【一口法話】人の痛みに心が開かれるとき
信行寺で開催している「朝参り」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。動画と文章でご覧いただけるようにしましたので、宜しければご覧くださいませ。
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皆様、本日も信行寺の「朝参り」に、ようこそお参りくださいました。
「朝参り」では、短い法話をしております。法話を通して、少しでも心が安らいだり、一日、一カ月を心新たに過ごすようなご縁となれば幸いです。
さて、浄土真宗、真宗各派で組織されている「真宗教団連合」という組織があります。その「真宗教団連合」から、『法語カレンダー』という仏教の言葉が載ったカレンダーが発行されています。
▼真宗教団連合
真宗教団連合(浄土真宗十派による連合体) (shin.gr.jp)
カレンダーに仏教の言葉が記載されていると、日々目にしますから、その言葉によって考えさせられたり、心が安らいだりしますよね。今日は、その法語カレンダーに記載された言葉をご紹介しつつ、それをもとに話をしたいと思います。
今日ご紹介したい言葉は、この言葉です。
この言葉は、もうご往生されましたが、真宗大谷派の宮城顗(みやぎしずか)先生というお坊さんの言葉だそうです。
私たちは、自分が元気な時や、ある程度思い通りになっているような時には、自分の言動などを深く見つめることは少ないかもしれません。
逆に、思い通りにいかない時には、苦しみや悩みによって、色々なことを考えさせられたり、気付かされることがあります。
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60代くらいの男性で、脳梗塞になられ、半身が上手く動かせなくなった方と、以前私がお話をしていた時のことです。その方は、脳梗塞になってからの苦しみを、このように話してくださいました。
そうおっしゃって、涙されていました。
自分の足で歩くことができれば、それを当たり前のことだと思ったりします。しかし、いざ自分の足で歩けなくなったり、思い通りに動かせなくなった時に、感じるつらさはいかほどでしょうか。同じような経験された方でないと、そのつらさは本当には分からないかもしれませんね。
その方は、そうした苦しい思いを吐き出すように打ち明けてくださいました。そして続けて、そのことによって気付かされたこともお話をしてくださいました。
その男性の方は、自分が思い通りに動けない経験をして初めて、父の苦しさや、悔しさ、はがゆさなどに、思いが至ったのかもしれません。そして、苦しんでいる父の前を素通りし、時には心ない態度をしてきた自分のあり方に、心から痛みを感じたのでしょうね。
自分はなんて浅はかだったんだ、なんて愚かだったんだ。そうした自分のあり方に痛みを感じる時に、私たちは初めて人の痛みにも意識が向いていくのではないでしょうか。
この言葉からは、私たちは自分の思いで人のことを推し量ろうとしてしまう性質を持っていることを教えられます。また同時に、謙虚さや、相手の思いを聞いていこうとすることの大切さも教えられます。
お念仏の教えを聞いていくことでも同様に、自らの至らなさや愚かさに気付かされることがあります。
この言葉は、親鸞聖人が尊敬された善導大師というお坊さんが書かれた書物にある言葉です。「仏法(仏教)とは、鏡のようなものですよ」と示された言葉です。
私たちは、自分が元気な時や、ある程度思い通りになっているような時には、自分の言動などを深く見つめることは少ないかもしれません。
逆に、思い通りにいかない時には、苦しみや悩みによって、色々なことを考えさせられたり、気付かされることがあります。そして、そうした苦悩が、仏法を求めたり、お寺に足を向かわせるきっかけになることがあります。
皆さんは、お寺にお参りしようと思ったきっかけは何だったですか。家が浄土真宗だからという方もおられるとは思いますが、何か思い通りにいかないことや、うまくいかないことがあって、お寺に足が向かうようになった方もおられるのではないでしょうか。
悩みや苦しみや悲しみは、その最中はたまらないですね。早くどうにかなってほしいものです。しかし、振り返ってみると、そのことによって色々なことを考えさせられたり、気付かされたり、また仏縁が育まれるきっかけとなっていることもあります。
そして、仏法(仏教)を聞いていく中で、これまでの自分のあり方について、深く考えさせられることがあります。
そして、自分のあり方を見つめた時に痛みを感じて、人の痛みにも意識が向いていくことがあります。
今日は、このような言葉をご紹介させていただきました。
皆様、どのようにお感じになられたでしょうか。また是非、ご感想もお聞かせください。
本日も信行寺の「朝参り」に、ようこそお参りくださいました。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
▼一口法話シリーズ
一口法話|神崎修生@福岡県 信行寺|note
南無阿弥陀仏
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