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8-3.水に映る影

『動画で考える』8.見えないものを撮る

水たまりや池の水面をのぞき込んで、そこに映し出された世界を観察しよう。

あなたの全身が映り込むような公園の池の淵に立って水面をのぞき込むと、そこには限られた大きさの中に複雑な世界の状態が映り込んでいて、凝視するうちに吸い込まれそうになる。

池の水面は蓮の葉に覆われていて、その隙間からは、水の底に沈んでいる石塊やそれを覆うように藻や水草が繁殖しているのが見える。水中にはたくさんの鯉や鮒の類が泳ぎ回っている様子が観察できる。所々に垣間見える水面には青空と雲が、そしてその下に立っている自分自身が映り込んでいる。水底から頭上の天空まで真っ直ぐに通貫した空間軸の途中に、あなたは立っている。それは世界を構成する無数の軸の一つだ。

しばらく観察していると、風が吹いて水面にさざ波が起きたり、太陽光に照らされてきらめいたり、植物の葉が落下したり、野鳥が水を飲みにやってきたりと、その表情は刻々と変化する。より詳細に調査すれば、大気や水質・土壌の組成も、少しずつ変化を繰り返しているはずだ。

あなたは身近な公園にある池の縁に立っているが、それは紛れもなく地球上の一点であり、世界中の人びとがその瞬間に立っている一点と等価の意味を持っている。だから、あなたがもし自分を取り巻く「環境」に関する動画を撮影しようと思ったら、まずは自分が立っているその場所から始めるべきだ。そして足下の水面をのぞき込んで、そこに見えるものを動画で撮影してみよう。

水面をのぞき込むと、そこには「世界」が映っている。

しかし、水面はただ正確に現実世界を反映する鏡ではない。そこに映し出されるイメージは、水面が置かれた環境によってさまざまに歪み、また刻々と変化する。水面をのぞき込んだ私たちの所作さえもそこに取り込まれて、水面のイメージは変化する。そこに立ち現れるイメージは同じ世界を映していても、それを見る人ごとに異なって見えるはずだ。

水面に映って見えるものは、目に見えるものそれ自体ではなく、それらの関係性だ。そして、関係性を通して私たちが観ているものは、目に見えない世界の反映だ。だからこそ、局所の事象を撮影しながらも、そこに記録されているイメージは、普遍的かつ変化を繰り返すイメージとなり得るのだ。池の底の石塊は、卑近な取るに足りない事象であると同時に、地球という惑星の組成物であり、目に見えない力の反映の結果として、そこにあるのだ。

同じように、動画の画面を通して、その先にある世界を想像してみよう。

水面のような動画を想像してみよう。

水面をのぞき込む体験と動画の視聴体験は似ている。水面が周辺の環境によって影響を受けて変化するように、動画が作り出すイメージも、環境に影響を受けながら、変化する。動画に映し出された、目に見えて実体を持つものは、常により包括的なものの一部であり断片であって、それ自体では完結していない。動画が映し出す、場所も、ものも、人も、その人が発する言葉も、行為も、すべては全体から切り出されて、別の環境に置かれることで変化する。

ある場所は地理的な一点と捉えることも出来れば、歴史的な時間軸上の一点と捉えることも出来る。ある人物は、社会的な位置付けで捉えることも、生物の種の一形態として捉えることも出来るだろう。身近なものも言葉も行為も、人類の文化や歴史という広大な平面上で位置付けて捉えることが出来る。

街中のカフェで友人とコーヒーを飲みながら会話をするという、ありふれたシーンを思い浮かべてみよう。おそらくすぐに、トレンディードラマか雑誌のグラビアのような紋切り型のイメージが頭の中に立ち上がってそれを再現したくなるだろう。しかし、そのような借り物のイメージは消し去って、目の前にある事象を、動画を撮影することを通して、しっかり観察しよう。

日常生活の中の、別の世界への入口を発見しよう。

ある瞬間に、あなたが日常生活を送っているレイヤーから、別のレイヤーへと急に視点が移動させられる瞬間が訪れる。

長い世間話のあとに、友人がコーヒーカップを持ち上げると、机の上には水蒸気で描かれた円形が現れて、一瞬のうちに消えていった。それが動画に記録されたことも、動画にちゃんと映っていることも、あなたも含めて誰も気が付かないかも知れない些細な出来事。しかしそれは確かにそこに立ち現れて、動画に記録されている。視聴者の一人はそれに気が付き、日常空間に一本の普遍性をもった軸が通貫する瞬間を目撃して、価値観が大きく転換してしまうかも知れない。

それは誰もが気が付くものではないが、誰もが発見する可能性を持っている。そうした瞬間を動画で記録するには、ひたすら動画を撮影すること、心を開いて観察を重ねるしかない。ある日、道端に落ちている小石を拾い上げたその時に、あるいは、池の淵に立って水面をのぞき込んだその時に、その瞬間は訪れるかも知れない。

その時にあなたがビデオカメラを持って撮影しているかどうかは、あなた次第だし、その動画を見た視聴者がその事に気が付くかどうかも、確実では無い。すべては、撮るべくして撮られる、見るべくして見られる、としか言いようのない世界を私たちは生きている。

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