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サンフランシスコ: 記憶の断片を辿って

2018年2月。
僕はサンフランシスコにいた、らしい。

ほんの最近までそんなことはすっかり忘れていた。
なにせ短い滞在だったし、僕の周りでいろんなことが起こっていてなんとなくバタバタしていた時期だったからだ。

父親の友人を頼って現地入りして、実際父とも過ごした。

当時大学生だった僕はどのような道を進んでいくのかもわからず、文字通り当てもなく彷徨っていた。

サンフランシスコの急な坂を登った先に答えが落ちている感じがして、一人で街を歩きまくった。

シティライツブックストア筆頭に、ビート・ジェネレーションゆかりの地を訪ねたり、ヘイトアシュベリーで今はあんなのファッションだと言われたヒッピーの聖地を訪れたり。

チャイナタウンにも行って、街角のレストランでご飯を食べた。
リトル・イタリーで食材を見てみたりした。

このどこにも属していない僕はちょっぴり寂しくなった。

目的を見つけようと必死で、朝から晩まで歩いた。

たまたま祖父からもらったオリンパスのPen-Dで写真を撮っていた。
35mmのハーフカメラだ。
この間の帰省の際にそのネガを実家で見つけた。



露出もシャッタースピードもわからない時だ、カメラ自体も壊れていて、フレアが入り、何を撮っていたのかもはやわからない。

でも、この写真たちはあの時の僕の記憶を呼び覚まさせた。

端っこから、ちょこっと覗く景色、人、色

僕の脳内の記憶みたいに、断片的ではあるけど強烈に。

当時僕はこの現像された写真たちを見て、がっくりと肩を落とした。
せっかく撮ったのに「何も写っていないじゃないか」と。

証拠にこのネガだけ、別になっていたのだ。
この旅に期待していたものがある分、落胆も大きかった記憶がある。

でも今見ると写っているのだ、たくさん。
あの時の記憶が、あの時の空気が。

あの時探していた答えは、まだ見つかっていない。
でもちょびっとだけ、前には進んでいるような気がする。

今は現像されたネガを片手に、落ち込んでいる当時の僕にこう言いたい、
「大丈夫、自然と見えてくるようになるから、大丈夫」と。


K


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