見出し画像

「思いは現実化する」の背後にある、ほんとうのこと

最近、ある人と議論に至りました。そのテーマは、「思いは現実化する」ということについて。多少なりとも意識の世界に興味を持った人でしたら、このワードを目にしたことがあるのではないかと思います。

私個人としては、原則、私たち人間の思いは現実化すると思っています。過去の人生を振り返ってみても確かな真実であるためです。

ただ、誤解を恐れずに言いますと、必ずしもそうではない。もう少し言えば、やはり条件がある。y=ax1+bx2+cx3……といった具合に、現実化yの結果には多数の要素(x1やx2といった被説明変数と、それぞれに影響を及ぼす係数aやbなど)が関わっているはずです。それらの構造を精査しておかなければ、「思い」がストレートに現実化に結びつくことはないでしょう。

一方、私が知る限りでは、この「思いは現実化する」というフレーズを好む人には、「自分にとって都合がいいように現実化してくれたらいいな」というユートピアチックな願望を捨てたくないというケースが多々見受けられます。その心の裏には、「自分にとって都合が良いことが真実だと思い込みたい」という決め込みがありそうです。

これは滑稽かつ悲しむべき姿ではないでしょうか? もし、こんな構図にはまり込んでしまったら、人生を成功させるための現実的なアクションをとることなく、怠惰な人生で幕引きを迎えそうな予感がします。

最終的には、私たちは七転八倒を覚悟して泥臭い行動をしなければ、物事を実現することは難しいというのが真実です。また、この世界は、物理的な法則を含めた厳然たる真理――しかもそれらの多くは隠されています――に満たされており、それらを考慮した緻密なプランと着実な行動が、何よりも欠かせません。

法則や真理は、人間の都合で変わることはありません。例えばですが、「思いは現実化する。私は重力を超越できる。だから10階から飛び降りても死なないのだ」と決め込んで、今すぐ飛び降りる人がいるでしょうか。おそらく100人中100人、そうはしないはずです。

「極端な例を出すな」とお叱りを受けるかもしれませんが、「思いは現実化する」ことを盲信している人の「思い」と「現実化」を結ぶ論理は、多くの場合曖昧です。翻って、常識と非常識をよく取り違えるのが人というもので、その取り違え方は、抽象度が高い領域ほど顕著です。

だからこそ「思いは現実化する」は怖いフレーズです。「可能性がゼロではない」ということと、「実際にそれができる」ということの間には、とんでもない差異があります。

加えて、こうした真実に向き合いたくない人の傾向としては、「どちらかと言えば不器用なタイプで、現実社会の中で他者に打ち負かされてきた結果、傷ついた自分を何とかしたくて彷徨っている」という人物像でほぼ一致するような気がしています。

そうした人物には共感できます。なぜなら私は20代から30代の前半、このような姿そのものだったためです。過去の私自身に対する叱咤と過去への反省を込めて述べますと、このような姿勢のままでは、人生で果実を得ることは一切ないでしょう。

■世界の真実を述べている形而上学

形而上学という知識体系があります。ここでの形而上学とは、アリストテレスなどが示した形而上学よりも、もう少し広い範囲を指し示しています。もう少し説明すれば、モノや人・組織・社会の動きの背後にある普遍的傾向、原則、真理を整理した知的分野です。

この知的分野では、森羅万象を覆う「宇宙の法則」ともいえる真実を端的に説明しています。私が知る限りにおいては、それらの真実は、一人ひとりを勇気づけるものであり、また個々人を決して軽んじないものであり、さらに言えば、一人ひとりがより良く活き、また生きとし生けるものを活かすものでもあります(詳しくは全国のMMS公認ガイドから「アデプトプログラム」をご受講ください)。

議論を先に急ぎますと、私はこうした真実を知ることで、自分が本当の意味で癒やされてきました。癒やしというプロセスは漸次的なもので、どこまでいっても完全に癒やされるという状態には到達しないかもしれません。ですがそれでも、私は真実を知るという癒やしのプロセスを経るに従って、心に余裕が生まれ、また多くの可能性にトライすることができるようになってきました。

その結果、私は徐々に、先に述べたような「真実に向き合いたくない、『思いは現実化する』を淡く期待する人」から卒業しつつあります。

この道のりは決して甘いものではありません。ですがとても味わい深く、そして深い喜びを得られる本当の栄養と言えるものではないかと思っています。

ここからはお知らせです。3つあります。

▼6月15日土曜日、東京・自由が丘ひかり街で、ヒーリングイベント「心と体のメンテナンス」を開催しますこちらのWebページから、ぜひご覧ください。当日ふらりとお越し頂いても大丈夫ですが、事前予約がスムーズです。

▼6月28日金曜日、東京・文京区のプライベートサロンで、瞑想会を開催しますこちらのWebページからお申し込みください。お申し込みの方に、具体的な場所をお伝えしています。

▼7月6日土曜日、埼玉県鴻巣駅近くのカフェにて、ヒーリングイベントを開催しますこちらのnote記事からご確認ください。こちらも事前予約がおすすめです。

どうぞよろしくお願いいたします。

■「真実の剣」note記事をご覧いただきました方へ

「真実の剣」のnote記事をご覧いただき、ありがとうございました。併せて、ぜひ、下記のヒーリングや瞑想ワークショップの情報もご覧ください。

「真実の剣」ヒーリングおよびセミナーWebサイト
創造力高まる最高の休息 MAX瞑想システム/MAXメディテーションシステム™
「神スイッチ・オン」、あなたが持ちうる可能性を拓く DNAアクティベーション®
宇宙の根源から来る光で「喜びにあふれた人生」を――エンソフィックレイ・ヒーリング

■あなたの一人の神としての特性を開く「DNAアクティベーション」

DNAアクティベーションでは、後頭部から背中上部にある、皮膚から上1cm程度の領域に対して専用のワンドでアクセスします。これにより、受ける人のエネルギーを活性化していきます(出所:MMSジャパン「DNAアクティベーション」ホームページ)

DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。

かつては王族や神官など、限られた人にのみDNAアクティベーションの存在が明かされてきました。つまり、ごく一部の人物しか、このDNAアクティベーションの恩恵を受け取ることはできませんでした。

しかし、今は形而上学の学校・モダンミステリースクールが一般公開に踏み切ることにより、正式なトレーニングを受けて認められたヒーラーなら、施術ができるようになりました。これにより、市井で活躍するより多くの人々が、このDNAアクティベーションの恩恵を受けられるようになっています。

これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――素晴らしき自らの潜在的な可能性が拓かれます。徐々に心の平和、心の豊かさ、さらには自らの人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。

私がDNAアクティベーションを最初に受けたのは2005年9月のことでした。そしてDNAアクティベーションの施術法を最初に学んだのは、2009年でした。初めて学んでから10年以上もの月日が経過していますが、このヒーリングの威力については発見の連続です。

受けた人が備える可能性を最大限に開く、古来の叡智・DNAアクティベーション。このヒーリングの恩恵を、ぜひ、多くの人に受けていただきたいと思います。

DNAアクティベーションの解説ページはこちら

DNAアクティベーションをお受けになりたい方からのお申し込み・お問い合わせ、歓迎いたしております。下記のnoteお問い合わせフォームから「DNAアクティベーション希望」とお書きになって送信ください。折り返し、当方から連絡いたします(東京・池袋/目白がメインの活動場所ですが、各地への出張も可能です)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?