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片付け苦手の綺麗好き

きょうひさびさに予定がなかったので仕事も休みにして、気が向くままに過ごした。こんなことを言うと本当に不甲斐ないのだけれど、実はこの一週間皿洗いやゴミ捨てもろくにしていなかったし、洗濯物は一ヶ月分ほど畳まずに放置されていた。掃除機は辛うじて1〜2週間前にかけただろうか。

なにせここのところなにもかも「だりぃ・・・」だったのだ。(よくある)

ホリスティックを基本概念に学んだセラピストだからなのか、元の性格故なのか、気力が沸かない原因を考えてしまう。こころに余裕がない?習慣化されていない?脳味噌休まってる?などなど、思い当たる節はいろいろあるものの、大雑把な性格なので「結局のところわたしが怠惰でだらしがないのがいけないのだ・・・」といろいろすっ飛ばして自責的になり罪悪感から、さらに手足を擡げることもままならなくなるというような、いい歳をしてお決まりの堕落ルーティンである。

わたしは断捨離が大の得意で、ものを捨てることになんの躊躇いもない。何かといえば捨てるし手放す。なんでもすぐに捨てる。捨てるのに難儀するものはそこはかとなく人に押し付けたり、「似合いそうだから」といって服をなんの前触れもなくプレゼントしたり、捨てたものが必要になったとしても「ああ捨てたっけな」とすぐ諦めがつく。

しかも、わたしは床掃除と水回りの掃除が大好きで、掃除機をかけて、床を乾拭きしたら、お手製のお掃除兼虫除け用スプレーをかけて、床に這いつくばりながらせっせと床を磨く。床がつやっとするのがだいすき。「心頭滅却」さながらに気が済むまで床を磨く。

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■最近のお掃除兼虫除けアロマスプレー(そんなにこだわりはない)
・無水エタノール:水(4:6くらい)
・レモングラス(強烈な昆虫忌避 香りも清潔・清涼感があるが、2滴入れようもんならあちゃーってくらい香りが強い)
・パルマローザ(植物にしてはえげつない抗菌作用/わたしは胼胝やウオノメにも使うよ)
・ラベンダー(Gが大嫌いなアロマ 死にはしない ペパーミントとかより体感昆虫忌避にぴったり)
・セージ(わたしは美白のために使いたいけど古くなってたので浄化作用ってことにして数滴)
・あとは覚えてないけど古くなった精油を少しずつ

※効能っぽく書いているのは個人的な感想で効果を保証するものではありません(仕事をする上でこういった注釈は自分を守るためにします)

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それから、小学生に上がるくらいの頃、祖母からキッチンリセットや排水溝の掃除まで手ほどきを受けていた。台所がごちゃりとしていると、悪いことをしている気がしてならないのでシンクはピカピカにするし、排水溝はブラシで磨き、ぬめりのないように保つ。「毎日こうしてたら汚れもたまらんやろ」と、兵庫と大分別府の訛りの混じった祖母の言葉を思い出す。特にセラピストになってからは、丁寧に生きているようなかんじがして、床やシンク、トイレタンクなどを拭き上げたときの爽快感が大好きだ。

本来は。

けれどわたしには致命的決定的弱点がある。

片付けが大の苦手 なのである。

物理的に、片付けグッズが不足したり収納場所が限られたりして、物が溢れて綺麗に整理整頓ができないと、途端にどこをどうしたらいいかわからなくなり、途方に暮れて、何もかも手がつかなくなる。服もしまう場所がないと思うと畳む気が起きない。デジタルデータの管理体系は完璧だし、鞄の中も基本的にはポジショニングが決まっていて、何がどこにあるかと迷うことはほとんどない。整理整頓も割とすきなはず。でも物理的にどうにもならないともうだめ、視界が散らかり、そのままなし崩し的に汚部屋へとまっしぐら。なまじっか綺麗好きでもあるものだから、どうしようもない齟齬が生まれ、絶望的ポンコツになる。これはもうずっとそう。

自他共に認めるキレキャラなので、そういったストレスがピークに達すると「はい、もうむかつきましたかっちーん!」となって、仕事を休んだりひととさよならをして、挙句部屋をひっくり返して模様替えをする。このときにものを大量に捨てたりする。いろいろ溜まってた。仕事のこと、デバイスの故障などが立て続けにあったことと、人材を育成するって何年もやってることだけどしんどいし、それから。これは特筆に値しない。とにかく「ぶちっ」と切れる。


それが今日だった。


依頼、予約などたまたま何も入っていなかったので、「んもー仕事休んじゃうもんね!」と前日に決め、各方面に連絡。朝起きて、洗濯機を回したら、一日かけてちびちびとものを捨てたり収納をひっくり返したり。部屋をオーガナイズし直した。買ったはいいがスペースにサイズが合わず放置されていた収納グッズを自分でカットするなど、軽くDIYをして、どこになにを入れるべきか、自分でひとつひとつ決め、引き出しやら収納箱に明記していく。どこに入れるか迷ったら頭で考えるのをやめて、箱に整理整頓シールを貼って。しゅるしゅるっと床に散らばっていたものが納まるべき場所に収まっていく。洋服も夏物や今年一度も着なかったものはロフトへ。ボロボロのものは掃除の雑巾に。二ヶ月分の、THE商売道具 てぬぐいなどをアイロンがけし。掃除機をかけて、埃まみれだったテレビ棚やら何やらを掃除用スプレーで拭きまくり。ここでやっと流しに溜まりまくった洗い物を済ませ、キッチンをピカピカに。部屋がピカピカになると気が済み怒りが治まる。

なのでいまは幾分すっきりしている。


かの有名な近藤真理子(こんまり)さんの片付け術を以前試したことがあるが、ナマやってるとあれはものを捨てただけで終わってしまうことに気づいた。どだい人間は自分に都合のよいところだけをつまみ食いしがちなのだ。何よりそれをどう整理整頓するかが重要なのに。きょうは、部屋をなんとかかんとかオーガナイズしたので、チャレンジしなおしたいなあと思っている。ただ、片付けができていて、整理整頓できている状態が当たり前でないいまのわたしにとってはこんまりさんの美しい片付け術ですら、恐るべき大変革なのだ。


脳がクリアになるには、視界をクリアにすることだ。(もちろんいろいろな方法があるが)
脳の空きメモリをできるだけ解放していること。

対人関係やら、仕事のタスクやら、家事、経済的なこと、社会情勢、どう処理するかオーガナイズしておくと掃除もしやすい。それにルールをつけるとするならば、わたしの場合は「○○をする」よりも「○○は絶対しない」を決めておくと、脳とこころに余剰が生まれるのだと最近気づいた。

さいきん決めていることは
「じぶんの気分を無視しない」
「しんどいときはひとのことを考えない」
「つかれてるときに無理しない」 である。

しないことを決めると、「じゃあ休むか」とか「じゃあ気を抜いてもいいか」となって、やっとはじめてこころが憩い、気が済むと行動を起こす気になる。今日のように。部屋をオーガナイズし、掃除をしたらやっと「さ、溜めてた事務仕事をするか」とか「勉強したいと思っていたことに取り掛かるか」という気になってきた。片付けが苦手になるのは、きっと頭の整理整頓ができなくなっているときなのだ。これぞホリスティックなものの考えた(?)

なんでも性格のせいにしないこと。

自分が気に病まないようにしてやると、ボタンのかけ違いに気づいていろいろなことがうまくいくのかもしれない。(いまのところ)髪の毛一本も落ちていない部屋で。ご満悦の朝である。

そう、ずっと気にかかっていたタスクが完了して安心して寝落ちしていたのである。きょうもまたお仕事へ。シャワーを浴びるついでにお風呂場をピカピカにしてから。