「2種類の目」が危険を知らせてくれる
パイサーン師のご説法は、いつも「なるほど~!」と思うキーワードが沢山でてきます。今回は「この世界の性質」、そして「2種類の目」という言葉が心に残りました。
(このnoteは、2020年11月16日・17日更新分の浦崎雅代さんのnote 『苦しみを減らし、気づきを育てる人生へ~ブッダに学ぶ心のリスクマネジメント~』パイサーン師ZOOMで説法(11月8日)全文書き起こし の感想です。)
「思い通りにしようとしても、時には期待した通りにはいかないことがある」、という現実。それは「この世界の性質」だと、パシっと話されます。
運命でもなく、魔法が働いているのでもなく、超越的な存在が定めているのでもない。「いい・わるい」の区別もない。しかし、この世界にある限り、この「性質」からは逃れられません。
仏教では、「四苦八苦」(生・老・病・死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)という言葉が有名です。これは、どれも「思い通りにしようとしても、時には期待した通りにはいかないことがある」ものだなあと感じました。
そう頭の中では分かっていても、日常の生活では、つい何事も「思い通りになりますように…」と、願って期待しちゃうんですよね…「何時までも若くありますように」「病気にならずピンピンコロリできますように」と。
そして、この世界の性質どおり、全部が全部、思ったようにいくことはありません。期待が外れたときは、もれなく、怒ったり心配したり不安になったり。そんな風に生じた怒りや心配や不安を「祈って」無くそうとしたり、解消しようとしたりするのが「宗教」だという風に以前は思っていたのですが、仏教は「苦しみから離れる」方法があると、説いています。
苦しみは「たとえ生じても自分の心を守ることができる」と、パイサーン師のお話は続きます。
そして、今回のお話の中では、特に「私たちは2種類の目を持っています」という部分が、心に残りました。外側にある危険、内側にある危険をしらせてくれる「目」。顔についている「眼」が前者で、心の内側を見る目が「気づき」です。「サティ(気づき)」という言葉は、イメージが掴みにくかったのですが、このパイサーン師の説明で、その役割がしっかりと分かったように思います。
サティが、どういう風に「心配になるような思考」を消していくのか、このあたりのお話は、私には「サティ(気づき)」が、心に怖い「泥棒」が侵入しそうになったら知らせてくれる、ALSOKのホームセキュリティセンサーみたいに思えました。
また、「四苦八苦」とか「無明」とか、あるいは「業」とか「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」とか、仏教の用語やお話を聞いていると、自分の心の中にはどうしようもないガラクタばかりが詰まってるのかしら?と、哀しくなってきますが、ちゃんと「内側にある危険」を知らせてくれるガードマン(=サティ(気づき))もいるのだ、と思うと、少し安心できるような気がしました。
私の心のガードマン、「サティ(気づき)」は、心に心配な考えが生じたら、それを知らせてくれるようです!私の心の気づきさん、頑張れ!
お話の続きが、ますます楽しみです!
(このnoteを読んで、「説明がもどかしい…もっと詳しいお話を読みたい…!」と思われた方は、是非、浦崎さんの書き下ろしnoteをご覧くださいませ~)
(”おやつ食べたい”という気持ちを見つけた私の気づきさんのイメージ)