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家庭を持ったまま歩むことのできる仏道【坊さん日記018】

家族のあり方は多様であるが、家庭を持つとは、喜びや楽しみ、安らぎが感じられるものである。

家族で一緒に食卓を囲んだり、休日に出かけたり、何気ない会話をしたり。喜びや楽しみの経験を共にし、安らぎと帰る場所が与えられるものである。

夫婦の時間や、子の誕生や成長。それら一つ一つが、かけがえのないものであり、家族の存在は、自分が頑張れる動機となり、生きる目的ともなるものである。

また一方で、家庭を持つことは、悩みや悲しみなどの苦しさが生まれるものでもある。家族の誰かが落ち込んでいれば、同じように落ち込むこともある。

子どもが苦しんでいれば、変わってあげたいと思うほどの痛みを経験することもある。自分一人の寂しさや辛さもあるが、家族がいることによって、悩みや苦しさは増幅する場合もある。

家族は、身近な存在であるが故に分かってほしいとも思う。そして、分かってくれなければ、何でだと憤ることもある。

家族とは、一番近くにいる他人である。それくらいに思って接したほうが、家庭とはうまくいくだろう。(偉そうに言えたものではないが、自戒としてそう思いたい)

好きなもの、嫌いなもの、価値観、性質。家族とはいえ、全然違い、一人一人が個人であることを、家庭生活の中で思い知らされる。近しい存在だからこそ、多くの望みをかけ、理解し合えなければ、つらく当たってしまうこともある。

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、家庭を持たれた。

親鸞聖人は、子ども時代、わずか9歳で家族のもとを離れ、お寺に預けられた。源平の争乱や飢饉の影響もあったか、親鸞聖人の兄弟全員が出家をしていることからも、相当なことがあったことが想像される。

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