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特集・1969年(第7回) 1969年の世界の映画とテレビ・カルチャー

どうも。

クエンティン・タランティーノの新作映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の公開を記念した1969年特集。今日は、映画に直接絡まない特集としては、これが最後になります。

「1969年の世界の映画とテレビ・カルチャー」

これに焦点を当ててみたいと思います。

この当時、世界で激動を迎えていた時代を芸術的に表現していたのは音楽だけではありません。映画やテレビでもそうでした。そうしたことを今回は語っていきましょう。

音楽はカウンター・カルチャー、ロックのイメージが強かった69年ですが、この当時、演劇や映画の流行りはある意味もっと過激だったかもしれません。

ヒッピーの生き様を、伸ばした長い髪に託して描いた「ヘアー」がブロードウェイで大ヒット。この年のトニー賞の授賞式で、テレビの眼の前でこんなにたくさんのヒッピーが出てきて歌った時、アメリカ国民、ビックリしなかったのかなあ、とは今見ても思いますけどね。このミュージカルからはフィフス・ディメンションの歌う「輝く星座(アクエリアス)」、カウシルズの「ヘアー」、オリヴァーの「グッド・モーニング・スターシャイン」の3曲の全米トップ10(「輝く星座」は年間1位)のヒットも生まれます。

そして

この年の夏には、低予算で作られた、既成の生き様に背を向けた若者たちのバイクでの放浪を描いた「イージー・ライダー」が、映画業界でまず予想されることのなかった、こうした映画としては画期的なほどの異例の大ヒットを飛ばします。

すると、この年の後半には

19世紀の実在の銀行強盗、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの逸話をポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの軽妙な掛け合いで演じた「明日に向かって撃て」。この2年前の「俺たちに明日はない」のボニー&クライドと同様に、ベトナム戦争が泥沼化して「何が正義かわからない時代」に、取り締まる体制側を「正義」として描くばかりだったハリウッドに新風を巻き込むことになります。そして下は「真夜中のカーボーイ」。こちらはニューヨークに夢を持って上京したものの男娼として生きるジョン・ボイト扮する主人公に、ちょっとおかしな、これもこの2年前に「卒業」で社会的ステータスに背を向けた男の役を演じたダスティン・ホフマン扮する不思議な男が付いて回る物語。

どちらも癖のあるバディ・コメディなんですが、これが両作ともに大ヒットしたのみならず、オスカーで作品賞にノミネートされ後者が受賞。さらに両作とも、BJトーマスの「雨に濡れても」とニルソンの「噂の男」、これがともに全米トップ10ヒットで前者に至ってはナンバーワンと、大ヒットしてるんですよねえ。やっぱりここで、社会のテイスト、ガラリとかわっていると思いますよ。

そして、「イージー・ライダー」の主役、キャプテン・アメリカを演じたピーター・フォンダのお姉さん、ジェーン・フォンダが主演したこの「ひとりぼっちの青春」という映画も大ヒットして、オスカーでこの年の最多部門でノミネートされています。これも、世界恐慌の時代に資本家に搾取されて翻弄される女性の悲しみと怒りと反抗を描いた映画でもあります。これ、再評価されて欲しいと前から思ってるんですけどね。

同じ頃にイギリスでも、パブリック・スクールでの奇妙で醜悪な実態が姿を描き、やがて学生たちが武装蜂起するケイオスを描いた「if....もしも」、ドラッグの実験やフリーセックスを描いた「More」みたいな映画が出てきます。前者はこの2年後に「時計仕掛けのオレンジ」で主役を務めるマルコム・マクダウェル、そして後者の音楽を手掛けたのはピンク・フロイドです。

そしてフランスでも、かのセルジュ・ゲンズブールがイギリス人女優のジェーン・バーキンと、神秘なエロティシズムを描いたカルト映画「スローガン」が出ます。この二人はこの年、かのエロティック・ソングとして今日でも名高い「ジュテーム」をヨーロッパで大ヒットさせることにもなります。あと、フランスだと、この前年の5月革命の影響で、かのゴダールが商業映画を作ることをやめる宣言を行って、政治映画に没頭をし始める時期でもあります。

では、続いてテレビに行きましょう。こちらの方だと、映画みたいに反体制ってわけにもいかず、そこまで実験的なものはなかったようですが、それでも

この「Julia」のように、黒人女性が初めてアメリカのテレビドラマのsヒロインになるなど、画期的なことが起こっています。

あと、アメリカもですけど、イギリスでも同時に、お笑い界にこの年、革命が起こってます。

アメリカではNBCの、のちの「サタディ・ナイト・ライブ」の原型にもなったと言われる「Laugh In」、そしてイギリスではBBCでかの「モンティ・パイソン」の放送が始まってます。これに日本の「ゲバゲバ」にコント55号にドリフの全員集合。これが全部同じ年ですからね!この年に世界中でお笑いの感覚がいかに変わったかがわかるというものです。

上の動画でもわかるんですが、この「Laugh In」の出演者の一人がゴールディ・ホーンで、彼女はこの年に

これ、僕の大好きなロマンティック・コメディなんですけど、ウォルター・マッソーと、なんとあのイングリッド・バーグマンが熟年を迎えた状況で演じたロマンス「サボテンの花」での、「今どきの女の子」の演技でオスカーの助演女優賞を受賞していたりします。

あと全体的に当時のテレビは安心感を求めていたようでして

同じロックを描くのでも、カートゥーンの架空バンドにして表現していたりしていました。上の動画は「Archie Show」というカートゥーンで、架空バンド、アーチーズの歌う「Sugar Sugar」という曲は、この年の全米チャートで1位になってもいます。

そして下は、この分割画面が未だにパロディにされる子供向けホームドラマ「愉快なブレイディ一家」ですね。これの第1シーズンが始まったのもこの年です。これはパパとママが再婚したら、一方は3人の男の子、もう一方は3人の女の子で一気に6人兄妹になっちゃった、というお話です。

この翌年以降にジャクソン・ファイヴやオズモンズのティーンの兄弟によるヴォーカル・グループのブームがあったり、70年からはママと子供達がバンドを組んだ青春ドラマ「パートリッジ・ファミリー」が始まって主演のデヴィッド・キャシディがスーパー・アイドルになります。

実はこの68年くらいから70sの初頭って、アメリカで結構アイドル・ブームあったんですよね。その背景には、やっぱりエンタメそのものが社会的にいシリアスになりすぎたから、ロック聴くよりも年が下な子供達が、よりハッピーで明るいものを求めたみたいですね。だからさっき言ったみたいなブレイディやら、ジャクソン・ファイヴやらパートリッジ・ファミリーのブームにも繋がったわけなんですけどね。

日本でも同じ頃に

日本でもジャニーズがフォーリーヴスを世に送り出してたりするんですけど、タイミング的にほぼ同じなんですよ。そう考えると早いんですけど、早すぎて、そんなに売れなかったんですよね、実は。ただ、アメリカで子供アオドルのブームが下火になった後で日本で、やれ、新御三家だ、中三娘だ、キャンディーズだ、ピンクレディだで、アイドル文化が独自に巨大化してしまって、世界でも稀な文化生んで、それが伝統になっちゃった不思議な副産物生んでるんですけどね。

後ですね、これも言っておきましょう。

この時代って、まだテレビ草創期から続いていた西部劇が続いていたんですよね、普通に。視聴率でも長いこと、圧倒的に強いジャンルだったのがこの「ボナンザ」とか「ガンスモーク」です。それが70sの前半まで続いていたんですからね。ただ、当然のことながら、ロックに夢中になるような世代の人たちからは「ダサいものの象徴」と捉えられていたわけです。

そんな西部劇も69年頃には、世相の影響を受けまして

映画の方だと、ウェスタン最大のスターだったジョン・ウェインが老境を迎えた姿を描いた「トゥルー・グリット」。これで彼が初で最後のオスカーの主演男優賞を受賞します。あと、下の「ワイルド・バンチ」はですね、「アクションものとしてのウェスタン」の路線をサム・ペキンパー監督が極限までバイオレントにしたもので、この年に大ヒットしています。そのペキンパーの映画に至る前までには、イタリアで安い制作費で作られて60s半ばに大ヒットした「スパゲティ(マカロニ)・ウェスタン」があって、そこでクリント・イーストウッドがスターになってるんですけど、そこでだいぶアクションが過激になってた上での「ワイルド・バンチ」でもありました。

で、なんでこの話するのかというとですね

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」とテーマ的に繋がっているからです!

来週、もう一回、この映画のための「傾向と対策」、やりますけど、覚えておいた方がいいことの一つです。

・・と、そんな感じでしょうか。

最後に

この記事を、2日前に亡くなったばかりのピーター・フォンダに捧げたいと思います。このタイミングはウッドストックの50周年でもあるんですが、「イージー・ライダー」の公開50周年でもあったわけです。さらに言うと僕の誕生日はですね、日本で「イージー・ライダー」が公開されたのと同じ日でもあったんですよね。そのことを知ったのは20数年前でしたけど、それ以来、僕はずっとこの偶然を誇りにしてきたものでもありました。改めてご冥福を祈ります。



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