人は悪気があってそう呼んでいる訳じゃないのだが、

あまりいい気分ではない。

日本人は日本人なのだから。


まあ、ベネズエラについてはいいチャンスだと思って覚えれば、

さっきの自分より一つ物知りな自分になれるのでぜひ覚えよう。笑


さてその位置だが、南米の最北端をコロンビアと争い、

カリブ海に浮かぶキューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコの下である。


ベネズエラ出身の有名人

そしてベネズエラ、と聞くと何を思い出すだろうか。

私は石油とスポーツ選手を思い浮かべる。

石油はなんと埋蔵量世界一!(生産量ではなく、埋蔵)

そして共産思想の国らしく運動選手の有名人が多い。

柔道、ボクシング、野球、etc、、、

ボクシングでは世界三階級制覇のホルヘ・リナレス選手、

野球では西部で活躍したカブレラ選手、

ヤクルト、巨人でおなじみペタジーニ選手、

横浜ベイスターズのラミレス監督もベネズエラ出身である。


また美人の名産地としても有名なのはご存じだろうか?

ミスユニバース、ミスインターナショナル、ミスワールドの

三大大会の優勝者の合計はぶっちぎりのトップ。

写真を載せたいのだが、一枚しかアップできないのかな?

興味のある方はググってみてください。

なぜこんなに美人が多いのか、と言うと、

1950年代に政府が進めた観光立国政策で、

世界中から観光客を集めようとして美人育成指令を発令、

小、中の義務教育から美人コンテストを開催させるなどの力技を炸裂させた。

今なら人権団体に抗議されるだろうが、、、

そしてこれが功を奏し、美人の生産地として有名になり集客に成功。

そして驚くべき事に、

ベネズエラ人は豊胸、豊尻?手術はタダで受けられるそうだ。

どうりで人間離れしたスタイルの人たちが大勢いるわけだ。


そしてこれからはどのようにして

「地上の楽園」

と呼ばれるようになったかを説明していく。


楽園の始まり チャベス前大統領

さてそんなベネズエラ、

今は地獄と呼んでも言い過ぎではない状況なのだが、

僅か10年前までは

「地上の楽園」

と呼ばれていた。

この楽園までの流れは1999年就任の

ウーゴ・チャベス前大統領からだ。


彼は赤の家庭(共産思想ファミリー)で育ち、

友人にも共産主義者を多く持つようになる。

高校卒業後、士官学校に入学。

当時軍事革命を推進していたペルーのべラスコ将軍に多大な影響を受ける。

1975年、士官学校卒業後は軍に入隊するのだが、

1989年に首都カラカスで起きたカラカス暴動の鎮圧のため軍が出動、

多くの人々に発砲、多数の死傷者を出した。

これに衝撃を受けたチャベスは(当時、中佐)

1992年になんと!軍事クーデターを起こしたのだ!

当時の私は高校生で相撲一筋、世界情勢なんて全く興味がなかった。

もっと注目しておけば良かった!

これを読んでいる皆さんは何をしていただろうか?

まだ生まれていないって方もいるでしょうね。


クーデターは失敗に終わり、彼は投獄されたが、

これによって貧困層のハートをがっちりと掴むことになり、

武装闘争から政治活動へと方向転換していく。

当時のベネズエラは資本主義の白人富裕層と政府高官に国の富を独占されていたのだが、

貧困にあえぐ大多数の国民からの支持を受け、

1999年、圧倒的勝利を収め、大統領に就任する。


世界の報道はアメリカの影響下にあるので、

軍事政権、クーデターを悪のように報道するのだが、

実際の所、クーデターは白人支配層による搾取に反発した結果であり、

一概に悪とは言えない側面が多い。

キューバ革命しかり。

私はキューバ人の親しい友人がいて、

2012年と、2015年、2度キューバを訪れ、

トータルの滞在期間は半年程であるが、ほぼ全土を訪問、

各地にカストロ、ゲバラ、カミーロの肖像に加え、

チャベスも英雄の一人として並び称されているのをこの目で見てきた。

悪いのはクーデターを起こした者なのか、

全世界から搾取を行おうとする白人資本主義者なのか、、、。


しかし残念ながら革命者はクーデターを起こすまでは良いのだが、

その後の結果を見れば、、、、となってしまう。

実際にこの目でみた共産主義については

良いも悪いも感じる事は多々あるのだが、

それはまたの機会に書くことにしよう。


チャベス政権

さて話をチャベスに戻そう。

彼は大統領就任後、医療の無料化制度を整え、

盟友キューバのカストロ議長から2万人!の医師の派遣を受け、

医療改革に着手していく。

富裕層、大農場主から土地を没収し、農民に分配しての農地改革、

共産国家と結束を強め、反米政策を次々と打ち出していく。


CIAによるクーデター勃発

しかし当然これに反発するのが白人支配層で、

僅か2年後の2002年にはCIAが主導した暴動が乱発、

遂に軍内部を買収したCIAは軍事クーデターを成功させ、

チャベスは監禁される事になり、

CIAの操り人形だった商工会議所連合会議長のペドロ・カルモナが大統領に就任する。

これはアメリカのいつものやり方で、

言う事を聞かない国にCIAがスパイを送り込み、

暴動を扇動しクーデターを起こす。

最後に操り人形を大統領に就任させ、

アメリカに富を流し込むシステムを作り作戦終了。

これは現代では秘密でも何でもなく、

前CIA長官ジェームズ・クラッパーが明らかにしている。

「私は世界117国の選挙に関与してきた」と。


しかしこのクーデターに国民は激怒する。

二日間に渡り激しいストライキが起き、

流れを見た軍や警察がカルモナから寝返りチャベスを開放、

CIAクーデターは二日で終焉を向かえた。


その後もチャベスは反対派の抵抗を受けながらも、

中南米諸国の団結を目指し、資本主義支配からの脱却を訴え、

キューバ、中国、ロシア、イランと国交を深め、

反アメリカ路線を突き進んでいく。


痛快な発言

彼が大衆からの支持を受けるにあたり、

特筆すべきはその歯に衣を着せぬ発言だろう。

2006年、3月のラジオ番組で、

当時アメリカ大統領だったジョージ・ブッシュ氏を

「あなたはロバだ、ミスター・デンジャラス」

ロバはスペイン語では愚か者を指す。

これに続き、

「臆病者」 「殺人者」 

「集団虐殺の首謀者」 「酔っ払い」

などと、罵詈雑言のオンパレード。笑

極めつけは同年9月20日の国連総会の演説で、

前日にブッシュ氏が演説したことを受けて、

「昨日、ここに悪魔がいた。まさにここだ。今も硫黄の臭いがする。」

と言い放ったのだ!

凄い!を通り越して笑ってしまう。笑

世界の権力のトップに噛みつくこの気概。

以前CIAクーデターで殺されかけている訳だから気持ちは分かる。笑

さて今、誰かトランプ大統領に対して

こう発言できる人物が世界にいるだろうか。

あ、いるな、お隣の、北の角刈り親分が。笑



地上の楽園へ

チャベス革命と呼ばれる彼の政策の大黒柱は

埋蔵量世界一の石油だった。

1970年代から高騰を続けた石油の値段。

そのピークがこのチャベス政権時で、

国際石油会社(エクソンモービル、͡コノコフィリプスetc)

らがベネズエラ国内に持っていた資産を接収、

石油資源は全て国有にし、

油を売っては金をばら撒きにばら撒いた。

医療、教育、

住居、水道、高熱費はタダ。

無茶苦茶な国策に湯水のごとくオイルマネーを投じていく。

これに国民は熱狂し、

彼の国内での支持はいよいよ強固なものとなっていった。

国民は狂喜乱舞し彼を褒めたたえ、飲めや歌えの大騒ぎ。

パーティー三昧の日々を送る。

我々には石油がある、我々にはチャベスがいる、と。

生活費は安く、美女が溢れている、、、。

こうしてベネズエラは地上の楽園と呼ばれるようになった。


天国から地獄へ

そんな剛腕チャベスにも死の影が忍び寄る。

2011年、彼は癌を患う。

骨盤に野球ボール大の悪性腫瘍が出来、歩行も困難になる。

盟友だったカストロ議長のいるキューバを訪れ、

腫瘍摘出手術をおこなう。

癌の手術によるキューバへの渡航は合計4度。

しかし体調は回復せず、2013年3月6日、

彼は首都カラカスで58歳の生涯を閉じた

病室では「死にたくない」と漏らし、

アメリカの癌兵器によって殺される、と周囲に話していたそうだ。

実際、中南米のリーダー達が癌を患う確率は異常に高い。

カストロ氏は147回、CIAから命を狙われたが生き抜いた。

これはCIA自ら公表した回数であるが、

このカストロは常々チャベスに

「食い物に気をつけろ。アメリカはあらゆる手段を使って殺しにくるぞ」

と忠告をしていたそうである。


彼は、支配層からは人と思われていなかった貧困層を

社会や政治からの疎外から呼び戻し、

豊かな生活を送らせようとしたのは確かである。

が、そのやり方がマズかった。

いつか破綻することは目に見えていたのに、

石油頼りの福祉政策で張りぼての楽園を作り上げ、

他国から貧困層の流入も招いた。


その後、、、

彼の遺言のような

「後はマドゥロに、、、頼む」

との言葉を受け、当時副大統領だった

ベネズエラ史上最悪と呼ばれる

現マドゥロ大統領の就任へとバトンは渡され、

国は破綻への道を突き進んで行く、、、。


これが5百万人とも言われる難民の流出へとつながり、

200万人がペルーへ押し寄せる。

この200万人の中に、

犯罪覚悟で成り上がろうとする輩が大勢混じっていて、

ペルーでの治安低下に繋がっている、と言うわけだ。


さて、私は妻の叔父で楽園時代にベネズエラへ移住し、

現地人と結婚、昨年ぺルーへ戻ってきた方と話をしながら

色々学んだことを思い出しながら書いている。


今日はチャベスについてまとめたが、

明日は現マドゥロ大統領と、

ベネズエラの現状がどれだけ酷いかを書きたいと思う。

地球の裏側を理解するのに少しでも役に立てれば幸いです。

今日も長々と付き合ってくれてありがとう。

良い一日を!! チャオ!!








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