見出し画像

家族の中で育みたい子供の学び

正統的周辺参加という言葉を知っていますか?私は本を読み知りました。子育てするおかあさんお父さん、子供を育ててくれる全員が知るべき内容だと感じたのでみんなに知ってほしいと考えて書きます。
たまに昔のほうが豊かだったのではないか、と感じることがあるけどこれもそういったものに属する。

昔は大家族で親子3代4代、もしくはもっと幅広い親戚たちと生活をともにしていた子どもたち。家業を持つ人も多くて子供が仕事を手伝うことが当たり前だった。それによるメリットがじつは大きいという話。

例えば農家なら、産まれたばかりの赤ちゃんはお母さんやお父さんの背中におんぶされて最初はぐっすり寝ていただけだったかもしれない。
だけど1歳2歳になると畑を歩き回りお母さんが必要な道具を取ってといえば取ってくれることもあるだろう。
3歳4歳になれば大人のマネをしてどんどんできることも増えていく。そして5歳6歳にもなればもう大人が驚く働きや気配りを見せてくれたりする。

そうやって大人のやることを見ながら社会の営みに関わって参加していく。こんなことを正統的周辺参加というらしい。

現代ではこの人間の本来あるべき姿が薄まりつつある。核家族化が進んだ現代では子供は家庭の中にいれば守られる存在になる。ご飯を作るときはワークや宿題、ユーチューブやゲームなどで時間を使い、その間に大人が食事やお風呂の準備をすることも多い。朝のしたくも親が手を出すことが、昔に比べて増えているのではないだろうか。
でも本当は子供だって家族の一員で小さい時からいろんな生活の営みに関わる必要があるのではないか。
毎日の食事の準備のときにお箸やお皿を並べる。家族の食器もついでに片付ける。そんな生活の中での小さなお手伝いが将来子供が自立したり家庭のことができる大人になるための一歩なのかもしれない。

実は我が家には5歳と4歳の娘がいるのだけど彼女たちにサラダを作ってもらった。
レタスとのりを手でちぎってお皿に乗せる。レタスはもちろん二人で洗う。そして小エビを散らしてお豆腐を手で崩してレタスと海苔の上に散らす。
こんな簡単な料理でも子どもたちは喜んでやる。やっぱり家族の生活に自分も役に立ちたい、もっともっと自分でやれることを見つけたいという気持ちの現れだろう。レタスやのりをちぎる音を自分の言葉で表現してみる。それだけで子供の興味や感激に繋がるのだと思うとひと手間かかったとしても大切なことなのだ。
作ってくれたサラダを美味しいと言って食べ、ありがとうと声をかけられるといつになく誇らしげな表情で嬉しそうな我が子たち。やっぱりやってよかったな。

たかが子供と決めつけずいろんなことに挑戦させる、自由に、親のエゴではなく本人のやりたいことにを楽しんでもらう。これは子供の成長に繋がるのだ。

娘たちは自分で作ったサラダを山盛り食べてとても満足した様子だった。また明日も手伝いたいとそんな意欲も見せてくれた。

正統的周辺参加って本当に大切なんだな。本当は仕事に触れさせる機会も作ってあげたいけれど、親が賃金労働者の我が家ではそれは今のところ難しい。家庭での生活に関しては料理、洗濯、育児、買い物などを通じて自分のできることを増やしてあげたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?