見出し画像

「真理」はひとつ

聞いて聞いて!今日の塾バイトでの悟り!!


今日、私に似た小学生に出会ったのです笑

あ、似てるって言っても、
顔じゃなくて、
性格。考え方とも言うべきか、、、

その子のことをAくんとするわ。
いやー、一見、大人しくて、優しそうな子なのよ。
大人の言うこときちんと守る、真面目な子って感じ。

でも、一緒に勉強するとき気づいたの。
Aくんは、どうも、自分が間違えたと認めるのが嫌らしい。
算数の問題の答えが間違っているのに、
「いや、これ(自分の解答)も面白いかも!」と言いながら、
その間違った答えに固執しちゃうの。

もっと詳しく説明すると、
28-19の計算を、
8と書いてたから
「ここ惜しい〜!」って私が指摘したの。
そしたら彼は、
「いや、8でも面白いんじゃないか??」って言いながら、
どう解いても9にしかならないその筆算を、
何度も何度も書き直して、
8になるようにできないか挑戦してるの。

そのあとの計算や、
文章問題でも、
ずっとその調子。

かわええやろ笑

でも、それがずーっと続くと、
「もうそろそろ勘弁してくれ、、、」
って思った笑
「そのマインド、通用せんでー」って言いたかったくらい。(もっと他に言葉ある

それで、どうもこのことが印象的やったから、

家に帰ってもう一度そのことを考えてたら、


「まって、私もAくんと同じや」

って気づいたの。

どこがって?


答えは一つなのに、
間違いを認めたくなくて、
自分の「答え」が、
「正しい」と思おうするところ。

28-19の答えが9であることは、
まぎれもない真理。
それなのに、
彼はそれを認めたがらず、
何度も何度も、
拗ねながら、
自分の答えを正当化しようとした。

私もそうなのよ。

神学的、信仰的な内容で、
「〇〇することは罪である。」
という真理を受け入れられなくて、
「いや罪じゃない可能性あるやん?」とか、
「ここまで行ったら罪やけど、ここまではええんちゃう?ご愛嬌やん?」とか、
心の中で言ってる。
それでそれを行い続けとる。

でもそれって、
「28-19=8は間違いである」
という真理を受け入れられなくて、
「いや間違いじゃない可能性あるやん?」とか、
「3とかは流石に間違いになるけども、8は近いからええやろ。ご愛嬌やん?」
って考えているのと何ら変わらないんじゃない?

私、Aくんと同じやない?

うん。
その説ありますねぇって
反省。
てへ。(可愛くない

んもう。
神様、こんなこと悟らせちゃうなんて、

やんなっちゃう。(最大限のぶりっこ)


自分の問題点を悟るって、

一回悟っても、否定したくなるんだよなあああ

でも、

今日Aくんに対して、
「だから28-19は9なんやって!!
もう信じられなくてもいいから9って考えよー泣
間違い認めないと次の問題行けんのやけど泣」

って本気で思ったのはこの私だもんなぁ。

多分神様の気持ちだよなこれ。


真理はいつも一つで、
子どももわかるくらい易しいのに、
人間が勝手に難しくこねくり回して考えて、
単純なことを複雑化して、
答えをたくさん作ってしまって、
元の真理を見失う。笑

神様からしたら、
「いや真理はひとつやから!」
「余計なことせんでええから!」
ってツッコミたくなる瞬間たくさんあるやろうなあ。

ね。わしも反省や。

心柔らかくしよ!
間違いは間違いだって認めよ!
そのスピード早めよ!

よっしゃ!
私成長しとるー!!
また可愛くなってるー!!
最強に強いー!!(語彙力どうした

明日もがんばろ!

((神様ありがとうございますうう!!))


追記。

神学や哲学を勉強する上で、「この研究は御心なのか?」と思うことがしばしばあるから、神様の視点をよーくよく考えながら勉強したいなああ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?