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叫び

20年溜め込んだ、大きすぎて聞こえないほどに爆裂した周波数の荒い声にて。


それでも、世界はどうしても美しく

あなたは、いつからあなたと共にありますか?
私が私を自覚した時、自我が芽生えた時、我思い我が有ったとき、それはまだ私が10歳の頃でした。
その日、私に私が伴ったその瞬間から、私は独りになりました。たった独りでこの広い世界に放り出されたのです。
なぜなら、私以外は私ではないからです。私という概念が確立してしまったその瞬間、残酷にも神は「私以外」を創造されたのです。この世界はなんと皮肉なのでしょうか。

全てが二元論、表裏一体、全てに対が存在し奇を断固として存在させない。創造主として大文字表記される、かの神でさえ神以外の我々、または悪魔という概念なしに存在することは許されないのです。でも、それ故に世界はこうも美しい。

今この場で「私」という一人称を弄ぶ私は、すなわち孤独なのです。

もちろん、あなたも。

その孤独にどれだけ苦しめられようと、命を絶とうと、圧倒的な世界の美しさの前に跪くことしかできない無力な私たちがなぜ、何を思い、生きるのか。

私の人生は、地獄のように自由を奪い、それでいて天国のように甘く魅せつけるこの問いから逃れられず、不可能と知っていながらもその輪郭すら満足にわからない解に手を伸ばすことに、その全てを使うことになるでしょう。

その孤独から逃れるために奮闘した、私の10年をここに残そうと思う。

分かって欲しいから分かるフリをする愚かな狐

私の中には、この世界や宇宙よりも、天の川銀河よりも、広大な恐ろしいまでの孤独が無限に広がっている。そんなものを直視できるわけもなく、ドアを思い切り締めて、心のどこかではその存在を常に感じながら、とにかく焦って共に手を握ってくれる誰かをひたすらに探し続けてきた。それこそが私にとっての10代の全てで、私の生み出した全てのエネルギーの行き先だった。

でもそれは、私だけではない。「私」という語彙を使ったことのある全ての者も皆、きっと喉から手が出るほどに欲し合っているのだと思う。

だから青い私は考えた。

相互フォロー希望はひた隠しに、「私はあなたを分かってあげられる」私として売り出そう、と。どれだけ私の中に引き摺り込みたくても、抑えて、私を押さえて、笑顔を用意して、共感用の、けれど心の奥底からの本気の涙も用意して、私の持ってる精一杯の時間を用意して、ただあなたに。

あなたに。そちらのあなたに。目の前のあなたに。
ギリギリの容量をこじ開けて、私のものをどかして、あなたを受け入れる場所をたくさん作った。そうやって、私は私を世に残そうと奮闘してきました。

いじめに遭ったときも、親友が恋人を掻っ攫っていったときも、母に死ねと言われたときも、私を捨てた恋人が私に縋り泣きじゃくるあの夜も、友達をいっぺんに失ったときも、恋人が浮気をしたときも、父の不貞を知ったときも、母の病気に直面したときも、認知症を患った祖母の介護をするときも、私はひたすらに耐えた。

耐えて、許し、受容し、それ以上に愛を注いだ。

どうか、いつか、誰かに気がついてもらえますようにと願い、必死に看板を立て続けた。SOSは密かに、関わる人の心に植え付けて、せっせと水をやった。もう火の車どころではなくとんでもない大火事になっていることを知っていても、冷めた顔をして広告を打ち出し続けることを、私は10年間やめなかった。

それもこれも、全てはどうしようもなく恐ろしい私の孤独を知ろうとしてくれるその人を、「誰か」を見つけるためだ。育てるためだ。産み落とすためだ。

けれども二十歳になった私は知ってしまった。その待ち侘び続けた「誰か」は、ネオは、救世主は、永遠に現れないことを。

救世主はいるのではなく、成るかどうか

私は独りだが、
この宇宙を丸ごと飲み込んでしまうほどの爆弾を抱えたちっぽけな孤独な人間だが、
私には「私」と呼べる何かがある。
それは、私に世界を見せ、私を含む全てを存在させ、全てにアクセス可能な何かだ。全知全能の何か。

なぜなら、この世界は二元論だから!

私がどこまでも続く孤独を持ち、何もできないのなら、
私が「私」と呼ぶ何かは、全知全能で全て持ち、全てが可能なはずだから。

だから、私が「私」を超えたとき、そのとき、私は孤独も接続も不安も平和も全てを知るのだと思う。

まずはその、そこにしがみつく固く閉じた掌をひらいて、そのなかを知ること。

耐えた先に何があるか

この10年は私の生涯において、最も頑張った10年だったと思う。耐え忍んだ、1t以上にも及ぶ涙を飲み込み続けて自分の中で溺れた10年だったと思う。
そうして生きたこの私の先に。
20歳となった私の先に見えるものは、ただ一つ。

狂おしい恨み”だ。

耐えること、我慢することは、私のどこに消えていくのかなんて、考えたことなどただの一度もなかった。怒りが鎮火した後の煙は、蓄積したその先にいつか大雨を降らすことなど、稲妻を育てていたことなど、知る由もなかった。

それらはすべて恨みになる。知れば知るほど「違い」が浮き彫りになるばかりで、近づけば近づくほど、あなたが孤独であることを痛いほどに思い知らせてくる。知れば知るほど、あなたの欲する救世主から離れていくその人を、私は笑顔で見ていられない。

相互フォローのはずなのに、私ばっかり。今まで捧げた時間と力と心を数えて、投資だったはずなのに、一気に紙屑となって浪費だったことが決定する。
その瞬間に平和など訪れるはずもない。
自己犠牲は相手を恨む根拠として、着実にあなたの心が書き留める。
自己犠牲が愛など言語道断。というか、

愛など幻想だ。

あなたが目を閉じて心に想うその人を、あなたは愛していると心から言えるでしょうか。
あなたは「あなた」であるその瞬間に孤独であるのに、モーゼが通った後のように自他がくっきり浮き彫りになってしまうのに、その人を「知る」ことなど、どう出来ようか。

知りもしないその人を、そもそも存在しているかどうかも、満足に認識できない「私」がここにいるのに、どうして愛すことなど出来ようか。

あなたの愛するその人も、あなたが憎むその人も、所詮は「あなた」が投影する、存在しない概念に過ぎないのに。

私も、私の紡ぐ言葉も、全ては「あなた」の中の出来事なのだから。

全ては全て、あなたの中に。

どうかもう外に何も探さないで。

あなたはあなたの中にしかいないし、あなたは世界に独りだし、そもそも外なんて知るはずがないのだから、どうか内側の世界と睨めっこをして。

そうやってあなたをあなたが超えて。
私も私を超えるから。

そうやって、いつの日か、外で出会おう。
本当のあなたと、本当の私と。

約束だからね。どうかその命が果てる前に必ず。

初めての世界を見て、
人間が本当に人間だったのなら、
あなたが本当にあなただったのなら、
地球が本当に蒼くて美しい星だったのなら、
「地球は青かった」と口にしよう。かのガガーリンと声を揃えて。

では、のちほど。
よーい、どん。
じゃあね。

あなたの中の私、つまりあなたより



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