私の父は、 おそらく何かの発達障がい(特性)を持っていて、 人と同じように仕事をしたり、物事を理解したりするのが不得手である。 言葉で気持ちを表すのが不器用で、 毎日お酒を浴びるほどに飲む、そんな人である。 今まで沢山仕事でミスをしてきたし、 沢山迷惑をかけてきたし、 沢山死にかけて、 家族を心配させ 絶望させてきた。 しかし、私の父は、 人の悪口を言わず、 不平不満を言わず、 物事を純粋に捉え、 まっすぐに考える人でもある。 だから彼は、 人の悪い面ではなく、良いとこ
朝、まだ眠い目をこすりながら、今日をどんな言葉で始めようかと、ふと思う。 いつもとは違う布団。 いつもとは違う温度感。 いつもとは違う生活音に包まれて 今、私が目覚めたのは、田舎にある実家である。 私がこうして朝の第一声を 大切にたいせつに考えたい理由は、 愛する両親にこのあと会うからである。 そして、朝が一番、私の心が綺麗であるからである。 できるだけ、このまま、優しく、愛溢れる自分でいたい。 そう思って、ぼんやりと、たいせつに、祈りながら、考える。 私の両親は、 ど
実を実らせる年だったのに 腐らせてしまっていたから、 最後の10日間、 せめてもの思いで、 必死に必死に、 肥料と水をあげて、 少しでもましにして 2023年を迎えます。 神様を信じ、 神様を愛し、 神様の真理を学び、 神様のかっこいい言葉を語り、 清く、 美しく、 凛として、 生きていたいと、 そう常々思っている。 それなのに、 4ヶ月くらい前から いつのまにか 腐っていたみたいでした。 今日はっきりと 腐った自分の心を 目の当たりにして、 心を入れ替えようと、 決
信じること。 いちばん簡単で、 いちばん難しいこと。 信じなければ、 始まらないことが沢山あるし、 最後の最後で、 信じることを諦めてしまって、 宝を失うことも沢山ある。 信じる心を邪魔するのは、 疑うこころ。 はじめはちょびっとしかなかったのに、 いつのまにか大きく大きく膨らんで、 信じる心をかき消しちゃう。 信じる心。 私の中のきれいなところ。 信じる心。 私の中の、こどもなところ。 信じる心。 いちばん弱くて、大切なところ。 信じること。 たった た
時折、 「何を基準に"頑張っている"とみなせば良いのだろう」 と思ってしまう。 生きてる時点で "頑張っている"?? 田舎から出てきて、 両親や家族に迷惑かけずに生活できてる時点で、 "頑張っている"?? 毎日勉強して、 行動して、 夢に向かってひたむきに努力したら、 "頑張っている"?? その努力が実って 就職できたり、 資格取得できたり、 何かしらの結果を得られたら、 "頑張っている"?? どこに基準を置けばいいのか、たまに分からなくなる。 「うーん、、私、もっ
「自分が欲することを神も欲するようにと望み、神が欲することを、自分も欲するようにするのは憂鬱で、自分の意思を神の意思に合わせることには嫌悪を覚える」 (十字架の聖ヨハネ『暗夜』p64 第7章「霊的嫉妬および怠惰による不完全について」より) まさにこの状態である。 自分の今の願いは、神様が喜ぶものではないだろうなと感じる。 これは直感でもそうだし、 良心に照らしてもそうだし、 御言葉に照らして熟考してもそう。 ちなみに第三者に相談したときもそう言われた。(信者ではなく、聖書を
私は神様無しには生きられない。 神様を知るための、 御言葉なしには生きられない。 大好きな方の心が分らなければ、 想像できなければ、 私は何をすれば良いか分からない。 何をしたいかも分からない。 繋がってさえいれば、 いつも、生きている実感が持てるのに、 離れた瞬間、 死が近くなる。 罪を犯してしまう自分の弱さが恐ろしい。 簡単に人を憎んでしまう自分を見て、 それほどの信仰だったのかと呆れた。 でも、信仰は神様の助けがあってこそ生きるものなのだということも同時に悟った。
聞いて聞いて!今日の塾バイトでの悟り!! 今日、私に似た小学生に出会ったのです笑 あ、似てるって言っても、 顔じゃなくて、 性格。考え方とも言うべきか、、、 その子のことをAくんとするわ。 いやー、一見、大人しくて、優しそうな子なのよ。 大人の言うこときちんと守る、真面目な子って感じ。 でも、一緒に勉強するとき気づいたの。 Aくんは、どうも、自分が間違えたと認めるのが嫌らしい。 算数の問題の答えが間違っているのに、 「いや、これ(自分の解答)も面白いかも!」と言いなが
えー、神様。 すみません。 遅くなりました。 戻ってきました。 神様が、おそろしいほどに 全世界を注視していらっしゃって、 いや、愛を見つけたくて、 ずーっと見つめていらっしゃって、 悪を行わないでとドギマギしながら、 最後まで、人間の良心に働きかけながら、 世界を見下ろしているのを感じます。 と同時に、 私と共に、 今ここに、ベンチに座っていらっしゃる事を感じます。 昨日まで反抗期だったのに、 いやさっきまで反抗期だったのに、 こんなことを、 赤坂から紀尾井に掛かる
かしこまって良いことをしようとすると、 大体空振りして終わります。 「これ行けたっしょ!」って思った時ほど、 行けてない時があります。 見栄を張ろうとすると、 大概恥をかいて終わります。 どうも、お疲れ様です。 神学カフェの中の人です。 呼び名が長いので、今後は「えび」とでも名乗ることにします。 ええ、えびです。ただ好きなんです。あのフォルムが。(そこかい さて、noteでひたすら神様の愛を語り尽くそう!と意気込み、 10日ほどたった訳ですが、、、 最初は、最初はね、
動かなきゃ。 やらなきゃ。 書かなきゃ。 神様に祈ることと、 youtubeを見るのとを 気が狂ったように交互に行う自分よどうにかしてほしい。 本当に、自分で自分を管理してほしい。 神様、私は自己管理能力が乏しすぎるので、 もう、もう、 神様が管理してくださることをお祈りします。 神様が私を掴んでくださって、集中力を上げてくださって、 ずっっっと没頭してレポートを書くことができるようにお祈りします。 神様、神様、本当に助けてください。 書くべきもの、書きたいものは見
こんにちは。 神学を学ぶ大学生です。 唐突ではありますが、、、 私は、 神様の愛(無償の愛、見返りを求めずに与える愛、大切にする心)を ずーっとずっと、追い求めています。 それは、自分がどんな状況になっても倒れない人間になるため。 そして、神様級の深〜い愛で、人を愛することができるようになるため。 本当にね、そうなりたいんです。切実に。 でもそんな私も、 中学生までは、 神様の愛を鼻で笑う人間でした。笑 大学に入って神学を学び始めてからも、生活が苦しすぎて 「神様って