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筒の人間、芯の人間

人間ってなんか、筒と芯に分けられる気がする。別に二元論者になりたいわけじゃないけど。


私は芯。たぶん筒の人たちと分かりあうことはできない。まあ、ここまで読んでも抽象的すぎて何を言ってるのかわかんないと思うからちょっと自分のことを書くね。


自分には人生でやりたいことっていうのが2個ある。


一つは地元を出て、今よりもコミュニティが閉塞的じゃない所に住むこと。地元は田舎だから、1回悪い噂とかが立っちゃうと一瞬で広まるし、割と居場所がなくなる。私は中学生のときに学校に行ってなかったから、地元を昼間とか、人がいる時間に出歩くのは今でも躊躇する。地元民の中になんかボスみたいのがいて、個人情報とかが筒抜けで本当に気持ち悪い。正直、田舎のボスは自分を疑うってことをしなくて、保守的で、みんなから慕われてるっていうよりかは恐怖政治みたいに「逆らったらどうなるかわかるよね」的な圧があって、全然多角的に物事を考えることができないボスの器じゃない人が多い気がする。まあそういうボス達が数人いて、ちっちゃい田舎で派閥作ってイキってる。まじで生きづらい。

ここで愚痴らせてもらうと、自分は大学で一人暮らししてて、諸々の理由で収入減ったり、就活失敗したりして、生活できるお金がなくなっちゃったから今やむなく実家暮らししてるんだけど、それに対してこないだ大学で知り合った某氏から「日和ってる」とか言われて、まあそういう意味で言ったんじゃないってのは承知してるんだけど、ぶっちゃけ未だに苛々引きずってて、正直自分からしたら一人暮らしの方が全然日和った生活だったよ、って感じ。マジで。


で、とにかく一つはそんな地元が出たい(あと2〜3年で)っていうのがある。その為にはお金を稼がないといけないんだけど、じゃあ就職をするかっていったらそれはできない。なんでかっていうと就職したら二つ目のやりたいことができなくなるから。


その二つ目のやりたいことっていうのが、死ぬまでに小説で食っていきたいっていうこと。普通に働きながら細々書けばいいじゃんって親からは言われるけど私の場合、小説の内容が内容だから書いてる間は本当に生活的にも、精神的にも塞ぎ込んでしまう。仕事終わりに数時間とか、そんな気持ちの切替を毎日することはできないし、できれば2週間くらい毎日引きこもって一気に執筆したい。それに、社会に出ている友人の話を聞くに仕事ってまあまあストレスがかかるらしい。ストレスを受けながら小説を書くと何が起こるかって、仕事の愚痴みたいな内容の小説しかでてこなくなる。ストレスはあったほうが書けるけど、それが偏りすぎたり、世界が狭くなると物語がつまらなくなる。それだけは嫌だ。

ついこないだまで一つ目のやりたいことをできるだけ早く実現させたくて、お金を貯める為にバイトを掛け持ちしたけど、体力も気力もついていかなくて結局掛け持ちしてた時期は一文字も小説を書くことができなかった。それだと自分的に本末転倒だから掛け持ちは辞めた(というか辞めざるを得ないくらいメンタルがおかしくなった)。


という感じに、自分はこの2つの芯を元に人生を形成してる。この芯を中心にいろいろくっついて人生が形になってる。芯さえ守れれば別にくっついてる人生が多少削られても、予定外の事がおこっても大抵のことは大丈夫っていうスタンス(ちょっとしたトラブルだったらそれこそ小説に昇華できるしね)。


大学で小説を専攻して、いままでのクソ地獄みたいな後ろ指しかさされないみたいな人生とかも、小説を書けば全部生産性のある経験だったんだなって思えて、それならこの先なんか辛い事あっても自分には小説があるから大丈夫。生きていけるわ。みたいな考えにシフトできたのは本当に良かった(もちろんその小説が人に認められるとかは別の話だけど)。

大学で一緒に創作する仲間ができたのも凄く嬉しかった。創作って多かれ少なかれ孤独に自分と向き合わないといけない時間があるし、ものによってはそれを言葉にすることがとても苦しいから。仲間ができて嬉しかった。


でもそんな仲間の中にも筒の人間っている。いや、むしろ筒のほうが多いと思う。筒の人間は筒の中に何か入れたり出したりして人生を形成してる。筒は大抵、学校に通う、高校を出る、(大学・専門を出る)、就職する、結婚する、子供を作る、マイホームを持つ、(家庭に入る)、定年後穏やかな老後を過ごす。といった感じになっていて、地元のボスも、一緒に創作に励んだ仲間も、なんやかんや筒の中でやっている。

こういうことを書くと、お前は奨学金を借りていないからフリーターができるんだって言われるけど、じゃあ君は奨学金を返済し終わったら会社を辞めて年収100万円生活をしますか?というと首を縦にふる人は少ないだろう。その頃にはやれ車のローンだ、やれ家のローンだ、やれ子供の学費だといってなんやかんや仕事を続けざるを得ない選択をしている。


もちろん私が芯の人間をやれているのは私の両親及びに先代達が筒として私を育ててくれたからである。それは分かってはいるが、何というか生き方や生きる目的が違うってだけで目の色変えて人の事、悪者みたいにしてくるやつが多くて嫌になるのだ。


筒の人間は多いけど全ての人間が筒に適応できるとは限らない。仕事がうまく行かなくても、友達がいなくなっても、例え逸れものになったとしても、死ななくて大丈夫だって思う。人を殺さなくってもきっと大丈夫だって、思う。

なんていうか、昨日あった地下鉄での事件を見てそう思った。巻き込まれた方も犯人も、本当に気の毒だと思った。事件に巻き込まれるのは運としか言いようがないし、どうしようもないけど、事件を起こす起こさないは当人にしか決められないことだから。少しでも哀しい事件が起きないように、生きづらいって思う人が折り合いをつけれる程度には世間が筒の呪縛から開放されたらいいのになって思う(ここでいう世間は個人の集合のこと)。


まあワイはワイの見解でただごちゃごちゃ何か言ってるだけなので筒の人間たちは自分の生き方を否定されたとかそういうふうには捉えないで、自分の思う幸せな生活をするといいとおもいます!(というか毎月の給料、固定費抜いたら10000以下なんやけど友達とかいたら普通に生きていけんでしょ……)まあ隣の芝生は青く見える的なアレで何言っても文句言われるのは承知なんですけどね。まあ、みんな各々好きに生きろよ、マジで。

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