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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(1)LESS北山友之

時は2000年代初頭。アンダーグラウンドな活動をする個人的なブランドがインディーズブランドとして総括され、インターネットの普及とともに爆発的に増えた。「ネットでお店を作るならbase!」みたいな感覚はネットショップとして20年前にすでに存在していたし、競合が今のように天文学的にいる世界でもなかったので、ある種爆発とはいえ世間的には物珍しくもあった。フリマでしか販売できなかった自称ブランドが世界に発信するオリジナリティあふれるブランドへ。しかもこれが売り上げという観点でもめちゃくちゃなことになり、結果多くの人の人生を変えた。とても不思議なムーブメントだし、恐らく今後こんな形で流行が起こることはなさそうな気がする。僕はその有象無象のなかのサバイバーだし、そこから今に至るまで起こったことをシーンにいる立場から語れる数少ない人間の一人だと自負している。冒頭に載せたクラゲさんの語りと決定的に違うのは俯瞰して評論していた立場ではなく渦の中に巻き込まれ、ブランドを運営し、イベントでありとあらゆる他ブランドのTシャツを売ってきたことだ。そして2018年October Beastをスタートし、僕は新たな活動に入りつつも「あの頃。」をどこかに残したい、書いておきたい、というのが頭の片隅に残っていた。ということで、シリーズとはなるが僕の本業であるブランドの話をここに書き記そうと思う。気になる方は拡散を。

話はインディーズTシャツブームから少し遡る。1990年代後半、nendoやTARは独特のグラフィックでスタジオボイスなどの雑誌で持てはやされた。CUNEはウサギTで一世を風靡し、バンバンビガロはプロレスをカッコよく着こなす新たな潮流を生んだ。そしてコスパが現れ「シロイヤツ」とカタカナで書かれたガンダムTはアニメサブカルチャーがファッションと融合できることを証明し、ブリスターに入れられたTシャツも登場。僕は当時大学生だったが、この流れの熱病に侵され、気が付いたら音楽に影響された自分勝手なTシャツを作り始めた。ロクに絵も描けない、何の知識もない初期衝動そのもの。もちろん周りにそんな奴はいなかった。大阪で孤独に何か牙を研いでいるんだと勝手にうそぶいていた。ただ不思議と自信があった。今みるとちゃんちゃらおかしいことを沢山やっているが、あの衝動は今も僕の中にある。あるからこそ、仕事ができている。それは間違いない。

だが実際は全国各地にそうした個人は存在していた。ネットという「売り場」をいち早く見つけ90年代後半から活動をしていたハンバーグ009やちくわぶといった古参がその中から飛びぬけ、「少年ジェッター」や「ニードルス」という実店舗に逆輸入。僕は再び路上で度肝を抜かれたが、会ったこともないそんなブランドたちの存在はなんだかうれしかった。僕が一般的に知られることになったのは大学卒業後1999年に結成したMARS16というブランドだが、実は自分がインディーズという認識は全くなかったし、今もって自分がインディーズだったとも思わない。売れなくても自分の作りたいものを作り、リリースしたいときに出す自由な満足ではなく、多くの人に売りたい、大きなブランドにしたい、という気持ちがずっとあったし、法人でスタッフと共にやっているので企業という認識が強かった。ただ、これは今はちょっと考えが変わった。僕個人の圧倒的なイニシアチブをちゃんととれるブランドを目指し、自分がちゃんと食べれるように、家族のためにやろうという考えが今の根本になった。もっと早くに気づいていればよかった。「無駄なものなんて無い」わけがない。無駄なことをいっぱいしてしまった後悔が沢山あるだけだ。だから読んでいる皆様に言いたい。無駄なことなんてするんじゃない!と(笑)。

ともかくネットの普及とともにTシャツは売れていった。ネットを見て、僕らについて語る人間も現れ、僕個人をウォッチしたり追っかけたりする人間も結構な数がいた。裏方意識が強かったので、あまり嬉しくはなかったが、自分たちが考えるTシャツが売れるのは楽しかった。僕は「ゲーム・映画・アニメ・音楽とのコラボレーションを自由に行うブランド」を目指し、実際そんなタイトルのTシャツを沢山手掛けた。ゲームでは初期のヒット作でスペースインベーダーコラボ、映画ではMATRIX、アニメではアイアンジャイアント、そのうちにブラックマヨネーズのTシャツをてがけお笑い分野、のちには駄菓子のうまい棒とコラボを行ったりしたころにはもうジャンルはなんだってよかった。コラボレーションだけをやり続けるブランドをUTよりずっとはやくやっていたわけで、このミクスチャーは唯一無二だと大いに自慢し、調子に乗り、やりたい放題やっていた。ムーブメントがそこに重なっていたのは後になってわかること。なぜなら僕はまだインディーズTシャツブランドそのものとの接点は全くなかったのだ。(2)へ続く

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