見出し画像

感想、おかわりっ!

2024年1月25日に浅岡雄也さんがシングルを発売されました。おめでとうございます!

試聴はこちらからできます。

一度感想を書いてみたものの、他にも書きたいと思った事が出てきたので追加します。
最初の感想はこちらからどうぞ。

歌詞は歌詞カードから引用する。

それは「あなたをあいしているいますぐあいたい」について。やはり3曲の中でも最も衝撃が大きかったので、思うところがたくさん出てきた。

一番の衝撃は、テクノである事。
最初の感想にも書いたが、浅岡さんの音楽的ルーツがYMOというのは様々な場面で語られているため、テクノを出す事自体は驚きではない。
現にライブでは1部はバンド、2部はテクノの構成の事もある(残念ながらテクノは配信しない事が多い)。

テクノ好き、YMO好き、それを知った上で聞いてみても、何ですか、この曲は?!(良い意味で)と思うのだ。
ご本人も「YMOでしかない」と、リリース前にライブで音源を流してくれた際に語ってくれた。

もう最初から、あ、テクノなんですね、という言葉しか出てこない。
しかし、少し深堀りすると、もしかしたらこうかな?と思えてきた。

この曲は、浅岡さんにしては珍しく英語詞から始まる。

Today is Coming Wake Up Now
Face Washing Brush My teeth

これ自体が結構驚き。
「君と歩きたい」に「Life is Beautiful」と出てくるが、それくらいの短い英語のフレーズが日本語詞の中に混ざる程度、な事が多い。
少なくとも13枚目アルバム「世界の果てで逢いましょう」には今回程の長さの英語詞は出て来ない。

テクノだから普段の詞と違うのかな?と漠然と思っていたのだが。

これはもしや、YMO「PERSPECTIVE」(1983年アルバム「サーヴィス」収録)へのリスペクトなのでは…?

と言っても筆者がYMOにめっちゃ詳しいからすぐにピンと来た、という訳ではない。
むしろ全くの素人。
偶然、noteのYMOに関する記事を読んでいたところ「PERSPECTIVE」の曲紹介で歌詞の一部を日本語に訳している部分があり「歯を磨きます」が目に入った。

え、これって浅岡さんの曲にも出てくる!と思いさっそくApple Musicで試聴。

全編英語詞で、日常生活の様子が淡々と綴られている曲。詞はピーター・バラカンさん(テレビのコメンテーターかと思っていたらすごい経歴の持ち主なんですね…)と坂本龍一さん。
歌も坂本さん。

出てきた、歯を磨く。歌詞には日常生活の動作が一つずつ出てくる。一日の始まりから終わりまでを淡々と綴り、それが数回繰り返される。

特に曲が劇的に変化する事もなく、でもなぜか聞いていて飽きる事はない。ラヴェル「ボレロ」ぽい繰り返しの中毒性があるような、一部にバッハ「目覚めよ、と呼ぶ声あり」的な一聴するとなんか気持ち悪い旋律が出てくるけど聞いちゃう感じ。英語詞だから、というのもあるかも。

人が送る日常生活というものは、この曲のように毎日同じことの繰り返し、だが繰り返すという事は、劇的に変化せずに続く限りは平和である、という事かな、と素人は思った。

高橋幸宏さんはこの曲を「私が好きな坂本龍一10選」に選んでいる。

2024.2.11確認


(ココらへん、ほぼほぼ思い込みと勢いで動いて書いてます。)


翻って浅岡さんの曲。
こちらも朝が来た、ところから曲が始まる。日常生活の始まり。一日の終わりは眠るまで。

どうにもならないことでも そうネ 
笑って待ってたい

どうにもならないこと?一体何だろう?と思うと後半に明かされる。

どうにもならない 死ぬこと だけは決定事項だ

見事に回収された。
最近の浅岡さんがよく書く「死」についての歌詞。暗いものではなくて、必ず終わりが分かっているならば、その間に何をするのか、どう生きるのか、という問いかけが多いかな。この曲も
「笑って待ってたい」と言っているし。

この後の曲の進み方が、あー、なんかYMOのイメージだなあと。少し東洋風で、拡がりと浮遊感のある旋律。アコギっぽい音が重なって鳴っているのが心地良い。

オフトゥンの中 争いなんかナイ それでいいじゃない?

一見するとそうだなあと思うが、逆に考えると、起きている間は争いがある。人は眠って意識がない間しか平和ではない、と言われているようだ。

ちなみにこの「オフトゥン」どういう発音?と思われた方は、CDを聞いて確かめてください。
なぜこの表記なのかは謎だけど、確かにこういう発音です。

曲名はひらがな18文字。ア行の頭韻かな。
浅岡さんにしては長いタイトルだ。今までカタカナの人だったのに、これからはひらがなの人、になるおつもりか。全然構いませんよ。

歌い方がかなり淡々としている。
元々あまり感情を込めずに歌う(と書くと、冷血漢のように聞こえるが、そういう意味ではなく、感情ではなく声を聞かせてくれているのだ)が、更にいつもより声が低く、より落ち着いて聞こえる。更にささやき声を重ねているのでより、そう聞こえる。

「歌うとイメージが変わっちゃうから歌わずに音源を流す」と、音源を流してくれたライブで語っていたが、元々生で聞かせるためには作られていないのでは。

この曲の無機質な歌い方はライブでは再現ができないのではないか。どうしたって、ライブは生だから、生の熱さが出てしまう。
浅岡さんのライブは毎回熱量が高いので、この曲の持つ低温で無機質で淡々とした感じを出すのは難しそう。
生で聞いてみたいっちゃ聞いてみたいけど…。
浅岡さんの事だから、意表を突いて生でもいける曲にしてくれそうだけど…いやイメージ変わるのはなぁ…。

ここまで書いたところで浅岡さんのYouTubeチャンネルを確認したところ、次の動画を発見!


て事で総括です。
んもー!浅岡さんっ!
どんだけYMOラブなんですかっっ!
しかもさ、その想いをこうやって楽曲に閉じ込めて永久に自分のものにしちゃってるんだもん!
羨ましい!

我々にも聞かせてもらえて、とっても嬉しいし、ウタウタイでありながら一音楽ファンとしての一面も見せつつ、作品として昇華させているのが凄い。

もう、これは愛だ!
YMO愛でしかない!は、本当だった!

この曲を高音質で聞いてみたい!
ハイレゾ販売して欲しいです。