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ストロベリーシェイク

私は針が怖かった。

小学生のとき、名札の安全ピンで指の薄皮を貫通させて、どうだ痛くねえんだぞこんなことしてもと騒いでいるあほな男子の行動を私は微塵も理解できなかった。そのまま指のお肉の部分に刺さっちゃったら痛いんだぞ!と声を上げたかったけれど、何かのはずみに本当に刺さっちゃったら自分は傷害罪で死刑になってしまうのではないかと思ってあえて黙っていた。

実家の階段の踊り場でニヤニヤしているサボテンの置物には、立派な棘がさも偉そうについており、階段を登り降りするたびに私はそいつを睨みつけていたし、プロポーズのときに薔薇を渡すのはどういう文化なのかと疑問を抱いていた。そんなに抱きしめたら棘でドレスが紅に染まるぞよ、テレビの向こうの花嫁よ。
そんな幼き頃の私はとりわけ、インフルエンザの予防接種が大嫌いだった。



冬は毎朝落ち込んだ。
あと何回寝たら予防接種に連れていかれるんだろう。この恐怖を誰かに共感してもらいたかったのに、注射?気持ちいいじゃんあれと抜かした隣の席の酒井さんのことを私は今でも理解できない。
注射器を持ったおばあちゃん先生があまりにもナチュラルに私の肩に針を打とうとするので、怖くて反射的に病室から逃走したのは確か6歳くらいのとき。針を持った先生に追いかけられてとうとう捕まり、待合の患者さんから間違いなくナンバーワンの注目を浴びながら、私は容赦無く打たれた。


その小児科の真向かいには赤と黄色の某ハンバーガーショップがあった。私はそのチェーン店の全メニューの中で、ストロベリーシェイクがいちばん好きだった。あんなに美味しい飲み物を他に知らなかった。
私がストロベリーシェイクを愛してやまないことを知っている母は、注射頑張ったらいちごシェイクやけんな、と病院で号泣する私を毎年励ました。これから一年で最も地獄の2秒間を迎えようとしているパニック状態の私からすれば、いちごシェイクごときで機嫌取ろうとすんなと悪態をつくしかなかったのだが、修羅場を乗り越えた後のそれは、もう、引くほど美味しかった。私にとってストロベリーシェイクの甘さは、注射のチクリとセットで生きている。好きだが、嫌いだけど、やっぱり大好きだ。



私は時計の針が怖い。
怖かった。ずっと。


あの日の朝も、迷わずストロベリーシェイクを選んだ。


高校3年生を終えようとする2月、母と2人で飛行機に乗って東京に来た。第一志望の大学の二次試験を受けるためだ。用心深い性格は母から受け継いだ。最強にせっかちな2人で試験日の3日前から上京し、大学周辺の土地勘や当日大学へ向かうルートなどをたっぷりと頭に入れた。ついに訪れた本番当日、試験は13時からだった。
繰り返すが私たちは鬼のせっかち親子なので、11時には会場に到着したいよね、と言いながら9時くらいにホテルを出発した。大学の最寄り駅に10時前に到着してしまったので、流石に早すぎるかなと判断して2人で駅前で少々時間を潰すことにした。赤と黄色の某ハンバーガーショップだった。

注射の帰りにストロベリーシェイクを買ってもらっていた小さな頃、母は新聞にくっついてきたペラペラの広告のクーポンをレジに出していたが、高校生になった私はアプリのクーポンを当たり前のように使いこなすようになっていた。スマホなど使いこなせないアナログで可愛い母は、そんな私を凄いと言ってくれた。3時間後に始まる二次試験に緊張していた私は、少し笑った。


ストロベリーシェイクを味わおうとするとき、人間はほんのちょっと、頑張らなければならない。
未だ溶けようとしないクリーミーピンクを口に運ぶためには、頬に薄張りの力を込める必要があるからだ。ゆっくりと吸い込んで舌に到着した人工的な甘さは、試験前の私を落ち着かせてくれた。注射のチクリを記憶の片隅に感じながらも、これもまたスパイスということで吸い込み続け、ストローがズコッと音を上げるまで私はストロベリー味を楽しんだ。
時刻はそろそろ11時になろうとしていた。


母と歩いて到着した大学の正門。上京してから3回くらい場所を確認しに来ていたので、余裕で辿り着いた。じゃあ頑張ってくるね、と感動の別れを繰り広げていると警備員のおっちゃんに話しかけられた。どうされたんですか、と。


試験は11時に始まっていた。今から10分くらい前に既にスタートしたとのことだった。
いやいや、私文系なので13時からですよとホームページにあった試験日時のスクショを見せると「これ3年前のものですよ。サイトのページは削除したはずなのにどうして・・」と。

そう。
私、普通に、試験時間を間違えたのだ。
3年前の情報をネットの片隅から探してこれだと思い込んで呑気に上京してシェイク吸い込んで、結局、大学受験の最後の最後に、大事な舞台に立てなかった。手首の時計の針は当たり前のように11時のほんの少し右側をさしていた。


予想外すぎるハプニングに驚くほどふらふらになりながら、近くの公園に座った。母がシクシクと泣き始めた。胃の中のシェイクが出てきそうだった。
段々と母の涙の粒が大きくなっていくのでそれを眺めていると私はまるで泣けなかった。
え?いやいや、あ、そうだ、元カレが私と別れた後に学校一可愛い6組の女子とニケツで駅まで帰ってたよと親友から目撃情報を聞いたときの方がよほど悲しかった、あのときに比べたら悲しくない、そうだそうだ、と思い込むことにした。あほで短絡的な思考回路だったが、そうしないと本当にシェイクを吐いてしまいそうだった。



当たり前だがかなり引きずった。気だるさを抱き抱えながら第一志望でない大学へ通うことになった。ふとした瞬間に思い出して、罪悪感に包まれた。ストロベリーシェイクをしばらく飲むことができなかったし、時計の針を見つめる私のせっかちは加速した。だってあの朝、ストロベリーシェイク、もっと急いで飲んでたら、というかそもそも飲まなかったら、もしかしたら少し、人生が変わっていたかもしれないのだ。だって駅に着いたのは10時よりも前だったのだから。



でもね、私は今、あの朝ゆっくりと味わったいちごシェイクの甘さを愛おしく思える。多分そのくらいの時間が、経過してくれたのだと思う。



結局逃げるように上京し顔色悪く通い始めた大学、なんとなく始めたアルバイト。
その大学を選ばなければ一生知ることもなかった土地を知り、選んだ一人暮らしの家の近くで塾講師を始めることになった。
そこに行かねば手に入れられなかった青春の時間を、私はそこからの4年間で存分に享受することとなる。

想像する。もし母が物心ついたばかりの私にストロベリーシェイクを与えてくれず、その美味しさを知らないまますくすくと育っていたら。もし注射のご褒美がもっと別のものだったら。もしあの朝、ストロベリーシェイクじゃなくてコーラを選び、緊張のせいで一瞬で飲み終えたのち、たまたま試験に間に合って、万が一、第一志望の大学に通うことになっていたら。


今私の周りにいる大好きな人たちに、私は出会えていなかったのだ。


東京に友達ができて好きな人ができてお気に入りの駅ができて、きっと世界で私しか知らない夕焼けのフォトスポットができた。近所の八百屋のおじさんと仲良しになれた。2丁目の角の家に住み着く野良猫が私にどう甘えるのか、誰にも教えたことはない。


ストロベリーシェイクを知らない私は、今を生きる23歳の私になりきれていないはずだ。
高3のあの朝犯した罪を、なんならまるっと肯定できてしまうほど、私は大学の4年間でたくさんの愛を知った。もしも時間を巻き戻すことができたら?できても、私は迷いなく、ストロベリーシェイクを飲む。



今でもやっぱり、シェイクを飲んだら肩のあたりがチクリと痛むし、11時を過ぎた腕時計の針を思い出す。もしかしたら、全部正解にしていかないとこの先うまく生きていけないから、全部正解だったことにしているのかもしれない。全部正当化しなければ消えたくなるから、こんなエッセイを書いているだけなのかもしれない。第一志望の大学なんて、行けるか行けないかなら行けたほうがいいに決まっている。
でもきっと、人生はそんなもんでしょう?と思っている。
どうせ同じ人生なら、私はストロベリーシェイクを好きな私のことを誇ろうと思う。…正解だろうか。いや、正解にして、生きていくべきなのではないだろうか。


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