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大阪市の2つの美術館

私は大阪府内で生まれ育ったものの、北の方であったので「あくまで」という譲歩がつく。そして中学高校が京都市内だったこともあり、通学圏から外れた大阪の美術館を尋ねる機会は殆どなかった。ただでさえ家族に美術業界の関係者がいない一般家庭の出身。美術館の体験自体そこまで頻繁なものではなかった。記憶に残っている限りでは大阪市美術館を小学生の時に一度訪ねたくらいだ。その展覧会の内容も記憶に残っていない。

 そうした中で大阪の大学に進学し、美術史を専門分野として選んだことで、半ば必然的に大阪の美術館にも通うようになった。西洋美術を専門とする関係柄、大阪市美術館でしばしば行われるブロックバスター展には、観賞レポートの際お世話になった。中高時代に最も訪れた京都市美術館の建築に馴染んでいたからか(今では改装で雰囲気が失われてしまった)、あの大正、昭和初期の帝冠様式は妙に安心感がある。3、4年前にあったルーヴル美術館展なども、いい意味でホワイトキューブから程遠い内装にオランダ黄金期の絵画が極めて居心地良く収まっていたのが印象的だった。
 収蔵品も言及しておくべきだろう。特にお気に入りなのが最近ブームの兆しが出てきている北野恒富の清冽な作品《星》である。特別展を見た後にがらんどうの、天井の高い2階でこうした作品を味わい、恒富や美術館の建築がまだ当世のものであった1930年代を思いうかべ、少しばかりレトロな気分に浸るのである。


もう一つの大阪市の美術館、大阪市立東洋陶磁美術館はそれにもまして思い入れのある場所である。現在進行系でお世話になっているのだが、ここでその「なれそめ」を語っておきたいと思う。私が初めて東洋陶磁美術館を訪れたのは、おそらく学部3年生の夏だった。とても暑い日だったことを覚えている。特に動機などもなかったのかもしれない。催されていたのは中国陶磁の展覧会だったが、透き通るような青磁の色合いに非常に魅了された。願わくばもう一度あれらの作品を見たいと思うが、借用されていたものだったので次はいつになるかわからない。惜しいものである。加えておそらく初めて体系的に見た日本、中国、朝鮮の時代ごとの作品から、まだまだ自分が知らない芸術学という世界の広さを思い知らされたことを強く覚えている。余談ではあるが大学が「キャンパスメンバーズ」に加入しており、いつでも無料で鑑賞できることにも助けられたかもしれない。もしタダでなければ立ち寄っていなかったかもしれない、それくらいラフな感覚であった。

 こうした経験の直後にドイツで修行しに行ったわけなのだが、ドレスデンで見たザクセン選帝侯の陶器コレクションを見た。マイセン磁器の着想となった日本、中国の陶磁器がゴマンとあり、これだけ陶磁器に入れ込んでいたアウグスト強王の熱意に感服させられた。それと同時に東洋陶磁の魅力の普遍性を認識し、帰ってからも東洋陶磁美術館で多くの作品に触れると誓ったのである。そうした過程を経て、色々あって今では修行先として通っている次第である。
 立地もまた、東洋陶磁美術館を語る際に欠かせない要素だ。中之島の東側は休日でも比較的閑静な場所でありながら、食事を楽しむ場所も近くに数多くある。そして何より、5つの美術館、博物館施設、こども図書館(昨年開館)や歴史的建造物が集まる中之島という地区が持つ文化的な空気は、何物にも替えがたいものだろう。ちょうどベルリンにも川の中州に博物館がひしめき合う「博物館島」という地区があるが、大阪のほうがビジネス街に近い分より都会的な雰囲気を持っているように思える。いずれにせよ国内はもとより、世界的にも唯一無二の存在と胸を張って言うことができる。

 私が他人に一度は見てほしいと勧めてやまない収蔵品は「飛青磁花生」(元時代、国宝)です。静謐な色合いの文字通りの青磁色、鉄釉による慎ましやかな斑、優美なシルエット、全てに並々ならぬ気品を漂わせるものである。充実した東洋陶磁美術館のコレクションのなかでも、ひときわ神秘的な雰囲気をたたえるものだ。同じく国宝の「油滴天目」が持つ情報量の多さ、凝縮性とはまた違った魅力を楽しむことができる。
 また「飛青磁」は大坂を代表する豪商、鴻池家が代々伝えてきたという来歴がある。鴻池家の本宅は北浜。東洋陶磁美術館から歩いて5、6分程度の距離にあった。言い換えればこの作品は大阪という街がたどってきた歴史の一部でもある貴重な作品なのだ。大坂が江戸時代に洗練された町人文化を誇っていたことを示すアイテムを、今も同じ場所で見ることができる……必ずこうした一種の文化的贅沢さを、私は「飛青磁」を見る際に頭に浮かべる。当然これは大阪市美術館の建物、《星》などの作品を見る際にも浮かべるものかもしれない。今はどちらの美術館も閉館中ではあるが、いずれは再び開館するはずである。その時は美術館を訪ねて、同じように作品に、大阪という街についてぜひ思いを馳せていただきたい。

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