鴨と言う名の深淵を覗く詐欺師

みなさまは詐欺の渦中にいるな、と実感したことはあるだろうか。

私は今、正にである。私は自分について、かなり悪運であること四半世紀近く生きてわかっているので、騙される前に疑うみたいな癖がついている。

優しい人を信じるよりも、苦手な人と時間をかけて打ち解ける方が私としては確実である。

騙される前に疑っている私だが、破れかぶれになって、どうかしているときは別だ。

聞こえのいい事を信じてみたくなる。無条件の優しさに甘えたくなる。しかしそんなものは、存在しないのだ。

というわけで、詳しい内情はどこかで記すが、今私は詐欺師の鴨である。2日後あたりには3桁くらい請求させる契約を持ちかけられるのではないだろうか。

生憎、私の自暴自棄は瞬発的なものなので、追々請求されるであろう多額の金銭のかわりに一時的に自己肯定感は満たされた。自暴自棄に陥る寸前まで満たされたら一瞬、私は夢から醒める。裏に気付く。

当たり前に詐欺師の方にはきっとまだ私は美味しい話を鵜呑みにしている有頂天の馬鹿に見えているはずだ。

私は考える。契約をしない方法について考える。私の言う台詞から、詐欺師から言われるだろう暴言から、何から何まで。とりあえず録音は必須だな、とか。なんならこっちがこの話、お金儲けに使えないかな、とか。

詐欺師が詐欺師と分かってしまったらそれはこっちのもんである。足を突っ込んだ馬鹿は私だが、非があるのは確実に詐欺師の方だ。

でもって、詐欺師からタダでもらえるもんは全部もらいたい。

私だって詐欺師に嘘ついてることあるし、そもそも一時的な安心が欲しかっただけなので詐欺師だろうが聖人だろうが本当のことを話す気なんてのはさらさらない。

ああ、みんな必死なのだ。生きるのに、稼ぐのに。罪を犯してまで。

いい、大丈夫。嘘つきも、詐欺師も。何も言わないから、好きに生きるのがいい。私もそうする。

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