夢を思い出させるプロセス
時とともに、人は夢を忘れてしまう。
いかにも、私には夢という夢が大学に入り、教授に認められるまで全く無かったのだけれども、例えば幼少の頃から学校の宿題で夢に関する作文を書きましょうというような話になったとき、8割くらいは漠然とした『夢』について書いていたのではないだろうか。
私は両親の教育によって、『やってみたい職業についてのびのびと働く自分を想像する』ということができない人間だったので、そういう将来の夢については小学校の頃から『とりあえずコンビニでアルバイト』と書いていた。
無論、コンビニのアルバイトなら誰でもできると思っていたからだ。今なら絶対に低賃金でマルチにいろいろ求められるコンビニのアルバイトは選ばないけれど。今思えばそのリアリズムと世間知らずさのギャップが愛らしい。
さて、私は厳しい親の『お前には〇〇はできない』の擦り込みによって、希望通りアルバイターとして親の脛をかじって生きているが、別にそれは全てが当てつけというわけではない。
もし、幼少から夢をみることができ、その夢に向かって努力を継続し続けていたら、きっと今頃その夢は叶っていただろうか。私にはそれすらわからない。継続したい夢を見つけたのがあまりにも最近すぎるからだ。
だから、ただ今は続けるしかない。続けたところで何が変わるかはわからないけれど。
それでも、たまに夢はブレる。何をやっているのかが自分でもわからなくなる。
だから夢を見失いそうになったとき、思い出させるプロセスというのをあらかじめ用意しておく必要があると考えた。
下記は自分の場合。
夢を思い出させるプロセス
①死んだかたわれに思いを馳せる
言うまでもない。私の死にたいごと抱いて自ら肉塊になったかたわれは、本当に100%その時死にたかったのか、かたわれに生きたいが少しでもあったのなら、私はその生きたいごと抱き生きる必要があるのではないか。生きるとは、夢を見ることも含まれ、もう一度真剣に何がしたいのかを考え腹を括る。
②夢を手にした人間の過程を眺める
現実的な問題。何をやればいいのかを見直す。
③上質な芸術に浸る
視野を広くする。いつか行き詰まった時、手助けしてくれる。
④夢を諦めさせる全てを遮断する
それは夢を諦めるよう諭してくる人、環境。ただ、間違ってはいけないのは、夢を応援すると言う人の中には自身の金儲けのことしか考えていない詐欺師も混ざっているので、そちらも話半分くらいで。
そんなところだろうか。一瞬のきらめきの感情はいずれ忘れてしまうから、ずっとはじめの熱量を持ち続けることはできないけれど、とりあえず結果を残すまでは何か続けたい。
酔いどれにより、うまくまとめられない、以上。
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