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【親鸞聖人の生涯】親鸞聖人はなぜ六角堂へ向かわれたのか?

数回にわたり、親鸞聖人の生涯をみています。

今回は、親鸞聖人が比叡山を下山して、その後になぜ六角堂へ向かわれたのかについて、ご一緒にみてまいりましょう。

▼この内容は動画でもご覧いただけます

◆比叡山を下山する時の聖人の思い

まず、親鸞聖人が比叡山を下山する時の思いについて、前回に続いて考えてみます。

親鸞聖人は、20年にもわたる修行生活の後、比叡山を下山されます。親鸞聖人は、比叡山においては、ひとえにさとりを目指し、様々な行をなされたと考えられます。しかし、どのような行をおこなっても自らの力ではさとりには至りようのない自分であることを痛感されたのではないかと思われます。

親鸞聖人の言葉が収録された『歎異抄』には、このような言葉があります。

「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
『歎異抄第二条』

意訳するとこのような意味になります。

「どのような行も満足にできない私は、どうしても地獄以外に住み家はないからです」

さとりを目指し、様々な行をおこなったけれども、さとりには至りようがなかった。そうした挫折や苦悩が、比叡山での修行時代の実感として親鸞聖人にはあられたことと思われます。

親鸞聖人が求めたのは「生死出づべき(じょうじいづべき)道」でした。
生死とは、生まれ変わり死に変わりし、迷い苦しみ続けていることであり、「生死出づべき道」とは、その迷い苦しみから抜け出すことのできる道のことです。

・あらゆるいのちが、生まれ変わり死に変わりしているという大きな生命観の中で、自らのいのちもまた流転している。
・流転とは迷いの苦しみであり、そこからいかに抜け出すことができるか。迷い苦しみを断ち切るさとりへと至ることができるか。
・しかし、迷い苦しみから抜け出すことのできると思い歩んできた「生死出づべき道」が途切れてしまった。
・自らの力では、さとりに至りようがない。

そのような絶望や挫折の中、新たな「生死出づべき道」を求め、親鸞聖人は修行の地である比叡山を下山されたと思われます。

前述の歎異抄の言葉の前には、このような言葉があります。

「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」
『歎異抄第二条』
「たとえ法然聖人にだまされて、お念仏を称えて地獄におちたとしても、私は決して後悔は致しません」

親鸞聖人は、比叡山を下山した後、自らのいのちすらおまかせできるような師、法然聖人と出遇われます。法然聖人との出遇いによって、親鸞聖人にとっての新たな「生死出づべき道」がひらかれていきました。

その法然聖人が歩んでおられた道が、阿弥陀如来によって救われていくという「お念仏の道」でした。


◆比叡山下山後の概略

話を少し前に戻して、比叡山下山後の親鸞聖人の足跡について概略をみてみましょう。

親鸞聖人は比叡山から下山した後、まず六角堂に向かわれました。そして、六角堂に100日間の参篭(さんろう/寺院などに一定期間こもること)を志され、95日目の暁に夢のお告げをえます。

六角堂参篭の後、親鸞聖人は法然聖人に遇いにいかれます。六角堂の時のように100日間、雨の日も晴れの日も、大風の日も、法然聖人のもとをお訪ねになります。

100日間参篭を志したり、法然聖人のもとにも100日間通ったことからも、親鸞聖人が「生死出づべき道」をひたすら求めたことがよく分かります。

それでは、下山後の様子をもう少し詳しく見てみましょう。


◆六角堂参篭

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前述のように、親鸞聖人は比叡山を下山後、まず六角堂へ向かわれたと伝わっています。

なぜ六角堂へ向かわれたのか。参篭はどのようなものだったか。また95日目に見た夢のお告げの内容は何だったのか。それらに関して、所説あります。

なぜ所説あるかというと、親鸞聖人はご自身のことをあまり言及されておらず、はっきりと分からない部分が多いためです。

親鸞聖人のご生涯や人物像を知るため、親鸞聖人の書物やお手紙、奥様であった恵信尼(えしんに)公のお手紙、ひ孫の覚如上人が制作した伝絵(でんね/生涯を記した巻物)などを中心にしつつ、当時の時代背景や伝承などを加味して、多くの先生方が長い歳月をかけ、親鸞聖人の生涯について研究してこられました。

長年の研究があったからこそ、親鸞聖人のご生涯や人物像について分かってきた部分があります。ただ、どうしても所説あるという形でしかご紹介することができないので、その点は考慮していただきつつ、宜しければ過去にロマンを感じていただきながらご覧いただけると幸いです。

さて、なぜ六角堂に向かわれたのかですが、聖徳太子ゆかりの場所だったからという説や、あらゆる人々とともに救われて往く道を求めたという説、
法然聖人のもとへ向かう前の確認のためという説など、所説あります。


◆六角堂は聖徳太子ゆかりの場所

聖徳太子ゆかりの場所であったから、親鸞聖人は六角堂へ向かったのではないかということについてお話致します。

六角堂は現在の京都市にあり、正式には頂法寺(ちょうほうじ)というお寺です。お堂が六角形であることから通称六角堂と言われています。六角堂は、用明天皇2年(587年)に聖徳太子が創建したと伝わり、如意輪観音を六角堂に安置したと言います。

六角堂は昔から、観音信仰と聖徳太子への信仰の地として、知られていました。親鸞聖人の聖徳太子への思いは深く、晩年には聖徳太子への思いを和讃といううたにも記されています。

「救世観音大菩薩(くせかんのんだいぼさつ) 聖徳皇(しょうとくおう)と示現(じげん)して 多々(たた)のごとくすてずして 阿摩(あま)のごとくにそひたまふ」
『正像末和讃』
「救世観音大菩薩は、聖徳太子としてこの世に現れ、父のように私を捨てず、母のように寄り添ってくださる」

聖徳太子を観音菩薩の化身であるとする見方は平安時代頃よりあり、親鸞聖人も聖徳太子の遺徳からそのように受け止められていたようです。

そして、幼くして父母と離れ離れになった親鸞聖人にとって、聖徳太子のあわれみを、まるで父母のものであるように感じておられたようです。

このような聖徳太子への思いがあり、親鸞聖人は比叡山からの失意の下山の中、観音信仰と聖徳太子の信仰の地であり、聖徳太子が創建された六角堂へと向かわれたという説があります。


◆一切衆生と共に救われて往く道を求めて

親鸞聖人がなぜ六角堂へ向かわれたかについては、前述の通り所説あります。

親鸞聖人は、あらゆる人々と共に救われて往く道を求めて、六角堂へ向かわれた見る説もあります。

六角堂は、現在でいえば、京都市の烏丸御池と烏丸四条の間という都市の中心に位置しています。京都の地は、昔から天皇がお住まいになっている都ですから、六角堂は親鸞聖人の当時も、色々な人が行き交う雑踏の中であったと想像されます。

親鸞聖人が比叡山におられた時は、限られた僧侶しかいない環境の中で修業をなさっておられました。それが下山後、京都の町の中、雑踏の中にある六角堂にあえて参篭したことに意味があるのではないかとみられる説です。

親鸞聖人の後の言動から考えても、親鸞聖人には様々な人々と関りながら仏道を歩んでいくという姿勢がみられます。家族を持ち、人々と一緒に田畑を耕したり、教えを説き広めたりしておられます。家族を持ち、人々の中で暮らすということは、俗世の様々な悩み苦しみに直面していくことになります。

親鸞聖人において、比叡山でのご修行時代と下山後とで違うところといえば、多くの方々と生活や人生を共にし、共に悩み、共に喜び、苦悩を分かち合っていかれたところではないでしょうか。

それは、自らの「生死出づべき道」を求めると同時に、「一切衆生(いっさいしゅじょう/生とし生けるもの)と共に救われて往く道」を求めていかれたとも言えそうです。

親鸞聖人が比叡山をおり、六角堂へ向かわれたのは、そうしたあらゆる人々とともに救われて往く道を求めた、その象徴的な出来事として六角堂の参篭を見ていくこともできるのかもしれません。

他にも、親鸞聖人が六角堂へ向かわれたのは、その後の法然聖人のもとへいくことの確認のためであったという説など、所説あります。

親鸞聖人自身が語っておられないことなので、色々な解釈が生まれる余地がありますが、それも親鸞聖人を慕う方が多いからこそでしょう。親鸞聖人という人物像について、引き続き、ご一緒に考えてまいりたいと思います。

本日は、親鸞聖人の生涯について、中でも比叡山を下山し、なぜ六角堂へ向かわれたのかについて、お話をさせていただきました。


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最後までご覧いただきありがとうございます。

合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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