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INTERVIEW:吉田敦史(農家)


ビール農業の実現で、
遠野のこれからを変えていく

 50年以上前からビールの原料となるホップを栽培し、全国屈指の栽培面積 を誇る遠野市。10年ほど前からは、キリンビール( 株 )と「 TKプロジェク ト」を立ち上げ、ホップや食材の価値を磨き、遠野の魅力を全国に発信する 取り組みを行ってきた。そして今、新たなビールの里づくりを目指す遠野で、ビールに特化した農業の実現を目指すファーマーがいる。遠野アサヒ農園の 代表を務める吉田敦史さんだ 。 

 東京の広告代理店で営業をしていた吉田さんが、農業に興味を持ったのは、妻の美保子さんの実家で、野菜の収穫を手伝ったことがきっかけだった。
 「ピーマンの収穫をしたのですが 、それが結構楽しくて。大らかな自然の中で農業と子育てをするのもいいんじゃないかと思ったんです」と振り返る。 いずれは手に職をつけたいと考えていた吉田さんは、農業への思いが膨らみ転職を決意。周囲からの反対もあったが、2008年に遠野市へ移住し、第二の人生を歩み始めた。

  就農して最初の3年間は、農協が取り扱っているキュウリやほうれん草を 栽培し 、技術を磨いた 。でも、自分の野菜が誰に買われ、どう評価されているのか、その実態がわからない。美保子さんが2人目の子どもを妊娠したことも重なって、今後どのようにやっていくべきか、吉田さんは岐路に立った。
 「差別化を図るために特色のある野菜を育て、直接販売をすることにしたん です 。調べていくうちに出会ったのが 、スペインでビールのつまみとして食 べられる『パドロン』という野菜でした」。 

 ししとうに似た形状のパドロンは、日本ではほとんど知られていない稀少 野菜 。試行錯誤しながら育てたパドロンを携え、吉田さんは都内の飲食店を 回り 、取引先を開拓した。「スペイン料理のシェフに好評で、これはいける!と手応えを感じました」と吉田さん。現在、年間4トンを生産し、その9割以 上を首都圏に出荷。日本一のパドロン産地を遠野 につくり上げた。

 パドロンをきっかけに、ホップ栽培も始めた吉田さんの農園には、現在5名 の研修生が学んでいる。出身地も経歴もバラバラだが、みな農家として独立 することが目標だ 。「よく彼らに言っているのですが、農業は甘くないぞと 。特に子育て世代が農業をやっていくのは、本当に大変。妊娠や出産で人手が減ると、立ち行かなくなる場合もありますから」。理想と現実とのギャッ プ 、仕事と子育ての両立、予期せぬトラブルなど、多くの苦労を乗り越えて吉田さんの今がある。
 今年で 9年目になる遠野暮らしだが、都会と大きく違うと感じるのが、遠 野の人々のたくましさだ。
「都会育ちの自分は、軽トラの荷を縛るヒモさえ満足に結べなかった。ここ では何でも手作りで、農具も溶接して作ってしまう。大事なのは勉強でも学歴 でもなく、生きる力なんですよね」。日々の暮らしの中で培われてきた、生 き抜くための知恵と工夫 。 それを土台として身につけている人々の重みと厚 みに、尊敬の念を抱くという。しかし、遠野で歩んできた時間は、確実に生きる力を蓄えさせ 、これまで誰も思いつかなかった新たな道筋を拓いた。吉田 さんが描く「ビール農業」という夢だ。 ホップ栽培を核に、パドロンを筆頭 としたビールに関わる農作物を育て 、ビールに特化した農業で食べていける 環境をつくっていきたいと、 吉田さんは考えている。

 そのために2013年には、キリンビール( 株 )と「遠野パドロンプロジェクト」を立ち上げ、パドロンの存在を全国にアピールした。2016年からは遠野 市が新たに打ち出した「ビールの里」づくりにも参加し、起業を目指す若者 にホップ栽培を指導する。

 「将来は自分で醸造も行い、ビールの原料づくりから一貫して手がけてい きたい。地域からの期待も大きくプレッシャーもありますが、遠野を盛り上 げていければと考えています」。描いた道筋を揺らぎのない確かな道に変え ていくために、吉田さんの挑戦は続いていく。

遠野アサヒ農園
吉田敦史さん
1973年生まれ、神奈川県出身。東京の広告代理店に勤務していたが、2008年に妻の 実家である遠野市へ移住し、就農。現在、株式会社遠野アサヒ農園代表取締役として、ビールの原料となるホップ栽培を中心とした新たな農業に取り組んでいる。

参考:
遠野市のビールによる町づくり「醸造する町 Brewing Tono」




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